Echoes

連載われらをめぐる山

トレランレースの運営やアクティビティを通して見えてくること、
我々をとりまく山をめぐるストーリー

1平尾台プロローグ(第一話)

2010年4月、九州で新しいトレイルランニングレースが誕生した。 北九州国定公園の平尾台で行われたこの大会は、東京や大阪など全国各地からエントリーがあり、募集開始早々に定員に達した。 その頃は九州で大きな規模のレースはなかったから、本格的なトレランレースは九州初の開催だった。

影の功労者のひとり、北九州市役所の重岡さん。 トレランはおろか登山も未経験だった彼がトレランレースを提案し、実際に開催に至るまでには長い道のりがあった。 初開催の数々の障壁を乗り越えて、実現に導いた中心人物だ。 重岡さんを中心としてBross(アウトドアショップ)に集うトレラン好きな人たちに声が掛けられ、徐々に運営メンバーの母体が作り上げられていく。 運営はイベント会社ではなく、トレラン好きの素人の集まりがコアメンバーだ。

image スタート&ゴール地点の平尾台自然の郷(ソラランド平尾台)

少し遡ってレース初開催の2年前、このレースの着想の起因ともなったトレランイベントが北九州で開催されていた。
パタゴニアハッピートレイル。
講師はプロトレイルランナーの石川弘樹さんで、開催場所は福智山系のトレイルと、その後レースの舞台ともなる平尾台。
石川さんが初めて平尾台を訪れたときは、その風景とトレイルの素晴らしさに「ここは本当に日本なのか」と言うほどの感動だったらしい。
後々、平尾台トレイルランニングレースのプロデューサーとして石川弘樹さんにお願いすることになるのだけれど、 人や場所などタイミングが少しでもずれていたら、このレースは立ち上がっていなかったのかもしれないし、計画がとん挫していたのかもしれない。
こうしてみると今まさに起こっている事というのは、予測できない因果性の中で奇跡的に生まれている出来事の連続だ。

image ハッピートレイル 平尾台(2008年)

何もないところから物事を立ち上げていくというのは本当に大変なことだ。
考えてみれば平尾台でレースをするというのは実現性のハードルは高い。
まず考えられる大きな障壁はなんだろう。

ひとつは、自然公園法における国定公園内でレースができるのか、ということ。
平尾台は日本三大カルストのひとつであり、環境大臣が指定した国定公園でもある。
地理的に特異な場所であるとともに、希少植物が多く生息するエリアだ。
自然公園内でのレースとなると許認可のハードルがまず大きく立ちはだかる。
一般のハイクと違い一度に何百人というランナーが同じトレイルを通るわけだから、懸念材料は多い。

image 右側の緩やかに一番高い所は大平山(587m)

二つ目は、地元のコンセンサスを得ること。
平尾台地区は約五十世帯の住民の方や、商売を営んでいる方もいる場所だ。
地域住民の方にはトレランって何?というところから理解してもらわないといけない。
レースイベントとなると多くの人がやってくるし、レースコースとする散策路は本来は農家の方の農道だったり、生活道路だったりする。
そして我々が楽しんでいるハイクやトレランを楽しむトレイルは、毎年2月~3月に行われる野焼きによってこの景観が維持されている。
野焼きが行われなければ、藪や樹木に覆われてしまい、とてもトレイルを楽しむような場所ではなくなってしまう。
この野焼きは、地元の方を中心に多くの人の協力で行われているのだ。
人の手が加わらないことを「自然」と定義すれば、この平尾台は「里山」だ。
ここに住む人たちの手で作り出されている風景といっていい。
そこに我々が入っていくのだ。
開催できるかどうかは地元の合意を得ることが絶対条件となる。

image 露出した石灰岩(羊群原)が見えるところが野焼きの防火帯となる

三つ目。行政、警察、消防との協力関係をどう作っていくのか。
地元との合意形成を得るためには、具体的にどのように進めていくのか。
いきなりその地区に飛び込んでいって呼び鈴を鳴らして話をしていく…なんてことはしない(笑)
地元とのパイプ役はやはり行政で、平尾台地区は小倉南区役所だ。
行政と協力体制を築くことができなければ、それはイコール地元との合意形成も難しくなる。
その他の様々な機関との連携も行政がハブとなってくる。

そして警察との協力。
レースのスタートゴール地点の会場とトレイルとの間には県道28号がある。
どうしても人の集まることができる会場からトレイルへはここを横断しないといけない。
道路の使用許可は警察の管轄だ。
会場が動かせない以上、一部区間の通行止めはやむを得ないからその交渉もマストだ。

消防との連携。
大きな規模のレースとなると、怪我や事故のリスクはどうしても大きくなる。
全国からランナーに来てもらう大会ともなると、事故リスクへの適切な対応と安全対策というのは重要な要素だ。
怪我や事故が起こった際に、車でアクセスできないトレイルからいかに速やかに搬出するか、 救助方法や連絡体制、搬出ポイント、怪我の処置など対策事項は多い。
消防との連携がなければ、適切な安全対策を築くことは難しいだろう。

image 平尾台は視界の開けたトレイルが続く

前例がないというのはとにかく大きなハードルだ。
初めての事は想像しにくいのでどうしてもマイナス方向に振れてしまうし、拒絶反応もある。
トレイルランニングというスポーツの認知度がゼロに等しい地元住民に対して、何度も公民館で説明会を開き、 地権者の同意を得るために畑に出向いてまで話をしたが、交渉は難航した。
実績をつくる前段階というのは仮定の話が多くなるし、交渉においても説得力のある話がなかなかできない。
もしこうなったらどうする、という話のパターンが多くなるのだ。
それに対するこちら側の反応としては、やはり苦しいものがある。
何度も空中分解しそうな状況をなんとか乗り越えながら、開催に向けて一歩ずつ進んでいく。

これはひとつのトレイルランニングレースが始まったことのストーリーだ。
個別の小さな出来事ではあるけれど、ここで展開される話は物事を立ち上げていくときの普遍的な要素も含んだ物語でもある。
表面的には見えてこない、関係性の中でしか見えてこないもの。
北九州・平尾台トレイルランニングレースがどのようにして作り上げられていったのか、その背景の物語。

つづく。

テキスト/安部貴祐 写真/ひさやま写真館(@hisayama_shashinkan)、安部貴祐(2枚目)

プロフィール

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安部貴祐(あべ・たかまさ) 大学生の頃から登山を始めて二十数年。八幡山岳会に所属。
トレランレース(カントリーレース、北九州・平尾台トレイルランニングレース)の運営をライフワークにしている。
仕事は建築設計、コルチナ建築設計室の屋号で活動中。
関心事は、トレラン、登山、DIY、本、映画、音楽。

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