Echoes

連載ロングハイク想起

ロング・ディスタンス・ハイキングの長いながい旅。
地球上のどこかで起きたある日のある記憶。

3シエラ・プラネット

2017年6月、僕はアメリカ西海岸を南北に縦走するパシフィック・クレスト・トレイル(Pacific Crest Trail、略称PCT)のシエラ区間をハイキングしていた。ついこの間まで灼熱の太陽に焼かれながら喉の渇きに耐えていたのに、今は標高3,000メートルから4,000メートル級の山々に取り囲まれて雪の上を歩いている。その劇的な変化に僕はついていけなくて違う星に来てしまったような気がしていた。

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「ウォーーーッ!!」

2017年6月9日午前0時30分。 PCT:55日目
シエラネバダのKearsarge Pass手前のテントサイト。トーマスの叫び声で僕は夢の世界から現実世界に一気に引き戻された。
深夜に今の叫び声はただごとではない。近くにテントを張っているトーマスの身に何かが起きたのだ。
「トーマス!どうしたんだ!?」
僕はテントの中から呼びかけた。しかし返事はない。すぐにブラックベアが脳裏に浮かんだ。出たのか!?だとしたら、さっきの叫び声は、、、。
「トーマス!大丈夫か!?トーマス!」
「・・・・・。」

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返事はなかった。いったい何が起きたのだ!?声も出せないのか!?状況がわからず僕は暗いテントの中で震えていた。しかし今は一刻の猶予もない。なんとかしなければ。そう思い勇気を振り絞り外に出る決心をした。音を立てないようにゆっくりテントから抜け出す。右手には武器としてトレッキングポール。辺りをキョロキョロしながらトーマスのテントにそろりそろりと近づいた、
「・・・グ・・。」
「グー・・・グー・・・。」
いびきが聞こえた。
全身の力が抜け、空を見上げると星が綺麗だった。

image 右)トーマス

「マザー◯◯ッカーパス!!」

2017年6月12日午前5時30分。PCT:58日目
シエラネバダのMather Pass*手前で僕はテントをザックに押し込んでいた。昨夜降った雪で今朝の冷え込みはより一層厳しい。かじかんだ手を吐息で温めていた。着れるものは全て着込んでトーマスと共に出発。

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向こうに見える山の頂付近は太陽の光で赤く染まっていて、徐々にその面積を広げていた。1時間ほど進んでMather Passの麓に到着。これから前方に立ちはだかる3,686mのパス越えをしなければならない。GPSはルートを示しているが、昨夜の雪でトレースは跡形もなくなっていた。一体どこからアプローチすれば急勾配のこの真っ白な峠を越えられるのだろうか。トーマスと僕は途方にくれた。暫くすると後ろを歩いていたシンバとジェフが合流した。「おれ達が足場を作るよ。」そう言ってシンバが登り始めた。二人は雪山の経験が豊富だったのだ。シンバはアイスアックスとキックステップで足場を作りながら急斜面をトラバースしながら登っていく。僕とトーマスはそれに続いた。とにかく必死にシンバの後ろを付いていった。半分進んだ辺りででシンバが体力の限界を迎える。「ちょっと休憩しよう。」一息ついて後方を振り返ると後続のハイカー達が僕達のトレースを頼りに続いていて、その距離はどんどん詰まってきていた。作られた道を進むのは容易いが道を作りながら進むのはなんと大変なことか。後半はジェフが先頭を交代し足場を作りながら進む。「滑り落ちたら、、、。」そんなことを考えながらようやく最後の雪壁をよじ登る。平らな雪面にようやく辿り着き、登り切ったという安堵で僕は膝から崩れてその場に座り込んだ。
「マザー◯◯ッカーパスッ!!」
後ろからシンバが雄叫びを上げながら最後の雪壁をよじ登ってきた。まったくその通りだよ!僕たちは大爆笑しながらハイタッチをした。

image Mather Pass

残りの食料はあと1日分

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2017年6月15日午後12時30分。PCT:61日目
僕はシエラネバダのSelden Passで最後のスニッカーズにかじり付いていた。「そろそろ行こうか」そう言ってみんなが立ち上がる。トーマスと2人で進んでいたシエラも気が付けば今は11人のグループになっていた。今年のPCTは残雪がかなり多くてずっと雪の上を歩いていている。たまにトレイルが顔を覗かせると嬉しくてはしゃぐほどだ。積雪量に比例して雪解け水の量も多いため川の渡渉は難関を極めていて、PCTの公式Webサイトではシエラ区間のハイキングに警告が出されていた。多くのハイカーはこの時期のシエラをスキップしていたが、そのままシエラを北上することを選択したハイカーはそれぞれグループを作って歩いている。昨日のEvolution Creek渡渉も大きく迂回して、なんとかみんなで力を合わせて渡ることができた。そして今日は難関のBear Creek渡渉がこの先にある。とりあえずルート通りに進んでBear Creekに到着。しかし、とても渡れる状況ではなかった。雪解け水で増水した川はまるで台風通過後の河川のように激しく荒ぶっていて、渡渉はおろか、近づくのも危険だった。それでもどこか渡れる場所はないかと暫く上流の方へと進んでみる。だが、渡渉ポイントは見つからなかった。そこで僕らは選択を迫られた。7日かけて歩いてきた道を引き返すか、もしくはこのまま渡渉ポイントを探して川の上流へ進むか。残りの食料はあと1日分。うまく渡渉ポイントを見つけることができれば明日の昼には次の補給ポイントVVR*に到着するが、辿り着ける保証はない。かといって引き返しても食料は足らない。暫く議論した結果、昨日と同じく渡渉ポイントを探しながら進むことにした。これが正しい選択なのかその時は誰にも分からなかった。ただただ川の上流を目指してひたすら道なきみちを無言で進んでいく。夕方、僕らは倒木が重なって出来た渡渉ポイントをようやく見つけることができた。本当に嬉しかった。平均台の上を歩くようにバランスを取りながら順番に渡り、全員が無事に渡り切ると、みんな緊張から解き放たれようやく笑顔になった。そして最初に話す話題はこれしかなかった。
「明日の昼食はビールとハンバーガーだ!!」

image シエラを共にした11人

■追記
今思えば、Bear Creekを上流から攻略できたのは本当に幸運でした。たまたま倒木があったのはもちろん、そこに至るまで、そしてそこからルート復帰するまで、読図できるサイモンが紙地図でルートファインディングをし、退役軍人のスコッティやボーイスカウト出身のハフティなどが危険箇所は率先して先頭を歩いてサポートしてくれました。単独では絶対に進めなかったルート選択だったと思います。

マザー・パス(Mather Pass)
カリフォルニア州シエラネバダ山脈にある峠。標高3,686メートル。北上ルートのPCTハイカーにとって4番目のシエラパス。フォレスター・パス(標高4,009メートル)ほど高くはないが、南側は急勾配のため多くのハイカーにとってより困難なパスのひとつ。

バーミリオンバレー・リゾート(VVR)
エジソン湖(Lake Thomas A Edison)の西岸にある補給ポイント。ロッジ、レストラン、食料品などの売店、シャワーとランドリーがあり、皿洗いを手伝えば、食事を提供してもらえるオプションもある。キャンプは無料で、レストランの前の広場がキャンプサイトになっている。

テキスト・写真/丹生茂義

プロフィール

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丹生茂義 トリプルクラウナー。週末キャンプや登山を繰り返していく中でいろいろなトレイルの存在を知ることになりロングハイキングに傾倒。2017年から2021年にかけてはアメリカ三大トレイル(パシフィック・クレスト・トレイル、アパラチアン・トレイル、コンチネンタル・ディバイド・トレイル)をスルーハイクしてトリプルクラウンを達成。これまでに国内外問わず、気の向くままにハイキングを楽しんでいる。音楽&動物&コーヒー好きな、自由に旅することをこよなく愛するハイカー。

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