Echoes

連載役に立たない道具の話

機能やスペックは出てこないモノ語。
けれど山道具には、それ以上の“役割”が、きっとある。

1「コッヘル」けんか、してますか?

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私のじゃ、ない。

「入れ替わってる…」。そう思い始めると、もうどうしようもなかった。
山仲間のA子と、全く同じ山用のマグカップを持っていた。ある日、互いのカップが入れ替わっていることに気づく。スノーピークの「スタッキングマグ雪峰H300」。チタン製のダブルウォールタイプで、15年ほど前に初めて自分で買った山の食器だ。わずかにざらついた表面の感触と、ハンドルのない湯呑ゆのみのような形が気に入っていた。保温効果を高めるために、別売りのふたも購入。両手で包み込むように持つと、ザラッとした肌触りが手になじみ、より温かく感じた。山に行くときはいつも一緒。寒いテントの中でカップを手にすると、まるで水晶玉に触れたように過去の山行が目の前に浮かんだ。しかし、その日は違った。感触が微妙に違うのだ。なんだかツルっとしている。「入れ替わってる」。そう思い込むようになった。

image お揃いね、なんて気持ち悪いことをした覚えはない。お互いに真似されたと思っている。登山用具に記名は必須。

絶対に、私の。

それからというもの、同行する山の休憩ごとに言い出すタイミングを見計らった。そしてついに、「それ、私のと入れ替わってる気がする」と打ち明けた。すると予想外の答えが。「いや、車から落とした時にできた傷があるけん私の」と。そんなはずはない。久しぶりにそのカップを手にして確信したのだ。やっぱりこの感触。もっと言うと、私にとってはこれが唯一自分で買ったコッヘル※だった。我が家には、亡き父が少しずつ揃えたコッヘル類がある。そのラインナップが完璧であるが為に、自分で新たに買い足す必要が全くなかった。しかし、それらは古いアルミ製のものばかり。チタンだとか、ダブルウォールだとかいう気の利いたものにあこがれた。だから余計にそのカップを買うときは、厳選したし自分の選択に満足していた。

対してA子は、山道具屋ができるんじゃないかというくらい道具持ちで、コッヘル類も選べるほど持っている。そのカップも毎回使っていたわけではない。現に、この二つのカップの明らかな違いに気づいていないじゃないか。傷をつけたのが入れ替わった後だったらどうだっての。要するに、思い入れが違うんだっつうの。完全に自分の都合がいい方にしか考えが及ばない。私より若干大人な彼女は、しぶしぶ交換してくれながらも、「この傷、かっこよくて気に入っとったんやけどなぁ…」とつぶやく。その言葉が着火剤となった。私「じゃあ、私が自分のじゃないって思い続けながらも、それをずっと言わずにいた方がよかった?」。A子「それはそれで嫌だけど、私もこれから使いながら自分のじゃないのになぁ…って思ってしまいそう」。私「じゃあ、両方あげる。私は全く別のを買うから」。A子「いやいや、それはおかしいやろ」。私「じゃあ、どっちもちょうだい」。A子「……」。自分でも、おいおい何言ってんだと思ったがもう止まらない。この後はもう小学生以下である。また始まった、山中限定の小競り合い。

image 父から譲り受けたコッヘルセット。
image クッカーメーカー“エバニュー”の旧ロゴは、エバーとニューの間にスペースが!「いつも新しいなにかを追い求める」という企業理念に納得。
image 鍋に10個のクッカーが収まるが、それぞれのメーカーが違う。スタッキングできるものを少しずつ揃えた様子。

Sピークをも巻き込む

無事にカップを取り戻すことができたが、半ば強引に決着をつけた感があり、なんとも気持ちが悪い。引っ込みがつかなくなったこの押し問答は、日本が誇るかのアウトドアメーカー“Sピーク”をも巻き込むことに。
私「Sピークさん、このままでは大切な山仲間を失いかねません。この表面に違いが出たものの製造年を教えてはもらえないでしょうか?」(探偵ナイトスクープ風に)
Sピーク「お問い合わせいただきました雪峰マグH300の製造時期に関しまして大変に申し訳ありませんが、確認が難しいものとなります。お知らせいただいている金属面の状況ですと、製造年というよりは製造ロットで個体差がでるものの可能性もございます。同じ製造年の中で1月と12月ではその時期の生産ロットで、僅かながら違いの出るものもございますので……」
もういいのSピークさん。ごめんなさい、答えは分かっていました。お返事をもらって分かったんです私。カップのことを知りたかったのではなく、本当は私…、A子との仲直りの仕方を聞きたかったんですきっと!お忙しいのにごめんなさいね。

image 自分がモンスターカスタマーになるなんて、登山用品を売っていた頃は思いもしなかった。変な問い合わせをして本当に申し訳ないです、Sピークさん。

どちらかあればそれでいい。両方揃えば最高。

日頃から、喜怒哀楽の“怒”が極端に影を潜めている。安倍政権と原発再稼働に比べれば、たいていのことは笑って許せる。そんな性格をつついてくれるのが山や山道具たち。いつもヘラヘラ笑っている私の耳元で、「逃げんのか」とささやく。山に関しては譲れないことだらけ。その方がいいのだと、A子とのけんかが教えてくれる。
 彼女とはいつもこんな風で、道に迷えばけんかになるし、雪に埋もれればけんかになる。何度も危険な目に遭ったが、そんなとき隣にいるのは決まってA子。けんかもするけれど、10分後にはそのことを思い出して二人で腹を抱えて笑っている。言い合うほどに、自分たちの本当に登りたい山に近づけているような気がした。山で思ったことはどんなことでも隠さずに伝えよう。その度に心に誓った。Sピークの返答をA子に報告すると、「ふーん。でもあれ、私のやけどね」と言われ振り出しに戻る。

手放せない山道具と、けんかできる山仲間を手に入れると、いよいよ山を下りられなくなる。

※コッヘル=登山用の食器類

次回「ザック」

image 「そろそろ行こうか」と、春が来れば互いに行先を確認せずとも足が向く井原山。ここではケンカも起きないマイ サンクチュアリ。

テキスト・写真/米村奈穂

プロフィール

imagePhoto by Miko Yoshida

米村奈穂 画材屋、山道具屋などニッチな道具屋を経て、九州・山口の山雑誌「季刊のぼろ」編集部へ。今春、会社を飛び出して、風に吹かれながら九州の山を編集、執筆中。

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