Echoes

連載脊振山麓の山小屋から

ニワトリの声で目を覚まし、
虫とカエルの声を聞きながら眠りつく。
あなたは山暮らしできますか?

3山との関わり合いで相思相愛に

山小屋暮らしを始める以前、ぼくは次から次へと山を消費するフードファイターならぬマウンテンファイターでした。

そんな言葉があるかどうかは別として、随分と自然を食い散らかしたような気がしている..

しかし、中山間地域に移住したことで、地主さんからの依頼で山中の竹林を整備したり、その翌年から同地域で15年開催されてきたトレイルランニングの大会を前主催者から引き継いだことで、大会コースとなる登山道を整備したりするようになったことをきっかけに、自然と人との共存や関わり合いについて考えるようになりました。

image 那珂川市の中山間地域「南畑」のシンボル成竹山から望む福岡市方面

正確には、それ以前からなんとなく考えることはあって、例えば木道などを見て「誰が設置をしているんだろうか?」とか、あれていた登山道が歩きやすく整備されてい流のを見て「自分もこういった整備を手伝いたい。」なんて、漠然と思ったりしていました。

実際には、関係する行政機関から依頼を受けた業者だったり、山岳会やガイド組織、山小屋だったりとまちまちですが、一般ハイカーが手伝うきっかけは非常に少ないように感じます。

image みんな大好きな雨ヶ池の木道

自然を楽しむ代わりに、自然やその維持や管理に関わる人たちに何か恩返しがしたい。日に日にそんな想いは増していくものの、なかなか機会には恵まれず、そのうちに中山間地域に移住することに。

里山の場合は国有林は少なく、多くの場合は地権者がいて、地権者自身または委託された業者などが管理を担うわけですが、中山間地域で暮らすようになると、関係人口現象による人手不足で管理が行き届かず、荒廃していく自然を目の当たりにしました。

ローカルな低山の谷に枯れた竹が折り重なる光景を見たことがありませんか?

極め付けはそこに不法投棄された大型家電、どちらも明らかに数十年と放置されているであろうそんな有様こそが、まさに日本の山の現状です。

ぼくは、それを横目で見て小さな違和感を感じながらも素通りするしかない一ハイカーから、地域住民という立場の一当事者となりました。

当事者となって改めて感じるのは、地域住民の山の保全に対する興味のなさというか、著しい山離れ。

昔は山中に炭焼き小屋や畑が無数にあり、大人は山仕事をして、子どもは山で遊ぶといったように、山と人々の暮らしは密接に関係していましたが、近代化に伴い、住民たちは山に入らなくなりました。

image 里山の随所に見られる炭焼き小屋跡

一度始まった山離れは深刻化する一方で、山は荒廃の一途を辿り、現在に至ります。

つまり、現代人は身近な暮らしに山を必要としなくなったわけで、じゃあ誰が山を守っていくのかと言えば、山を必要とする人間が守っていくしかありません。

山を必要とする人。それは一体誰なのか?

そう、ぼくたちです。

自然を愛し、自然の中で遊び続けたいと願う人々は、これからは自分たちの遊び場を自分たちの手で守っていかなければいけません。そういう時代が来ています。

自然を守る。一見大層な話に聞こえるかもしれませんが、まずはハイキングの際には、必ずゴミ袋を持参してゴミ拾いをするなど、小さなことからでも良いのです。

大切なのは、当事者意識を持ち、自分たちの遊び場は自分たちの手で守る。できることから始める。という気運を高めていくことです。

整備など各種団体が主催するトレイルワークなどに参加されるのも良いと思います。

ぼくが関わっているトレイルランニングの大会では、毎年の大会前に参加選手のみならず一般の方も参加可能な登山道整備を実施しています。

image 雨で土砂が流れ、通行しづらくなった斜面
image 木材を使用してステップを作っている様子

現在、トレイルランニングの大会は全国各地で開催されていて、多くの大会では荒れた登山道を通行しやすくするための整備や、新たなルート開拓など、それらの活動に参加してくれる一般ボランティアを募集しているので、そういったものはとても参加しやすいと思います。

ただ、こういったコース整備は、あくまでも選手が安全に通行しやすくするために行われる作業なので、自然を守る活動になっているのか?という点については、議論の必要があると思います。(特にコースの開拓や選手の通行だけに焦点を当て、盲目的に植物を除去していくようなコース整備は個人的に反対しています。)

「山は人が入らないと荒れていく。」

本当にそうでしょうか?(今さらですが)

人が歩けば、植物は踏み潰され、土は踏み固められ、生物の多様性は損なわれていきます。踏み固められた土は保水力が落ち、雨で土が流されていきます。これは自然界にとってマイナスではないのか?

「だから人が入らない方がいいのでは?」

人が入らなければ、人が手を入れなければ、道は荒れていき、竹やツルなどの生命力の強い植物が勢力を伸ばし、美しく健全な森は維持できません。

「それが自然の摂理では?」 「そもそも荒れるというのは、人間の視点なのでは?」

そんな風に深く振り下げようとすれば、何が必要で大切なことか分からなくなってしまいます。

でも、そういった疑問を持つことこそが、ぼくら一般ハイカーのスタート地点であり、それらをすっ飛ばして、自然への理解や共存は成立しないと思うのです。

image 昔ながらの暮らしが今も残るとある里山の集落

昔の日本人は今より人口は少なかったのに、自然と上手に付き合っていたようです。

しかしながら、時代を戻すことはできません。

だからこそ、自然を愛する人たちは、かつてのぼくように「まだ行ったことのない有名なあの山へ」「もっと眺望のいい山へ」と、次から次へ山を消費するだけでなく、まずはそうやって少しずつ山と関わり合うことが大切なように思います。

山と関わり合いを持つと、これまでになかった愛着が自然と湧いてきます。すると自然も私たちを受け入れてくれることでしょう。

自然と相思相愛の関係。最高じゃないですか?

テキスト・写真/松本謙介

プロフィール

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松本謙介(まつもと・けんすけ) 30代前半に夫婦で九州の山々を歩き出す。会社経営に行き詰まっていたこともあり、一人で自然の中を無心で歩くことが恰好の現実逃避となり、次第に昼夜を問わず連日のように山に通いつめるようになる。2019年から里山へ移住し、山行欲がすっかり減退。現在は自給自足を目指しながら家族や動物たちとのんびり暮らす。数年前からアシュタンガヨガに傾倒。

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