Echoes

連載ドルイのきろく

山の上の城をめぐり歩く、
九州ドルイクラブのハイクレポート

3山の島にて歴史を歩く

  • 今回登った山城(時代)
  • 金田城(古代・近代)
  • 清水山城(安土桃山)
image 朝鮮式山城・金田城の一ノ城戸にて。

今回は先日、対馬で登ってきた二つの山城について報告します。これまでにこの連載で使った城についての用語は説明せずに記載しますがなるべく平易な内容を心がけます。

裏山にある石垣の城

まずは福岡からフェリーで5時間弱、高速船であれば2時間強で渡ることのできる対馬について。唐突ですが、あの魏志倭人伝でも記述されている対馬は「居る処は絶島で、土地は山が険しく、深林が多く、道は獣の径(みち)のようであり、千余戸の家はあるものの、良田がないので海産物を採集して自活し、船による南北の交易によって生活していた(Wikipediaより)」とあります。このことからも、対馬は、島でありながら山域と捉えることができるでしょうし、実際に訪れてみると、まさにそのように感じました。ただしそれは自分たちの目的が山城巡りであったからで、もちろん海や食など多くの魅力があります。対馬は、広くて深い世界でした。

さて、15時くらいに対馬の厳原港に着いたドルイクラブの一行は軽く腹ごしらえをしてから、まずは清水山城に向かいます。レンタカーのナビに行き先をセットし、いざ出発してみると登山口はあっという間で、厳原の街中からは歩ける距離でした(笑)。やはり事前の下調べは重要で、おろそかにするとどうなるのか、それは登ってから痛感することになります。

簡単に『清水山城』について紹介しておきますと、文禄・慶長の役、いわゆる朝鮮出兵に際し1591年に築城された山城です。地方の豪族や領主が築いた多くの戦国山城とは異なり、当時の日本の最大勢力であった豊臣秀吉の命によって築かれた城でありその規模もまた比例して大きくなります。立地やアプローチは裏山のようであってもその縄張りは当初の予想を超えていました。

登山開始からほどなくしてやや小ぶりな曲輪(削平地)の脇を抜けていくのですが、これを早くも「三の丸かな」と勘違い。そんな一行なので次に見えてきた石垣と開けた曲輪を見て「二の丸」だとさらに勘違い。とはいえ、本当は「三の丸」であるこの曲輪は見晴らしがよく石垣も算木積みなどが見られ、こちらのテンションは一気に上がります。ここからは厳原港が見渡せるようになっていてこの城の役割を如実に物語っていました。基本的に山城というものは防衛に適した見晴らしの良い山に築城されます。

image 清水山城の三の丸、石垣跡。この時はまだここを二の丸だと勘違いしています。

僕らは、ドルイクラブのリーダーである通称パイセンの歴史トークを聞きながら、尾根に沿って細長く削平された三の丸をずいぶん時間をかけて見たあとで「本丸」へと向かいました。しかし実は本物の「二の丸」がまだこの先にあり、さらに「本丸」までは往復&見学で2時間近くかかることにようやく気づきます。
ということで、時間的に本丸へ行って帰ってくることは無理と判断し、あえなく三の丸までで清水山城に敗退した一行は下山してその日のテン泊に備えることになりました。ちなみに「本丸」はさらに眺めが良いということでリサーチ不足が悔やまれます。

image 白嶽を望む。そこへ行ってみたいなと思える存在感があります。

信仰の山へ

対馬での二日目はドルイクラブとしての活動はせずに、島を代表する山である白嶽に向かいます。こちらの山頂からの眺望は本当に素晴らしいので少しだけ紹介したいと思います。古来、信仰の対象である白嶽は山頂が二つに分かれている「双耳峰」で、僕らが登ったのは西岩峰(雄岳)です。山名は石英斑岩の色に由来していて、車で向かう途中に見えた姿は、ハッキリそれとわかる山容で「特別な」印象を受けました。登山の途中で見渡した植生も普段知っている低山とは違い、より自然を感じさせてくれます。
やや注意が必要な岩場を手も使いながら登った山頂からは360度見渡せて、リアス式海岸を含む浅茅湾など印象的な眺めは低山としては抜群と言えるでしょう!

image 白嶽山頂からの眺め。タイミング良く晴れて、奥には浅茅湾が見えます。

二つの時代をつなぐ山城

最終日は『金田城(かなたのき・かねだじょう)』のある城山を目指します。前日の白嶽と同様に登山口までには幅の狭い車道を通っていく区間があります。
こちらはまず古代山城としての認識があり、個人的に好きな福岡の四王寺山が朝鮮式山城と分類される古代山城『大野城』の外周土塁を周回するコースなので、そのイメージが予断としてありました。
7世紀に起きた「白村江の戦い」以降の軍事的な緊張から、西日本の各地で築造された朝鮮式山城のひとつである金田城は、現在では整備された登山道で城域まで登ることができます。その登山道は軍用道路として造られたという成り立ちがあり、こちらもまた日清戰争後の20世紀初頭に山頂に砲台を建設するために造成され、完成後は輸送に使われたということです。その事実を考えながら登ると不思議な気持ちになり、遠く離れた二つの時代でその有用性を認められた数奇な場所にいることに少なからず感慨を覚えます。古代では防人たちが遠く離れた故郷を想い、近代でもやはり徴兵された兵士たちが来るべき海戦に向けて駐留していた。『当時の兵士たちは古代の遺構を前に何を思ったのか』、などと思い巡らせることもまた楽しいものです。
ちなみに本稿をまとめる際に少し調べたところ、江戸時代の寛政期にも外国船への備えとして修築されたとのことで、さらにこの城の歴史の厚みを感じました。

image いよいよ金田城へ。黒瀬湾が奥に見えてこの城が「海の向こう」を意識したものだと思えます。

さて、明治期の遺産のおかげによる快適な山行は、40分程度で海側の遺構に向かう分岐になる東屋に着いたところで一旦終わりとなり、ここからいよいよ金田城の探索です。この城は石塁に見所が多くあり、土塁を巡らせている大野城とは趣を異にします。この城がある「城山」は岩山で石塁を築くのに適していたのでしょう。そしてその石塁がどちらに意識を向けられているのかというと、それはもちろん海岸線に対してということになります。内陸にある大野城は籠る役割を有していますが、こちらの金田城は防衛の最前線での監視と有事には迎え撃つための砦だという印象を受けました。ところで、前述の清水山城では「石垣」としこちらでは「石塁」としていることに気づかれたでしょうか? この二つは工法に違いがあり、前者は盛り土と石を用い、後者は石のみで築かれたものになります。何気なく見ている城跡の案内板にも多くの気づきがあったりします(「大宰府」と「太宰府」の違いとか)。
以前にもここに来たことがあったパイセンも、今回のように城の各遺構をじっくり見るのは初めてということでいろんな気付きがあったようだ。『前来た時は上から見ただけだったけど、下から見上げると要所要所が石の塊!谷の箇所も土塁で繋いでるし大陸(中国、朝鮮)からの侵入は許さないっていう7世紀の国家威信がビシビシ伝わってきますねぇ。』としみじみ呟いていました。

image 金田城の三ノ城戸で案内文を熱心に読むパイセン。

崩落している箇所も少なくないですが、そうした朽ちた城跡というものにむしろ魅力を感じます。実際に城内から黒瀬湾を望むと、ただの風景とは違っていろんな想像が浮かんでは消えていきます。海の向こうを意識したこの城が異なる時代であらためて同じ役割を担うことはすでに述べた通りです。金田城を堪能した一行は古代から近代への歴史を歩みます。
分岐の東屋から山頂に向かう途中の登山道にも軍用道路としての作意があり、つづら折りになっていたり、排水のための側溝があることに気づきます。ただ登っていくだけで済まないのはパイセンの注釈があるおかげ。だから登りながら「どうやって重い砲弾や砲身などを運んだのかな」「人力なのか」「いや馬車だろう」などと話しながら砲台跡に向かうのでした。
砲台跡につき、レンガ造りの建物など近代的な遺構を見ると、ついさっきまで古代の遺構を見ていたのに今はこうして100年前の対馬要塞の一角にいることがやはり不思議です。ただし、こちらはより軍事施設を感じさせるので、あまり居心地は良くないものですね。それでも砲台跡を見て、当時はどうなっていたのかを思い巡らせながらしばらく滞在して下山することにしました。ちなみにこの砲台跡の少し先が城山の山頂ということです。とぶひはそこに設けられていたのかもしれないですね。

さて、今回のドルイクラブはイレギュラーな形で事務局メンバー4名での行動となりました。僕は初めての参加だったのでドルイクラブの山行がいろいろ新鮮だったのと、対馬そのものも楽しめてまた行きたいなと思える良い小旅行でした。

テキスト/内田タケハル 写真/高田英幸(a.k.a.パイセン)、ヤマサキナミ、松岡朱香、内田タケハル

参加メンバーの感想

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  • 高田英幸(a.k.a.パイセン) 5年ぶりの対馬旅は初めての山(城)、再訪の山も以前来た時より深く掘り下げて体感できました。対馬から韓国まで海を隔てて50km(しかない!)、お互い交流したり、時には反発したり…改めて見えない国境が人と遺跡を通して見えてきた気がしました。
  • 内田タケハル 別に歴史のことを知っていなくても山は楽しい。そして知っていればより楽しめるということをあらためて感じました。そして対馬では当然ながら会えなかったツシマヤマネコを見るために福岡市動物園へ行ったり。
  • 松岡朱香 1300年も昔に作られた城址に、100年前の人たちが道を作り、そこを「すごいね」なんて言いながら現代の自分たちが歩く。こうやって歴史は連なっていくのかな〜なんて積み上げられた石を眺めながら思ったり。
    対馬にはシカとサワガニがいっぱいいました。
  • ヤマサキナミ 歴史には詳しくないけれど、昔の人の痕跡を見つけながら歩くのって楽しい!
    詳しすぎるふたりの解説(雑談)を聞きながら歩くと、昔の風景をリアルに想像できました。こうゆう山歩きもとても楽しいですよ。
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