Web Magazine for Kyushu Hikers Community
4足歩行に進化して
岩を、山を、自分を、もっと楽しもう。
働いているアウトドア・ショップには毎日いろんなお客さんがくる。特に買い物目的もなく、おしゃべりだけに来てくれるお客さんの存在も嬉しいものだ。
東にある雁の巣という町からバスカードで毎日町に出てきてぶらぶらしてる、年金暮らしの「雁の巣のじいさん」もそんな中の1人。
昔行った山の話、体が思うように動かなくなった最近の老後生活についてのとりとめのない話をする。
黒部源流の鷲ヶ岳で遭難しかけたヒヤリハットの話、若いころにたくさん通った静岡県の大好きな山・赤石岳の話。
そして、最近行った岩や遠征の話を聞かせてほしいと言って、私の話を聞くのも楽しみにして来てくれる。
先日は、北海道のロングトレイルを歩くために大型ザックを買ったがコロナ禍になり、その間に体が悪くなってしまったから代わりに使ってほしいと言って、新品のザックを持ってきてくれた。
値札がついたままの60リットルのカリマーのザックには、じいさんの「家のにおい」が染みついていた。
そのにおいを嗅ぎながら、ほんの少し前のことだと思っていても、時間とは、あっと言う間に過ぎるものだ、と思う。
「あの山は、よかったなぁ」と話すときのじいさんの目は、そのとき見た情景をそのまま目に映しているみたいに、キラキラしている。
身体は思うように動かなくても、思い出が、じいさんの心を豊かに満たしている。
わたしはそういう“かわいい”おじいちゃんを見るとなぜか胸がキュンとして、なぜか涙が出そうになるのを必死に堪える。
そして、そんな私を見て同僚はいつも「また泣いてるー」と言って、笑う。
同僚の話では、どうやらおじいちゃんを見て泣いちゃう人というのは少数派のようだ。
そうなの?
なぜわたしは、こんな気持ちになるのだろうか。
昨年の秋、アメリカ・ヨセミテ国立公園に行った。
クライミングを始めた当初からずっと憧れていた場所だ。
ヨセミテは、ハイカーのみなさんにとってもJMT(John Muir Trail)などあり憧れの地であると思うが我々クライマーにとっても、エルキャピタンなどの大きな壁を登るビッグウォールクライミングからボルダリングまで、幅広いスタイルのクライミングが楽しめる聖地でもある。
たくさんの歴史、ストーリーが生まれた場所であり、また、そこで生まれたトラディショナルなクライミングスタイル*は厳しいものだ、という話も昔から聞いていた。
「もっとトラッドクライミングが上手くなってから行こう」、「いまはまだその時じゃない」とか色んな言い訳をしていたら、気づけばこんな年齢になってしまっていた。
*岩の割れ目(クラック)に回収可能なギア(カムやナッツ)をセットしながら登るクライミングスタイル。登り方も、クラックに体のあらゆる部位をねじ込みながら登るため、技術が必要だ。
ちなみにカムを最初に発明したのはULハイキングの父祖といわれるあのレイ・ジャーディンだそう。
今回、思い切ってやって来たのは理由がある。
エルキャピタンにライフワークとして取り組んでいる女性クライマーに出会ったのがきっかけだった。
彼女のヨセミテへの熱い想いに感化され、「いつか」と憧れていたヨセミテへの想いは、「そうだ、いま、行こう。」に変わった。
サンフランシスコからレンタカーを走らせ、ヨセミテ国立公園に入ると威風堂々と聳える世界最大の花崗岩、エルキャピタンの姿には誰しもが歓声をあげるだろう。
わたしも例に漏れず、しかし、その心のどこかにはあまりのスケールの大きさに、完全に委縮している自分がいた。
海外遠征はコロナ禍前に行ったイタリア、ドロミテ以来でとても久しぶりだった。
昨年は40代も中盤に差し掛かった時期で、以前とは違う体の変化、体力不足を痛感していた。
エルキャピタンを見て感じた予感の通り、久しぶりの旅は、あたかも精神修行のようだった。
大好きだと思っていたクライミングが、辛い。
自分は本当にクライミングが好きなのだろうか?
毎日、自分の心と体に向き合う、終わりのない押し問答。
眠れない日々が続いた。
わたしは憧れの地で、完膚なきまでにたたきのめされたのだった。
そんな遠征から帰ってほどなく、同居している父が倒れた。
毎日、自宅から遊歩道を30分ほど歩いて、そこからバスに乗って趣味の碁会所まで行くのが日課なのだが、その道中で転んでしまうことが度重なり、病院に連れて行くとそのまま入院、手術となった。
7年前に母が他界し、男一人、やもめ暮らしをしていた父と、わたしたち夫婦で同居を始めて3年が経とうとしていた。
忙しく、あまり家にいない父との親子関係は薄く、母がいなくなって初めて父と娘の関係性がスタートしたといっても過言ではなかった。父の、頑固でせっかち、超が付くほどの亭主関白、自己中心的なところは昔から重々承知してはいたが、一緒に暮らすと嫌な部分がたくさん見え、倒れる直前には父から「親子の縁を切る」とまで言われるくらいの大喧嘩もした。そんな中での急な出来事。
体が丈夫で、大きな病気などしてこなかった父にとっては人生で初めての手術ということもあり、「いまは娘の言うことを聞くしかないか」と、やっと堪忍したようにも見えた。
わたしはといえば、これまで見たことのない、弱り果てた父の姿を見て思いのほか動揺し、居てもたってもいられなくなった。
その理由はもちろん父の心配もあるが
正直に告白すると、「介護」という先の見えない生活がのしかかって来るのではないか、という底知れない恐怖からくるものだった。
—「これまでのようなクライミング中心の生活は、もうできないのかもしれない。」と—。
そんな中、慣れない入院生活に痺れを切らした父は、体はヨボヨボなのに医者の許可無しに無理やり退院してくるという、ぶっとんだ行動に出た。
そして、私たちの新しい生活様式が始まった。
現在、父は寝たきりにはなるまいと、自分なりに懸命にもがいている。
当初混乱していた私も、少し落ち着きを取り戻し、父のことを優先にしながら今までできていなかったこと—本を読んだり、映画を見たり、新しいことを勉強したり—家族と家で過ごす時間にささやかな幸せを感じている。
そして、合間の時間でクライミングするのが、とても楽しい。
やっぱり、クライミングが大好き。
わたしの人生にクライミングがあってよかったと、心から思うのだ。
ヨセミテで感じた、自分の変化。
老いていく父の姿が、自分に重なる。
人生とは本当に、あっという間なのだ。
かわいいおじいちゃんを見て涙が出るのは、そんな人生の儚さと美しさを感じるからなのかもしれない。
いつか見た美しい光景を、老いても病んでいても心の中に映し出せる、そんな心を持った“かわいい”おばあちゃん。
そういうひとに、わたしもなりたい。
テキスト/安部亜希 写真/安部亜希、ショータ&エミリー
プロフィール
安部亜希(あべ・あき)
福岡市中央区で父と旦那と3人暮らし
パタゴニア福岡ストア勤務。休みの日はほぼクライミング。
座右の銘は「食う・寝る・登る」。宮崎比叡山にて