Echoes

連載役に立たない道具の話

機能やスペックは出てこないモノ語。
けれど山道具には、それ以上の“役割”が、きっとある。

6「山道具」初めて手に入れた山道具は何ですか?

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リカちゃんより山道具

初めて手にした山道具を覚えているだろうか?
幼い頃、山道具はおもちゃだった。よく遊んでいたのは登山靴。母のピンヒールと父の登山靴。友達とそれらを履いて、どちらが早く走れるか競争したりした。昔の登山靴はバカみたいに重く、分厚いバックスキンに、靴底には鋲のようなものが付いており、かけっこの勝者は大抵ピンヒールだった。タバコ臭い寝袋を何度も袋から出したり入れたりもした。入れるのがどんどん上達し嬉しかった。コッヘル類はおままごとに。順番を間違えないよう慎重にスタッキングした。とりわけ飯盒が好きだった。上蓋と本体に違うお菓子を分けて入れ、少しずつ食べるとおいしく感じた。

遊び道具を本来の用途で使おうとした時、父はすでにこの世を去っていた。押し入れから次々と出てくる山道具たち。それらが使い物になるのかならないのかの判断もつかず、キスリングと帆布のヤッケでくじゅうに登った際には、年配の登山者にえらく声をかけられた。ラリーグラスに「これ使えますか?」と、鉄の塊のようなアイゼンを持って行けば、「これは山岳博物館行きだよ」と言われた。ヘッドランプは、電池を入れる部分とライト部分が分離した巨大なもので、装着すると現場監督みたいだった。どうやら家にあるものは全く使い物になりそうにないと気づき始めた頃、雨具を手に入れた。

image 父の靴を思い出す、金泉寺小屋池田さんの登山靴

無人島には雨具を

雨具。雨の時に使う道具。“レインウェア”と横文字で呼ぶのはもったいない。山道具で唯一、道具の“具”という文字が入る。道具は、道を拓く具=ツール。山道具を最初に揃える際に使われる「三種の神器」という言葉がある。まず揃えたいのは、靴、ザック、雨具だというものだけれど、その中でも雨具は他に比べて代用が効かない。

靴だけでも登山用のものを、という意見は多い。登山靴を履けば安全だし、疲れないし、一番酷使される、もと取り率No.1の道具だ。しかし、宝満山の常連さんに、地下足袋で登っている庭師がいた。雪の屋久島で、「これが一番履き慣れているので…」と、ザックに登山靴を忍ばせたまま長靴で登っていた北海道の女の子がいた。雪山の登山口で靴を忘れたことを打ち明けられ、トレランシューズに12本爪のアイゼンを装着し登ってしまった友人もいた(秘)。登山者とすれ違うたびにその友人の足元を隠した。岳沢の下りで登山靴が痛くて我慢できなくなり、突然チャコに履き替え下り始めた友人もいた。足さえ痛くなければ、人はなんとか登って下れるらしい。登山靴がいらないと言っているのではなく、もしもの時に何かで代用できる道具か否か、それも山道具を選ぶ際の基準になるかもしれない。その基準からすると、雨具の機能は何にも代え難い。無人島に一つ持って行くなら、もちろん雨具一択だ。

image 冬枯れの白髪岳をカラフル隊が行く

道具も道も、自分で選ぶ

そして私は、初めて雨具を購入した際の店員さんの接客に感動し、というよりおそらく、雨具の持つ機能に感動し、この素晴らしい山道具を売りたいと思うようになる。それまで勤めていた絵を描く道具を売る会社を辞め、その山道具屋で働くことにした。道具を売ることには変わりないから大丈夫だろうという安直な考えで。しかし、案外これが当たっていて、画材屋時代のお客さんが、スケッチする際の椅子やザックを買いに山道具屋にも来たりした。逆に山の絵を描く登山者もいて、あの絵の具がいいですよとか、個展したらいいですよとか、こっそり山道具屋らしからぬアドバイスをしていた。

image 隣に住む子と山に登ると、山頂でクレヨンと色鉛筆と双眼鏡を出して絵を描き出した。彼女が自分で準備した山道具

そんなヤミ接客をしつつ、右から左へ新しいモデルと古いモデルを移動する日々を送っているうちに、これってまったくエコじゃない…という考えで頭が埋め尽くされるようになった。そして、「それは買わなくていいです」と、物を売ることに超消極的な店員になり腐っていった。

ある日、山岳部の顧問と思しき大人と生徒の二人組が来店した。先生はほとんど口を出さず、生徒に自由に選ばせ、必要なことだけをアドバイスしていた。よく目にする、先生がうんちくを傾け、生徒は全てそれに従うというような感じではなく。私はなぜだかその様子をずっと見ていたくて、二人について回った。結果、生徒が選んだ商品は、シンプルでどちらかというと玄人向けの、長い間モデルチェンジをしていない、初心者にはやや使いにくいと思われるザックだった。しかし先生は何も言わず、そのザックを人数分購入した。

会計の際、領収書の宛名が父の受け持っていた学校と同じだったので、「私の父も山岳部の顧問をしていたんですよ」と思わず口にしてしまった。するとその先生は、私の顔と名札を見て、「僕は多分、お父様に教わっていました」と言うのだ。そして少し照れながら、「恥ずかしながら私は、いまだにあの頃と同じようなことをしています」と。

父に山について教わることはなかった。嫌々山について行くのではなく、もっと多くのことを聞いておけばよかったと悔やんだ。でも、だいぶ遠回りして教わった。大事なことは、自分で選ぶということ。新しい、古い、軽い、重い、ではなく、自分にとってベストな、正直な選択をすることだった。画材屋時代、ものを作り出す人々に道具を手渡す日々の中で、形のない自分の仕事に劣等感を抱いたこともあった。でも、形がなくとも時代を越え残る仕事もあるのだと分かった。その後、道具を売ることをやめ、山の面白さを伝える仕事を選択した。山の楽しさも、形のないところにあるのかもしれない。そんなよくわからないふわふわしたものを探すため、しばし冬眠します。よって、形ある道具の話はこれにて終了。また違う話を携えて戻ってきますね。

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テキスト・写真/米村奈穂

プロフィール

imagePhoto by Miko Yoshida

米村奈穂 画材屋、山道具屋、九州・山口の山雑誌「季刊のぼろ」編集部などを経て、現在はフリーランスで風に吹かれながら九州の山を編集、執筆中。仕事しながら山が見える二丈岳の麓に引っ越して、引きこもり加速中。

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