Echoes

連載いままでの山、これからの山

ふりかえると歩いてきた山があった。
ただバシャバシャと写真を撮るだけで、何も記してこなかった山のことを、そろそろ書いてみよう。

1山は水

image 丸山荘の美味しい湧水。これからも大事にまもりたい。

45歳をむかえる

「登山歴は?」と聞かれると、特にいつからということはないが、27歳あたりで登山メーカーに働きはじめてからだとすると、10年以上は山へ行ったり来たりしているのは間違いない。山から戻っても「いろいろ経験したよ〜」と、人には簡単に伝えるばかりで、特に記録することもなかった。時は流れ、今と昔の経験とを比較できるようになり「こうだよね」という気持ちのぼやきだったものが、声に出るつぶやきになることが増え、それを言葉や単語をつむぎ出して文章に出してみたらどんなかなと思っていた。
「ウェブで連載してみませんか」と、声をかけていただいたタイミングとも重なり、とりあえず書いてみる。
「45歳、今の山を書きました」というのも自分にとっての新しいリアルでよいじゃない、とつぶやきながら。

近くて遠い、四国の山の話

最近は車で3、4日間行く旅がメインになっている。山だけではなく、地方の観光をプラスすることも楽しみのひとつ。決め方は山を軸に場所を選ぶのではなく、方向をザクッときめて、そこにある山を探し出す感じ。「高知、行ったことないな、そーいえば」などとつぶやきながら、ぼんやり日本地図を眺めたりするうちに、運よく6日間の休暇が取れることになった。四国行きを決定し、縦走もしようと山を探しをはじめた。

四国での山行はまったくの初めてではない。石鎚山は日帰りで、剣山は三嶺からの縦走で登ったことがある。行ってない山域はどこかと、昭文社の山と高原地図を開く。2009年版、ちょっと古いか…。真ん中に大きく描かれている四国連峰をたどるうちに、過去に四国全山縦走の計画を企てていたときの気持ちがよみ返ってきた。いつか全山縦走する時のために、真ん中あたりの山域を下見するのはどうだろうか。最近は「いつか行く」ばかりが増えて、なかなかその「いつか」はやってこない。「本気で決めないと行かないのよなー、タイミング待っていたら遠くなるな…」めんどうなぼやきと戦う。

image 旅をすると、夕日や朝日に出会い過ごす時間を意識できる。

なかなか決まらないルート

気がつくと、サブメインっぽい200名山の笹ヶ峰、東赤石山、300名山の伊予富士、瓶が森を見ていた。ミーハーなのだろうけど、地図にでてくる日本〇〇名山は気になる。四国出身の知り合いから瓶ヶ森がよいと聞いたこともありさらに注目が増す。ピークからピークへと峰々がならび、稜線がいいぞと地図から想像はできた。が、それを1泊2日でとなると車を止めた登山口にピストンするしかなく、ひと筆書きのルートを好むことを考慮するとつなぎにくい。しかも長くてだるい林道歩きも避けられない。
ネットの情報では、先に下山ポイントに車をデポしておいて縦走したり、日帰りのピストンでの山行の紹介が多かった。ピストンはもったいないしなるべく避けたい、2日間あるならしっかり3座は狙いたい。無理を覚悟して8〜10時間行動を設定するのか、長い距離歩くなら、荷物を軽くして山小屋泊なのか、さぁ、どうしよう。夜な夜な地図と3日は格闘した。「丸山荘ってある、四国の山小屋ってどんな? 基本無人だが、予約したら営業するし食事もあるらしい。山小屋1泊2日で食事付き、少々楽な感じだけども…体力はどうかな」
またまた、めんどうなぼやきと戦いながら、とにかく四国へ向けて出発した。

image 足摺岬からの灯台、今回の行ってみたい場所のひとつだった。

四国上陸から仁淀川上流めざす

大分県の佐賀関港からのフェリーをつかい、愛媛県三崎港に入港。まず南下し、足摺岬へ早速到着。気分も高揚し突端あるあるの夕陽の方角をチェック。あいにくの雨出発だったが、沈む夕日が水平線から見えてきて、空がピンクになる頃には気持ちも晴れ、すっかり落ち着く場所になってきたのでそのままここでの車泊を選んだ。
翌日は、四万十川周辺の街沿いを車で行き、西土佐付近からの四万十川半日カヌーツアーに参加、川の幅の広さと流れにそった地形の美しさを感じ、水の透明度に驚き、川底の小石や瀬は九州では見られないものがあった。

山の準備を整えると、高知県と愛媛県の県境へ向かう。 仁淀川沿いの国道194号線を北上しながらがら美しい川に沿う道をぐんぐん山の深いところへ入ってゆく。 休憩で立ち寄った、いの町付近の道の駅でパンフレットを見ていたら、気さくに話しかけてくるおじさん店員がいた。地元でガイドをしているらしく、仁淀川のカヤックツアーが人気だとか、だんだん地元の話へとひろがった。

image 快晴の中、四万十川でカヌー体験。川幅が広く緩やかに下る。

伝説があり安徳天皇が生きていた

いや、びっくりした。歴史に詳しくないのだが、私の薄っぺらい認識では、下関の壇ノ浦の合戦で幼い安徳天皇は入水し亡くなり、赤間神社に祀られてたという説しか頭になかった。
それがどうやら、宮内庁管轄で平家について調べている部署があり、高知県越智町の横倉山という山に、安徳天皇の墓があることがわかったという。源平の合戦にやぶれ、従臣達と四国の各地に潜伏し、最終的に横倉山にたどりついた安徳天皇は同地で暮らし、23歳で崩御したと伝えられている。 長くなるが少々掘り下げた話をすると、九州でも平家落人伝説が残されている。大分の平家山や熊本と宮崎の県境、九州脊梁山脈のふところ深くにたたずむ五家荘(ごかのしょう)などがよく知られている。あちこち山に行っていると、知ろうともせずとも知ることになる平家落人伝説。四国で話題になるとは思ってなかった。
「安徳天皇生きていた!」というストーリーに驚き、ロマンを感じた。安徳天皇があまりにも幼くかわいそうで、生きていてほしいという昔の人の念がつくった伝説なのだろうか。
おじさんは、横倉山の夕陽って本があり、全国に存在する平家落人伝説についてまとめてあると教えてくれた。これは気になる読みたいな、と心くずぶらせながら、おもしろい地元情報を得る時間になった。(ちなみに本はまだ読めてなし…)

image 四国といえば、沈下橋が印象的。最近はインスタスポットで人気。生活道としてまだ現役。

瓶ヶ森登山口駐車場へ到着

国道からくねくね道が続く県道40号線へ入り、吉野川沿いに変わる。道幅が細く車の窓からみても川沿いぎりぎりで、下を覗くと川の流れがみえる。「青い透明」って表現がぴったりで美しかった。川に見とれていたせいで、登山口に到着したのは15時すぎになっていた。駐車場から瓶ヶ森の山頂ピーク1,896mだけをめざす。コースタイムではほぼ往復1時間半とお手軽だ。瓶ヶ森の山頂は見渡しがよく、ひらけたササ原の草原で、明日から向かう縦走路の山々が見わたせ、下見的なピークハントになった。石鎚山のギザギザとした特徴的なシルエットが夕陽にピンクで映し出され、瓶ヶ森登山口の広い駐車場で車泊にすることにした。

image 瓶ヶ森の山頂をめざす。歩きやすくササ原の斜面が心地よい。

まるで山の稜線旅行とでもいいましょう

当初は、瓶ヶ森から笹ヶ峰へピストンで1泊2日と思っていたが、プランを変更しUFOライン上にある寒風山登山口駐車場へと移動する。UFOラインとよばれる林道は、正式名称を町道瓶ヶ森線といい、山の峰々をたどるように一本の白いラインが稜線と平行に走る全長27kmに延びる絶景が見られる道だ。過去に自動車のテレビCMの撮影がされて有名になり、週末ともあればドライブ絶景スポットとして賑わっているらしい。早朝のUFOラインは貸切りで、ちょうど昇ってきた日の出つきの贅沢な出陣になった。

image 真っ直ぐ伸びるUFOラインから朝日を望む。
image 瓶ヶ森山頂付近から伊予富士方面。白い直線がUFOライン。

寒風山登山口へ到着。トンネル南口付近の登山者専用駐車場へ着くと、私たちが1番のりだった。計画は伊予富士をピストンし桑瀬峠分岐に戻り、寒風山、笹ヶ峰山頂を踏んで丸山荘泊。翌日は、丸山荘から再び笹ヶ峰山頂を目指し、そこから登山口の駐車場までいっきに下山する。寒風山トンネルから愛媛県へまわり、行きと同じフェリーを使ったルートで九州へ戻るというイメージだ。
40分ほどで桑瀬峠まで登りあがると、視界が開ける。見えてきたのは計画し想像していたとおりの、今回の旅のメインである美しい縦走路と峰々であった。

そう、まさにこの縦走路はまずは目で稜線を追っかけたくなる。ライン上に並ぶ峰々はちょうどよい間隔にそびえ、周りはひらけた草原風な地形。ときは6月、緑色のうわさに聞いていた景色が現れた。めっちゃ、いい! 寒風山から笹ヶ峰との間の稜線は、美しいシングルトラックを歩ける爽快な標高1,800mの天空のライン。山肌の黄緑と青空のコントラストがどこまでも見渡せた。
朝6時半に、寒風山登山口駐車場をスタートし、ピークを3座まわり、早々と笹ヶ峰山頂に12時前には到着した。見渡すかぎりのササ原と歩いてきた稜線が一望できる山頂は日差しが強く、お昼もとらずにそのまま山小屋へ向かうことにした。直下型のルートを一気に下ると、だんだん赤い屋根の丸山荘が見えてきた。

image 寒風山から笹ヶ峰へ伸びる美しい稜線。
image 笹ヶ峰山頂直下。丸山荘の赤い屋根が見える。

丸山荘の湧水

丸山荘に到着したのはまだ13時ごろだった。古びた学校風の横長型で2階建の建物。のどかな庭のようなテント場が心地良さそうに見えた。小屋の中は、受付の人がいるのか不安になるほど静かだった。いちおう事前に電話予約したので、思い切って中に入り声をかけた。女性従業員がでてきて、「まあ、早かったですね〜」と応対してくれた。ご主人さんらしき男性と、のんびりしているところだったようだ。その身構えのない人柄にこちらも気がゆるみ、心が落ち着いた。
「ゆっくりしてくださいね。すぐにお部屋準備しますね〜」と、さらに心地よい会話がつづき、外で待つことにする。
ステンレスの台所に設置されているホースから水が勢いよくでていた。水は丸いたらいへと注がれ、すでにいっぱいになっているたらいからそのまま水は溢れ出していた。湧水らしく枯れることはなさそうだ。ビールを冷やしたらたまらないだろうと想像する。(もちろん、実際にそうした)
水がとにかくおいしかった。しっかり水分は摂っていたつもりでも、暑さに体が萎えていたのだろう。適度に冷たい水をガブガブと大きく手を差し出し飲んだ。
喉は一気に潤い、そのまま顔も洗った。

image 丸山荘に到着。学校風な建物からは笹ヶ峰の稜線がみえる。

自転車でアプローチ

夕食の時間までのんびりしていたら、テント泊の登山者が到着した。私はどこから歩いたのかたずねた。
朝4時に石鎚山から出発し、瓶ヶ森〜伊予富士〜寒風山〜笹ヶ峰〜丸山荘16時着ということだ。まあ、とにかく早い、健脚だ。
山小屋の主人すら驚いたのは、自転車を使った登山口へのアプローチだった。石鎚山から東赤石さんまでの縦走は公共交通機関がなく、車を2台用意する以外は難しい。この登山者は、自転車を車へ積んで、まず下山予定地であるマイントピア別子へ向かい、そこで車をデポし自転車に乗り換えて、石鎚山登山口までの40kmほどの道のりを自転車で移動していた。明日は、東赤石山へピストンして、銅山峰ヒュッテで泊まり、翌朝に車を停めてあるマインドアピア別子へ下山し、自転車を回収しに車で再び石鎚山登山口にもどるそうだ。こうすることによって、2泊3日で石鎚山から東赤石山までの縦走が可能になるという。そんな手段があったんだと驚いた。

image たたみの広い個室部屋の窓からからみえるテント場

山小屋で焼肉なんて

小屋は平日なので、やはり貸し切り。
賑やかな北アルプスの山小屋を知っているせいか、宿泊者が私達2人だけなのに従業員は2人という手厚さに感激した。
わさわざ下界から私達2人のために上がって来てくれたのだろうか。小屋は車で直接来れないところにあるので、ある程度は歩きをしいられる。ありがたい。

ここで、山の贅沢スタイル四カ条を勝手に定義。
1. 良いロケーションでお茶する贅沢。
2. ぼーっとゆっくりする贅沢。
3. お腹すかしてたべる贅沢。
4. これが、貸し切りだなんて贅沢。

チラッとブログでチェックしていたのだが、丸山荘の夕飯は焼肉であった。「え? ほんとに?」と、少々信じられないまま来た。その情報を鵜呑みにした友人は「腹を減らすために昼は食べない」と豪語していた。
しかしこれが、まさにそのとおりの感動レベル。
山小屋で焼肉。
しかも、コンロに黒い焼プレートがセットしてあり個々に焼けるスタイル。牛、豚、鳥、野菜とボリュームもしっかり。山小屋で焼肉が食べられるなんて、山小屋泊の概念を変えられた。やっぱこれだから山小屋泊のチョイスもやめられない。

image 広い部屋で準備された焼肉。居心地がよい。

クラウドファンディングと期待する気持ちになる場所

夕食後、丸山荘のご主人と会話した。
この小屋は80年程前に建てられ、スキー小屋として利用されていたということだった。確かに丸山スキー場と地図に書かれていたので気になっていた。
入り口の下駄箱付近には「使われてないだろうなー」って印象のほこりをかぶった古いスキー板がずらりと並んでいた。
ご主人いわく、四国地方で最初のスキー場の山小屋として開かれ、と言っても山スキーだからリフト設備はなかったが、最も賑わっていた頃には200人くらいが利用していたということだった。話は続き、建物も古いし、そろそろ山小屋をたたむという流れの話がでるのかなと思っていた。ところが、ご主人からこの建物を再建しようしているという真逆の話が飛び出してきた。有志があつまり、クラウドファンディングで資金調達することを考えているという話だった。

有志の中に建築家もいるので、使える材料を残して再利用し、建物の大きさを約半分にして小屋をきれいに立て直すという案がすでに出ているという。バイオトイレを設置したいが空輸にお金がかかるとか、庭にデッキやバーベキュースペース作ったりしたいなど、山小屋の未来話は終わらない。
磨かれてツヤツヤした廊下や窓枠は、歩いても、眺めていても心地良く、これを残して山小屋を立て直すなんていうセンスの良さにも感心した。すでに丸山荘のファンになり心打たれていた私は、勝手にワクワクしてその気になり、うなづくばかりの話だった。

image 丸山荘にあった、きっと先代へ贈呈された登山本。山小屋がながく愛されていることを感じる。

丸山荘の懐の深さを知る

後日インスタで「#丸山荘」とハッシュタグ閲覧すると、焼肉風景や小屋の冬風景があり、先代のご夫婦の人柄ものぞけるくらいに素敵な感じだった。同時に、ここが縦走時の給水ポイントとしても欠かせない重要な場所であることに私は気づいた。そんな大切な場所を再建しようとする話があってよかった。もちろん、再建されたら福岡からすぐに駆けつけるだろうという期待感に胸がおどった。

image 川の源流が多くある、四国連峰の中央山脈。奥にギザギザと見えるのが石鎚山。

きっと山の人だからわかる水の大切さ

水が湧き出る丸山荘は、登山者や縦走する人にとって重要な「水のまもりびと」にあたる場だと言いたい。こんな概念が当てはまる山の水場を集めたガイド本があったらどうだろうと妄想する。
そして、ふと思う「山は水」なんだと。
今回の旅は、四国の市内から川沿いに上流へむかい、あらためて山から流れる水の魅力に気付かされた。そういえば地元福岡でも、暑いと分かっていながら、湧き出ているつめたい水を飲むためだけに、わざわざ山へいくこともある。

これほどまでに水の大切さを思わせてくれるのは、自然に足を運び、山に触れているからに違いない。山でも街中でも、湧き出る水場を知っていることは、生きていく強さにつながるんだと、感覚的にそう思った。
丸山荘の湧き出でいた水のことを思い出す。
そして、今回の四国は水にまつわる旅だったなと、蒸し暑い日に額の汗を拭いながら振り返った。

image 四国で出会った川の水はどこも透明で美しかった。

テキスト・写真/石津玉代

プロフィール

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石津玉代 幼い頃より父親に連れられて山に入る。アウトドアメーカーに勤務して本格的に山を始め、アラスカ州デナリ山、アコンカグア山等の海外登山経験を経て、九州を全長3,000キロで1周する九州自然歩道の踏破にむけて情熱をそそぐ。モットーは、山と人とが交わる出逢い旅をつづけること。最近は山と農の暮らしを探求中。

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