Echoes

連載われらをめぐる山

トレランレースの運営やアクティビティを通して見えてくること、
我々をとりまく山をめぐるストーリー

3西高東低の山

冬の北アルプスに行くとなると、まあだいたい天気が悪いことを覚悟しなければならない。
日本は地理的な因果で、西に大陸、日本海を挟んで、山、というポジションゆえ、北アルプスには重たく湿った雪がたくさん降る。
日本海側に住んでいる人にとってみれば、たくさんの雪は厳しいものがあるだろうけれど、九州に住んでいる僕にしてみれば一面の雪景色というのは、なんとも美しい。
色の少ない、コントラストの強い世界。
凍てつく寒さと吹きすさぶ猛烈な風。
その雪のふる山に魅かれて、毎年年末年始は飛騨山脈周辺の山詣でがつづいている。

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一年も後半になって12月が近くなってくると、家族とか友人から「また正月は雪山?」と聞かれることが多くなる。
雪山イコール危険、の方程式が広く認知されているので、何で好き好んでわざわざ危ないところにねぇ、と呆れたような声が言葉の背後に聞こえてくる。
(でも、実際に一番危ないのは行き帰りの車の運転だよねぇ、といつも思う。)
福岡からおよそ13時間。
片道950kmというのはしんどい距離ではあるけれど、最近は車にオートクルーズが付いているから随分と楽になった。

とはいえ、夜通し交代で運転して朝に登山口に着き、寝不足のまま雪の山中で30㎏の重荷に喘ぐというのは寿命を縮めている気がする。
高山ICを下りて夜明けのコンビニでコーヒーと朝食を買う。エアコンの効いた車内から外に出ると、空気の冷たさにはっとする。
いよいよ雪国に来たんだな、という実感。

さて、目的の山は西穂高岳。
穂高連峰の西穂高岳山頂から西に位置する尾根をイチさんと二人で登る計画だ。
北アルプスの穂高連峰の中では新穂高温泉登山口から距離が近く、アプローチしやすい。

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悪天に捕まらなければ、西尾根上で2泊、山頂超えてから1泊、合わせて山の中で3泊の予定だ。
傾向として、北アルプスの冬山登山を難しくしているのは、西高東低の気圧配置による荒れた天気と積雪の多さ。
北アルプスの厳冬期に目的の山に行けるかどうかは、ほぼ天気で決まると言ってもいい。
年末年始にしかまとまった休みのない僕らは、シーズンに1回だけのチャンスになるので、天気に恵まれなければ何年も同じ山に通い続けるということになる。
2回目のチャレンジとなる今回は、さてどうなるか。

山遊びをする友人・知人は周りに結構いるけれど、冬山登山をする人は少ない。
九州というロケーションがひとつの要因になっているというのはあるだろうけれど、冬山に魅力を感じる自分としては、もっと行く人がいてもよさそうなのに、どうしてだろうと思う。

魅力がない?
いや、あの山を登った時の充実感たるや、そうそう味わえるものではない。
きっかけがない?
やっている人の絶対数が少なければ、それはあるかもしれない。
気軽なものがいい?
みんな色々忙しくて、そんなに遊びに注力できないという事はあるかもしれない。

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じゃあ自分はなぜ冬山に魅かれている?
漠然とした、「また登りたい」という感情の中にあるものは何なのか。
根底にあるものは、人間の生活圏ではない自然の中に入った時に感じる、気持ちよさと怖さの感覚。
それは雪に覆われた山を登るときに顕著となる。
それと、相対的なものよりも絶対的なものに魅力を感じるから、例えば相対的な競技としてのスポーツは苦手だ。
他人との競争とか、駆け引きに勝つとか、そういうことに魅力は感じない。
自然の中に分け入り、間違うと死ぬ可能性のある中で自分の総合力が試される、
試されるのは「自然」に対する自分であって、それは相対的なものではない。そういうものがいい。

「自然」という言葉は、人によって受け止め方が異なるかもしれないけれど、長く山に登ったりする中で自分の中の自然観というものが、ぼんやりしたものから、ある程度の輪郭をもったものになってきたように思う。
自分の言葉ではないけれど、作家の池澤夏樹さんが 『春を恨んだりはしない』 の著作の中で書いていた言葉が一番しっくりくる。
引用させてもらうと、

“ぼくは自然というものについて長らく考えてきて、自然は人間に対して無関心だ、ということが自然論のセントラル・ドグマだと思うようになった。
自然にはいかなる意思もない。自然が今日は雪を降らそうと思うから雪になるわけではない。大気に関わるいくつもの条件が重なった時に、雲の中で雪が生まれて地表に達する。それを人間は降る雪として受け取り、勝手に喜んだり嘆いたりする。その感情に自然は一切関与しない。無関心は冷酷よりもっと冷たい。感情の絶対零度。”

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絶対的な存在である自然というフィールドの中で、自分の力量が試される。
自然というものに意思や感情はないのだから、もうこれくらいにしてくださいと頼んだところで嵐は止んでくれない。
ただただ自然は、超然とそこにある。

登山は体を使う遊びの一種ではあるものの、身体的な要素だけではない部分があることも面白い。
山で何日も過ごすとなると、衣食住のすべての生活要素もそこに入ってくる。
冬山は生活技術だ、と山の先輩は言っていたけれどまさにそう。
体力とか登攀技術とか、そういうこともあるけれど、生活技術に関する要素の方が冬山では重要になってくる。
雪で衣類を湿らせない工夫とか、雪から水を効率的に作る方法とか、雪上でのテントの張り方とか。
それぞれに工夫の余地があって、実践と経験の積み重ねでスキルが上がっていくことも楽しい。
それは普段の生活の延長でもあって、そこに境界はない。
生きる力、と言ってもいいのかもしれない。そういうものが培われていく。

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西尾根は2400mあたりを過ぎると傾斜は増していき、北西尾根とのジャンクションピークへとつながる。
ここまでくると遮るもののない圧倒的な景色が広がってくる。
そして幸運なことに一面の雲海、遠くには雲海から頭をのぞかせる雪を被った高峰の姿。
西穂の山頂は風を受けて雪煙が舞っている。
西尾根からみる西穂の姿はかっこいい。堂々とした山容、独標へと続く尾根のシルエット。
2738mのジャンクションピークの手前の傾斜の強い岩と雪のミックス帯は、緊張を強いられるけれど、慎重に通過して、西穂沢側に張り出した雪庇に注意しながら登りつめると、間もなく山頂だ。

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2909mの西穂高岳山頂には、僕らの他は誰もいない。
タフな登りと緊張の雪稜を越えて、たどり着いた山頂は晴れ渡り、雲海に浮かぶ最高の景色が広がっていた。
こんな贅沢な新年の幕開けはないでしょう。
やりましたね、イチさん。
さあ、次はどこに行きましょうか。

テキスト・写真/安部貴祐

プロフィール

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安部貴祐(あべ・たかまさ) 大学生の頃から登山を始めて二十数年。八幡山岳会に所属。
トレランレース(カントリーレース、北九州・平尾台トレイルランニングレース)の運営をライフワークにしている。
仕事は建築設計、コルチナ建築設計室の屋号で活動中。
関心事は、トレラン、登山、DIY、本、映画、音楽。

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