Echoes

連載ドルイのきろく

山の上の城をめぐり歩く、
九州ドルイクラブのハイクレポート

2名もなき山に眠る長野城

image これから始まるドルイクラブ。一歩一歩あゆむたびに当時の攻防を思い描く。

ファミリーで賑わうその裏には

今回紹介する山城は福岡県北九州市にある「長野城」。

長野城のある山は、現在は登山の対象にはなっていない。山城見物以外に登る人がいないので山名もない。しかし、名もなき山にひっそりと眠るこの長野城は、西日本随一の畝状竪堀(うねじょうたてぼり ※山頂部からの斜面を波状につくられた地形)を誇る山城で、その数は、なんと200以上。山城好きなら一度は見ておきたい見所満載の山城なのだ。

いつものようにパイセンが、歴史考察をもとに山城をピックアップし、近隣の資料館やグルメを調査する。私は、登山口までのアクセスや、縄張り図と国土地理院の地図をプリントアウト、というドルイクラブお決まりの事前準備を済ませて、いざ当日を迎えた。今回のドルイクラブは、パイセンと私に加え、主要メンバーであるリョータロさんとホダプン、そして、活動に興味を持ってくれた友人たちもやってきて、合計13人という大所帯となった。

長野城の麓は、現在では広々とした芝生の長野緑地公園が整備され、今日も子連れのファミリー層で賑わっているが、まさかそんな遺構の残る山城が裏にそびえてるなんて知るはずも無いだろう。登山口は公園から程近い林道のゲートにあった。そこで集合した私たちは、事前に用意した縄張り図をもとにさっそうと山城を目指した。

image 地形の起伏は防御の要。見落としがないか周囲を伺う。

ひっそりとした低山の山頂

東九州道、長野トンネルの真上に位置する長野城は、その城郭を囲うように林道が整備されていて、登山口さえも見失うほど景色の変わらないスギ林の植林地と砂利道の登りが延々と続いていた。

幾度となくカーブを過ぎた頃、「お、入り口!」と、見落としそうな斜面の踏み跡と目印のテープを見つけた。

私は、長いこと山小屋生活を送っていたせいか、歩く道筋のちょこっとした地形の変化や、草陰にいるカエルを見つけたりするのが得意だったりする。あたりに案内板は特にない。滅多に人が訪れることも無い低山ではよくあることだ。私たちはまず、縄張り図を手掛かりに自分達の位置を確認した。周囲を見渡し、不自然な地形がないか確かめながら進む。山城への道は、読図力も幾度となく試されるのだ。

段々畑のように整地された地形を読み取りつつ、向かうは縄張り図の示す本丸らしき平らな台地。

image 立ち止まっては縄張り図の読図訓練。

ドルイクラブでせかせかと先陣を切って歩くのは、若手に当たるホダプンと私の仕事だ。
「あ!パイセン!これって竪堀っすか??」「お!あった?」
前方を行くホダプンが気づき、皆で確認。尾根上に登る斜面に一筋の凹みが伸びていて、私たちは、その脇を気付かずにずっと歩いて来ていたのだ。
しばらく行くと、尾根道を遮る堀切(ほりきり)がすっかり当時の雑兵に成りきった私たちの足取りを止める。堀切というのは尾根に対して垂直に地面を分ける溝の事で横堀ともいう。尾根づたいに攻め入る敵の侵入を防ぐ効果がある。私たちは、一段下の溝に降りては、また登り返すということをしばらく続けた。「普段はここに木の板をかけて橋にして、いざという時ににスパッと切り落とすトカゲの尻尾の様な役割を持たせてあった!」と後ろから見事な解説とともにパイセンが追いついてきた。

本丸にあたる山頂部は、今まで何度か通った小さな台地(出丸)よりも広々としたところで、中心部の脇にお地蔵さんが祀られていた。近くの木には「本丸跡」と書かれた看板があった。きっと私たちの様な、いや大先輩にあたる山城マニアが木にくくりつけたのだろう。相変わらず周囲は杉林で囲われ、陽の光も薄っらとしか届ず、展望もない。登山としては魅力に欠けるひっそりとした低山の山頂であった。

image 畝状竪堀群。過去の地形を読み取るのみ。

異様な風景が広がる

山頂で縄張り図を囲み、皆で一休みした。こっちじゃない、あっちじゃないと縄張り図をくるくると回転させ、ようやく落ち着いたころにリョータロさんがひと言。「あっちの方向、なんかあるよね?」そう。この山城の醍醐味である畝状竪堀だ。西日本随一と呼ばれる所以が本丸の脇を取り囲んでいたのである。樹々の下に広がる細かな地形を読み取ると、二の丸まで続く尾根づたいに異常なまでに延々と連続する畝状竪堀が。畝の上を走ってみたり、凹みの中に立ってみたり、メンバーはそれぞれの楽しみ方で400年ほど立った今でも変わらずに残り続ける当時の戦の痕跡を楽しんだ。私はこれほどまでに防御の必要があったのかが不思議で、もしかしたら城主は異常なまでの畝城竪堀オタクだったのか?それとも物凄く戦に対して臆病だったんじゃないのか?とかチンプンカンプンだった。とにかく写真に撮ってもなんのことだかわからない光景が眼下に広がっていて、言葉では伝わりにくい異様ともいえる風景だった。

地図からは読み取れない山の形や立地、そして雰囲気などはそこに入った者しかわからない。ましてや日本の温暖湿潤な気候上、すぐに変貌する表面の地形。夏には草木が生い茂り、冬は薄っすらと雪が覆う。そこを現場で楽しむのが山城探検の楽しさでもあり、ドルイクラブなのである。

最後に付け加えておくと、長野城の精巧な模型は北九州市立埋蔵文化センターに、長野城の畝状竪堀群を舞台にした攻防戦がよく分かるジオラマが北九州市立いのちのたび博物館に展示されています。どちらも素晴らしい模型なので、ぜひご覧になってください。

image いのちのたび博物館で繰り広げられる過去の長野城。

テキスト・写真/平野泰祐

プロフィール

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平野泰祐 元法華院温泉山荘スタッフ。山岳誌のライターやカメラマンを経て、現在は石井スポーツ福岡店勤務。休暇のたびにくじゅう帰る山の人。

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高田英幸(a.k.a.パイセン) 九州中心に山を登る週末ハイカー。低山歩きの中で目にした朽ち果てた石垣に滅びの美学を感じ、古城を訪ね歩く。
ハッピーハイカーズスタッフ。

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高口穂高 ハイキングもクライミングもどっちも一年中楽しみたいが故にどちらにもなりきれないハイカーでありクライマー未満。ドルイクラブでは常にオカルト目線で活動しています。

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吉田亮太郎 シンプルなスタイルでの山行きを構想実践するのが日々の糧。ギア大好きウルトラライト大好きおじさん。

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