Web Magazine for Kyushu Hikers Community
50歳を目前にランニングに目覚め、
富士山160kmのレースに挑戦するまでの記録。
UTMF(※)に当選した。
ランニングを始めて3年。ついにここまできた。
かつては平坦な4kmの道も走れなかった僕が、高低差のある山を走り抜ける100マイルレースに挑もうとしている。3年前の自分では到底イメージすらできなかった160kmという道のり。それを僕は今、走ろうとしているのだ。
※ULTRA-TRAIL Mt.FUJI(ウルトラトレイル・マウントフジ)。2012年から始まった、山梨県・静岡県をまたいで開催される100マイル(約160km)のトレイルランニングレース。僕は2020年4月に行われるレースの出場権を獲得した。
ランナー仲間の中で僕は決して速い方ではないし、人に話せるほどの知識があるわけでも、すごいトレーニングを実践してきたわけでもない。ましてやランニングを始める前は、たまに山に行く程度で運動経験はほぼゼロだった。身長173cmに対して体重78kg。お世辞にもランニング向きといえる体型でもない。
そんな僕でも、3年走れば100マイルレースに出ようかというくらいになったのだから、きっと誰でも走れば走ることができるのだ。この僕の3年の軌跡を書き残しておこうと思う。特別な理論もアイデアもないけれど、何かひとつくらいは誰かの役に立つかもしれない。もしかしたら、誰かがランニング人生をスタートさせるきっかけになるかもしれない。そんな思いを込めて…。
僕がランニングを始めたのは2016年。きっかけは、友達から福岡マラソンに誘われたことだった。
一周2kmの大濠公園を2周走り切ることもできない自分が、42.195kmのフルマラソンなんてとても無理!と、最初は断った。しかし、当時の僕の年齢は48才。あと少しで50の大台に乗ろうとしている。この先、こんな大きなことに挑戦することもそうないかもしれない。特に体を使うスポーツなんて、年々難しくなっていくだろう。今がギリギリのチャンスかもしれない。やってみてもいいんじゃないか、と気持ちが変わっていった。そして3日後には、やる気満々でエントリーのボタンを押していた。
その頃、デスクワークばかりの僕の体重は増大の一途を辿っていた。はっきりとTシャツに現れるお腹と乳のシルエット。このままではメタボ街道まっしぐらだ。なんとかしなくては…と思っていた矢先の、ちょうどいいタイミングでもあった。
とにかく痩せることが先決と、初めはジムでトレッドミルばかりやっていた。歩いてもいいから1日10kmをこなす。スピードや強度はどうでもいい。まずは体を動かすことを習慣化させる。6月のエントリーと同時に走り始め、8月の終わりまで、毎月200km以上走った。78kgあった体重は68kgにまで落ちていた。(ちなみに2019年11月現在62kg)
トレッドミルで走り始めた頃のスピードは8分/km。歩いているかのような速度だったけど、まだ筋肉がついていないし、膝も弱い。スピードはそのうち上がってくるだろうと思い、無理はせずにゆっくり走った。いきなり強度をあげると故障しやすい。ランニングを続ける人と途中で諦めた人の分岐がこの故障だったりする。故障をしないこと、これが結構大事なことなのだ。
8月も後半になるとスピードは6分/kmまで上がっていた。福岡マラソンまであと2ヶ月ちょっと。当選結果の知らせもあり、気持ちも上がる。そろそろロードに出て、少し長い距離も練習しなくてはならない。ここからが僕の唯一の故障期間。試練の道の始まりだった。
初のロードは忘れもしない8月28日。福岡マラソンのコースの前半部分を走った。天神の岩田屋前からRKBを横切り、百道~今津海岸~九大へと続く22km。暑い日だった。天神から小戸公園までの約10kmは、足も軽く快調に走る。タイムを見ると50分。5分/kmほどのペースだ。速い!ロードだとこんなに速く走れるのかと驚いた。暑さもあって10km以降からペースは落ちていったが、まだまだ走れる気持ちも脚も残っていた。それで途端に欲が出た。もしかしてこれは最初の大会で4時間を切れるんじゃないか!?
僕の目標は「完走」から「サブ4(※)」へと変わった。
※マラソンで4時間を切ることをSUB4(サブフォー)という。1kmあたり5分40秒のペースで走らなければ達成できない。マラソンの最初の目標になっている。
サブ4を目指すと決めたら、もう走りたくてウズウズしてくるのだ。バカな僕は次の日も同じコースを走った。
前日と打って変わり、天気は雨模様。10kmあたりから降り出した。次第に雨足は強くなり、20kmポイントの九大に着いた頃には大雨になっていた。折り返して前原駅から電車に乗って赤坂駅まで戻るのだが、引き返している途中から左膝内側あたりが痛い。駅に着いた頃にはもう歩くことさえ辛くなっていた。赤坂駅からは左足を引きずって帰る。後にこの痛みは「鵞足炎(※)」と呼ばれるもので、一度は経験するランナーが多い故障だとわかった。そして、かなり長引くことになる。
この日以来まともに走ることができず、結局、本番までに走った僕のロードは、ほぼこの2日間のみ。それからは「走る→痛い→休む→辛抱できない→走る→痛い…」の無限ループ。一向に良くならず、ちゃんとした練習もできないまま大会当日を迎えた。
※鵞足炎(がそくえん)とは膝の内側に痛みを生じる炎症疾患。ヒザの内側のすねの骨のあたりから後ろにかけて痛む。走った時に引っかかるような、擦れるような痛みを感じる。
11月13日、福岡マラソン2016開幕。僕の記録は4時間25分41秒。サブ4は達成できなかった。しかし、仕方ない。完走できただけでも良かったことにしよう。 レース展開なんてとても語れないようなグダグダな走りだったけど、初めての42.195kmの旅。ここまでの練習を思い浮かべると、それなりに充実感にも包まれ感動した。半年前までは大濠公園を2周もできなかったのだから。でも、完走したこと以上に心に残っているのは、実はこの故障との取っ組み合いの日々だった。
鵞足炎になってから、ずいぶんお金も使った。一刻も早く治したいと、故障した原因を調べるために本を買って読む、病院や鍼灸・整骨院に行く、サプリや薬を飲む、サポーターやアイシングなどのケア用品を揃える、などなど。そりゃもうお札が飛んでいく。それでも、お金で解決するのなら救われるが、これが治らないんだよね。なぜなら一番の治療は「休むこと・走らないこと・じっとしていること」だから。ほとんどの故障は休むことで治る。休養こそが最大の治療なのだ。しかもお金もかからない。なのに、それが最も難しい。
少なくとも僕にはできなかった。休むことが怖かった。せっかく走力がついてきたのに、休んでいる間にまた元に戻ってしまうのではないか? そんな不安から、つい走ってしまい、また悪化。その繰り返しで、完治するまでに半年もかかってしまった。でも、その間にたくさん勉強もした。どうしたら故障しないのか。結論からいえば、やりすぎないこと。「オーバーユース=使いすぎ」しないこと。プロではない市民ランナーの場合、これに尽きると思う。僕はあの雨の日にオーバーユースしてしまった。けれど、そのおかげで大きな気づきも得ることができた。
2019年11月3日(日)下関海峡マラソン 3時間39分58秒 完走
アップダウンのあるこのコース、二度目の出場。2017年に出た時は3時間40分なので、進歩があまりない。相変わらずキツかった。昨年の同時期のコンディションに体がまだ戻っておらず重い。今年はいまいち調子が上がらない。
2019年11月23日(日)第98回八幡カントリーレース(トレイル24km)3時間43分 完走
昨年の同時期(カントリーレースは春と秋の2回開催されている)は3時間29分だったのでだいぶ落ちてるが、大阪マラソン一週間前なのでセーブしながら走った割には良かったかもしれない。
テキスト・写真/石川博己
プロフィール
石川博己 HAPPY HIKERS 事務局メンバー。本職の持ち出しでデザインや写真を担当w。本コラムでも書いているきっかけで48歳よりランニングに目覚める。2020年4月に富士山の周りを走る100マイルレース、UTMFに挑戦。果たして完走なるか!乞うご期待w