Echoes

連載いままでの山、これからの山

ふりかえると歩いてきた山があった。
ただバシャバシャと写真を撮るだけで、何も記してこなかった山のことを、そろそろ書いてみよう。

5南の南の南へ

どれだけ南を感じるのか

同じ単語のられつに過ぎないが、これでどこの山のこと言っているのかがわかる人は、マイナーな山を愛する人か、地図をにらめっこしてる人とか、後に言葉がわいてくる。

日本アルプスへは、福岡〜名古屋行きの夜行バスを使う事が多い。福岡は夜発で名古屋市内へは朝7時頃到着。そこから、バスで富山の立山や松本市内に入るのにも割と良い。飛行機と違って陸を使った移動ってのもよく、ガス缶も運べる。格安航空券で東京行きの便がとれれば、東京から長野行の直行バスで行ける登山口着も多くあり、なんとも便利で安いし移動が楽な場合もあるが。

今回の南アルプスの最南部エリアへは、深夜バスで名古屋まで行き、そこからレンタカーという移動手段を選び、名古屋市内から約5時間。長野県飯田市の易老渡(いろうど)登山口にあたる芝沢ゲートについた。まずは、九州から丸一日を使いようやく登山口に到着だ。

image 到着後易老渡(いろうど)方面へ向かう。沢沿いの林道からは10月下旬の紅葉がうかがえる。
image 初日の停泊地聖光小屋へ、受付で賑やかな声が聞こえ安堵感。小屋再開のエピソードが心うたれる。

あれから、6年経ち再びその地に立つ

以前に、友人4人で赤石〜荒川三山縦走の山行を決行。元々予定にはなかったが、最終日の聖平小屋からの分岐から右方面の稜線を眺めつづけたことを思い出す。綺麗だった。時間が許せば行きたい衝動に駆られた。九州からは遠いアルプスの山行にいくと毎回よぎる感覚。「またこれるのか?もうこれないのか?」今までの山の経緯を振り返ったり、先の人生想像したりするし、自分へ問いかけるもある。
その時以来、ずっとひとつ山を残している感覚は明確だったので、いつかは必ず光岳へいき、つなぎたいと心に刻んでいた。

image 聖岳小屋前の長く続く木道をみるとあの時がよみがえっていく。

さあ、先へ進む

前日は聖平小屋到着後、聖岳山頂へはピストン、残念ながら山頂はガスが立ち込め、真っ白で眺望はなし、ちょうど10月後半、足元のハイマツには霧氷がつき冬の準備へと向かっていた。
今日は見事に快晴。聖平小屋から一気に茶臼岳をぬけ光岳へ向かう。2500m付近の稜線歩き、しかも雲ひとつなしである。朝からどんな山行が待っているのかと、足早に聖平小屋をあとにする。

image 上河内岳付近。南方面だけあって、遠い感覚の富士山の見え方が近く感じる。

南限のうつくしさよ

茶臼小屋からの分岐を過ぎて、茶臼岳山頂付近になると平に続く地形に心躍った。空は青く、太陽は眩しく、赤石岳や聖岳までの以前に歩いてきた道をたどれる稜線日和になった。もちろん見たことない風景が重なり、山域の山深さを知る。ここから、光岳へはほぼ6時間一本道になりゆっくり歩き味わう地形。

ダケカンバなどの木々があふる樹林帯や、草原地帯、岩の造形もあり、池の横には木道がでてきたりと、起伏に飛ぶ。日本最南端の標高2500m地点である、光岳より南にここより高い場所はない。山頂部は、わずかに森林限界を超えており、高山帯植生の分布の南限であるここのハイマツは世界最南端の自生地でさらに、ライチョウの生息地の南限にあたるという。稜線はそのハイマツや高木に恵まれ美しい風景が続いた。

image 茶臼岳山頂付近から光岳方面。
image 希望峰あたりの起伏に富んだ地形に木道が美しい。
image センジガ原付近、あとから知ったのだが、珍しい亀甲状土の構造で亀甲にみえる地形であった。

わたし山小屋はじめます

易老岳を越え、ゴーロの谷筋をやっと登り切り、センジガ原からみえる長い木道のいきつく先に赤い屋根が見えたらひと安心だ。宿泊地の光小屋である。印象よりも小さく綺麗な山小屋。そいえば小屋に予約電話を入れると、川根本町役場という所から宿泊確認の封筒が届き、宿泊の場合お米を一合持参することと書かれていた。珍しい。

受付の人の声は柔らかく、きっと「はなさん」とゆう若い女性。はじめて山小屋の管理人をしている20代若い女性は、さすがに山小屋界隈では珍しかったのか話題になり、どこかで記事はみていた。あ、ここかだったかと思い出して驚いた。

聞けば、コロナでの2年間休業から再開。はなさん自身は、しっかり山歩きに精通し、山小屋で働いた経験もある、今回管理人の募集を見つけて人生をかけての決断。経緯を聞くほどに、心が踊るストーリーばかりだった。

楽しみの夕食、マッサマンカレーでスパイスのカレーにお肉と添え物で、地元の川根本町のお茶も心地よい。年配風の登山者からは山小屋はカレーメニュー多いが、こんなカレーは食べた事ないと皆を喜ばせていた。
お米の話になり、昔の登山者はだいたい米を持参するのは当たり前だったなんて今だと聞いて驚いた。はなさんは、「各地から集まる地元のお米、ひとりひとり品種が違うから、実は、面白いんですよ」と。小屋への荷揚げヘリの重量制限があるので登山者に米を持参してもらっているということだった。聞けば納得。小屋運営は大変ではあるが、彼女から語られるはじめて聞くようなエピソードに会話がはずみ、とても新鮮だった。

image 百名山の最後の一座の登頂者も多かった。はなさんは祝いたいとお酒もそろう。泊まり客の半分の登山者は百名山狙いだった。
image 木のベットはカーテンで仕切れば個室になる。川根本町の大工が作成した組み立て式で、小屋閉めとともに解体する。寒さ対策としてこだわりある作り。
image 部屋で見つけた木の宿泊者名。はなさんのあたたかみを感じる。

光岳山頂へ向かう

小屋からから約20分ほどの山頂をめざした。光岳というこの山の名前の由来は、山頂の西側の突出したシンボル的な花崗岩の岩場である「光石」が、遠くから見ると夕日に白く光って見えることからだという。クライミング技術なくとものぼれた。真っ白の岩のかたまりを登り、そこからの眺めから大井川源流の樹林の深さを感じた。

image どこから見たら夕日があたり光っているように見えるのだろうか、想像が膨らむ。
image 小屋から早朝、うつくしい富士山。見事な朝日であった。朝食時間に重なり他の登山者も写真撮影にざわつきだす。

光岳はアルプス連峰の最南の山であるがゆえに、山小屋の小屋じめは遅く、11月上旬までは雪もないので営業をするつもりだと、はなさんは張り切っていた。
まだ九州のくじゅう連山の紅葉知らせも入らない、シーズンの隙間のような10月下旬の九州からの遠征で、営業している有人の山小屋がある事がうれしい。はなさんが管理人だったからなのか、彼女にまた会いに来たいと思った。

image 光岳小屋からは、空色の変化にあわせた富士山のシルエットが眺められる。南部のおすすめのひとつ。

テキスト・写真/石津玉代

プロフィール

image

石津玉代 幼い頃より父親に連れられて山に入る。アウトドアメーカーに勤務して本格的に山を始め、アラスカ州デナリ山、アコンカグア山等の海外登山経験を経て、九州を全長3,000キロで1周する九州自然歩道の踏破にむけて情熱をそそぐ。モットーは、山と人とが交わる出逢い旅をつづけること。最近は山と農の暮らしを探求中。

facebookページ 公式インスタグラム