Echoes

連載クライミングは4足歩行

4足歩行に進化して 
岩を、山を、自分を、もっと楽しもう。

1手も足も使って、
4足で登ろう

I am a Rock Climber

「クライミングを始めて何年ですか?」と聞かれ、 「えーと・・・23年です」と答えたとき、そんなに長くやっているのか~、と自分でも驚いてしまう。我ながらよく飽きないなあと思うが、23年経った今も情熱は冷めることなく私の生活はクライミングがほぼ80%。あとの20%で仕事して、家ではほぼ寝たきり。クライミングのために普段は力をセーブしている。(旦那よ、こんな嫁でごめんよ)
今やオリンピック種目にもなってスポーツとして認知され、登山は全くやらないがクライミングだけをやる「クライマー」と呼ばれる人たちもとても増えた。
しかし、20年くらい前までは「クライミングは、登山のトレーニングとしてやるもの」という大前提のもと、その愛好者はほぼ全員が登山する人であった。
バリエーションルートはもとより一般登山道でも、岩場やガレ場など、難所といわれるような場所は出てくるもので、クライミングを練習することで登る技術のみならず、ロープワーク、ルートファインディングなど総合力が培われる、と。
私も例にもれず、登山をきっかけにクライミングにのめりこんだタイプなのだが、この10年以上はいつのまにか山には登らず、岩にばかり登っている。
――岩登りを練習すれば、登山の幅は広がる――
そう思ってやっていたはずがいつのまにかクライミング自体が目的になっている・・・
目的と手段が時に入れ替わることは良くある話だが、それにしても、岩登りが楽しすぎて、山のこと、すっかり忘れて久しくなったなーと気づいた今日この頃である。
ちなみに、クライミングには山に登る手段としてのアルパインクライミングをはじめ様々なスタイルがあるが、現在私が主に取組んでいるのは山頂を目指すのではなく、岩壁に設定されたルートを登る『スポーツクライミング』と呼ばれるものである。

image 岩と自分と向き合う時間

Turning Point

地元では「お嬢様学校」と噂される某女子校で幼稚園から高校まで育ったこともあり、わたしは蝶よ花よ、とかわいがられたTHE箱入り娘であった。
そんなわたしが大学生になり、軽い気持ちで地元の山の会の入会体験会に行ったのが幸か不幸か、運命の分かれ道。
宝満山に集合。ハイキングのつもりだった。のだが、
「はい、これ、つけて~」
夏なのに、アイゼンを装着して羅漢沢を登るというのだ。アイゼンも初めて見るもので、存在すら知らなかった。
なんとか装着し、ちょろちょろと水の流れる沢を登っていく。
登山道がすぐ横にあるのに何故わざわざ道ではないところを登るのか・・・???
やっと山頂に着いたと思えば、山頂直下の切り立った断崖絶壁をロープで懸垂下降して降り、クライミングしながら登り返す、ということをやり始めた山の会の人たち。
初めてみる光景にただただ唖然としているうちに、気づいたら断崖絶壁の岩に必死でしがみついていた。
実はその時のメンバーはヒマラヤ遠征に行く前のトレーニングをしており、それになぜだか私のようなまったくの初心者が参加しちゃった、ということだったのだが。
覚えているのは、お気に入りのピンクのカーディガンが岩で擦れて破れてしまったけれどそんなのお構いなしで、とにかく必死だったこと。そして家に帰り、擦り傷だらけの手と破れたカーディガンを見て、「ああ、また岩にしがみつきたいなあ」と思ったこと。
思えばその日を境に、私の人生はすっかり変わってしまった。

image 宝満山山頂直下には岩場がいくつかある。キャンプ場方面にある「稚児落とし」と、上宮の裏側にある「東南壁」だ。東南壁は、写真の場所から懸垂下降で降りると高度約50ⅿのスケールがある。昔から岳人が人工登攀の鍛錬をする場所でもあった。
※現在はボルトの腐食など進んでいる可能性あり、注意が必要。

「普通」の基準が変わっていく

その後、山の会に入会し、ヒマラヤ遠征組に混じってロープワークと岩登りを仕込まれ、厳冬期も含めいろんな山に行くようになる。
宝満山で見た、特殊な光景は日常となり、普通のこととして自分の中に取り込まれてゆく感覚…これを洗脳というのだろうか?
思えば、宝満山であの時、普通の登山をしていたら、クライマーにはなっていないかもしれないと思うと、人の運命は出会いとタイミングで決まっていくのだなと不思議な気持ちにもなる。
それまでブランド大好きな女子大生だった私は少しずつ別人になっていった。
身体も変化した。いろんなところが筋肉質になり、手は筋張ってごつごつになった。
母には「白魚のような手だったのに・・・」と嘆かれた。
家族はみんな驚いていたけれど、一番驚いていたのは自分かもしれない。
子供のころから極度のビビりで、近所の動物園ではいつまで経ってもオラウータンの檻には近づけなかったし、海でも山でも、怖がって早く帰りたいといつも泣いていた。
そんな私がクライミングなんて、いまだにどれが本当の自分なのか分からなくなるが、「根っこはビビり」ということで何ら変わっていないと思う。 今でも、いざ登ろうというときにおなかが痛くなったり、憂鬱な気持ちになることが良くあるし、そんな時、私ほんとはクライミングが嫌いなのかな?と思うこともあった。
そんな時は、一つの呪文を唱えるようにしている。
「やるかやらないかは、私が決める。やりたくないならやらなければいいし、やりたいならやればいい。どっちでも構わない。でもそれを決めるのは私だ」
私はもともと依存心が強いのだと思う。それが、この呪文を唱えるだけで、よし、やろう!という前向きな気持ちに切り替わっているから不思議である。

image マイホームの「日向神」(福岡県黒木町)

進化か、退化か

宝満山ではじめて感じた「必死な感じ」が病みつきになってしまった私。
2足歩行の登山やトレランでは得られない特別な感覚がそこにはある。
それは手も足も、4本すべて使って、岩に顔や体を押し当てて登ることによる必死感からくるものだと思う。同時に「生きてる」ことを体感する。
クライミングはメンタルがかなり多くの部分を占めるスポーツだ。怖いのに、次の一手を出す。腕は乳酸でパンパンに張っているのに、叫びながら次の一手が出せたとき、自分の成長を感じる。
クライミングは「やる」という決心が必要だ。それは少しだけ登山に比べるとハードルが高いことかもしれない。でも、自分の成長を感じやすく、それが楽しみにつながる。
ハイカーの皆さんにもぜひ一度はやってみてほしい。それがあなたのTurning Pointになるかも、しれない。

image 2足歩行の旦那との新婚旅行は私のごり押しでフランス・フォンテーヌブローでボルダリング
image 好きなスタイル、旅+クライミング。台湾・台北からバスで1時間弱の岩場『Long Dong』にて。
image 2020年、イタリア・ドロミテでは登った後にトレラン
image クライミング友だちと朝まで飲んでそのまま登りに行った日。まだ酔ってたね。

テキスト/安部亜希 写真/安部亜希とクライマー仲間たち

プロフィール

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安部亜希(あべ・あき) 福岡市中央区で父と旦那と3人暮らし
パタゴニア福岡ストア勤務。休みの日はほぼクライミング。
座右の銘は「食う・寝る・登る」。宮崎比叡山にて

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