Echoes

連載ドルイのきろく

山の上の城をめぐり歩く、
九州ドルイクラブのハイクレポート

1九州ドルイクラブとは

image 林の中に数人:残る遺構と今。タイムスリップにも似た感覚を覚える。

ドルイクラブ始動

このクラブは山好きでギア好きの男達に、城と歴史を加えると必然的に山城行くよねって、そういうクラブなのである。 男というものはルールが大好きだ。そのルールにのっとって行動を起こし、その範疇の中で考える。逆にルールのない自由な状態では、何をしていいやら迷っちゃう。それは子供の頃からの教育で叩き込まれたのか、島国に住む日本人が持つ性分なのか…。そんなことはどうでも良くって、いや、良くは無いんだけど、コレを山に例えると、1日だけ休みがあったとして、山には行きたいんだけど、ただ単に近場の低山を日帰りハイクするだけでは少々物足りない。もう何度も通った九重や霧島へっていうのも刺激にかける。んじゃ、季節ごとの花や景色を求めて掻い摘んで歩くというのも男心をくすぐらない。その領域はもっと歳をとってからにとっておこうと思っている。そんなこと言うなら、トレランやクライミングでもやれよって話でしょうが、ぶっちゃけそんなに体力無いし、そこまで求めてもいない。さぁ、そろそろ手詰まりかって時に、城と歴史が好きな男達が集まると話題に上がるのは「山城」だった。

image 石垣の上のパイセン:道を外れ、藪漕ぎするとこんな石垣に遭遇することも。

山城とは読んで名の通り、山の上に築かれた城。僕らの普段街中で見る城は、江戸時代に築かれた政治的な役割を持つ平城と呼ばれるもので、それ以前に山ならではの自然の起伏を利用し防御施設に特化して築かれた城だ。歴史好きだったら低山は、そんな山城の宝庫ということくらいは知っている。僕たちが、普段登ってる立花山も宝満山も山城だし、登山道を歩いているときに垣間見える、明らかに人工的に削られたような地形は普段から気になってどうしょうもなかった。登山道を離れて一人で山深いところまで行くのは迷いそうで心配だけど、みんなで行けば怖くない!これまでの登山の経験と知識で補って、みんなの力を合わせた発想でクリアして行こう!目指せ、山城!そんな安易な気持ちからドルイクラブは始まった。ちなみに、ドルイクラブの「ドルイ」とは、どの山城にも共通して存在する土を積み上げた地形「土塁」から由来する。

image 整地された山頂:たまには整地され、地形が丸見えの遺構にも出会う。

歴史とハイクのナイスブレンド

室町後期からの戦国時代、日本は下克上が盛んな無法地帯と化し、それぞれの豪族がその地域を収めていた。見晴らしの良い高台は格好の見張り場で、そこに櫓を建て周囲を見渡し、海から来る敵の帆船、はたまた遠くの山から湧き上がる狼煙、山を駆け上がる兵達など、周囲の動向を見渡す情報収集の重要拠点として存在していた。山には煮炊きすのにも明かりを灯すのにも重要な燃料となる樹木が生い茂り、谷に降りれば豊富な水がいつでも湧いていた。そして何より、尾根に上がる険しい勾配は敵の侵入を防ぐ要塞を構える場としてはうってつけであった。
あらら、ちょっと待てよ、少しばかり堅苦しい話になってる。掘り下げていけば、どんどん小難しいことになっていくことは分かっているんだけど、歴史とハイクをいいバランスでブレンドして、誰でも楽しめるようにって考えているのが我らドルイクラブ。それは、資料も乏しく、歴史からも忘れ去られようとしている当時の痕跡を見つけるために山に分け入る、極めてロマンに溢れたハイクの形なのだ。では、具体的に僕らの活動スタイルについて話していこう。

image 模型:地元の資料館には立体版縄張り図や、当時の資料なども豊富。

ドルイの流儀

山城に行こうってなった時に、まず初めにその対象の城を十分に下調べしておかなければならない。現場でただフーンと、容易に想像できた風景を見渡して終わるだけじゃ面白くない。ネットの情報や書籍をたどっていくと、縄張り図なるものに行き当たればしめたもの。縄張り図とはその城(時には、山全体)の設計図だ。これは個人、または教育委員会などが調査し書き上げたものがほとんどである。縄張り図には、「ここに屋敷があった様な平らな地形があって、その淵に組み上げた石垣があります」「斜面の頂点には投石や弓を打ちやすくする隠れ場として土を盛った土塁があり、斜面に人が登りにくい様に加工した堀切などの地形がここにあります」っていうような事が地図上に書き起こされてある。そして、僕たちは、それらの情報を元にコンパスと縄張り図、国土地形図を片手に携えて、山に入り、たまには藪を越えて歩くというスタイルが確立されていった。

実際に山に入ってまず驚くのは木々や植林の生い茂り方だ。手元の縄張り図には真っさらな平らな地形が描いてあるのに、現場ではボーボーに生えた雑木林なんてことは少なくない。まずは冷静にこの山がまっさらなハゲ山だと思って地形だけを読む。これは唯一の必須スキルかもしれない。これができないと全てが分からなくなってしまうし、ただ普段の山登りだと勘違いしてしまうかもしれない。序盤に書いたとおり、電気もないこの時代は樹木は貴重な燃料であったため切り倒して薪や明かりに使っていたので、地図で見るこの場所は整地されて何も無いはず。これが読めてくると、縄張り図がドクドクと音を立てて頭の中に入ってくる。「この地面の膨らみおかしく無いか?」「お!ここに井戸跡が!」「パ、パイセン!ここに畝状竪堀があります!」「そしたら今はこの場所にいて、向かう天守台はあそこか!」いわば、当時、城を奪い合う兵の気持ちとシンクして行く山登りだ。これがドルイクラブの醍醐味なのだ。

image 縄張り図:縄張図とコンパスの標準装備。これは市町村のHPからゲットもの。

下調べが肝心です

僕たちのような歴史好きは城めがけて山に登ることを「攻城」、逆に城から里へ下ることを「落城」というが、それだけではもったいない。ここの山に城がある所以や、この山の麓の人々の生活を調べないと。まずは付近に点在する他の山城の調査。敵対する勢力の城があったり、見張りや先鋒の役割を果たす出城が散らばっていたりと様々だ。城が築かれる山というのは麓の屋敷から日常的に人が登れるくらいの距離でないといけないので、意外と一つの城当たりのコースタイムは2、3時間以内で済むことも多い。昼前に1城終わってしまうことも多いので、そんな時のために、もう1城行ける山だったり、知識を深めるために立ち寄れる付近の資料館などについても下調べしておかないと、近くを通ったにもかかわらず、見逃がしてしまうことも多い。
最後に一つ付け加えておくと、ご当地グルメなどももちろん事前に調査しておくが、福岡で活動しているので結局うどんで終わってしまうことが多いのでここでは割愛しておくことにしよう。

今回の文章は初回ということで、ドルイクラブとしての全体的な説明とした。九州ドルイクラブをはじめて2年になるが、ちょうど1年目の節目にハッピーハイカーズバーで話す場を与えて頂き、それまでプンプンしてた男臭い雰囲気から脱出し、男女問わず沢山の興味を持った仲間に出会えることができた。そしてパワフルになった九州ドルイクラブ。基本、月一開催を目指して日々活動してます。次回からはそのドルイクラブの活動をレポート的な内容で紹介していく予定です。お楽しみに!

テキスト・写真/平野泰祐

プロフィール

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平野泰祐 元法華院温泉山荘スタッフ。山岳誌のライターやカメラマンを経て、現在は石井スポーツ福岡店勤務。休暇のたびにくじゅう帰る山の人。

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高田英幸(a.k.a.パイセン) 九州中心に山を登る週末ハイカー。低山歩きの中で目にした朽ち果てた石垣に滅びの美学を感じ、古城を訪ね歩く。
ハッピーハイカーズスタッフ。

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