Echoes

連載人生を耕す本

耳納連山の麓からMINOU BOOKSの店主がお届けする
ハイカーのためのブックレビュー

7オオカミの護符

image 雲の切れ間から覗いた双六小屋。山行初日と二日目は生憎の天気だった。

久しぶりの更新だなと思い確認してみたら、前回のブックレビューから約1年と9ヶ月。その間には、新型コロナウイルスのパンデミックや、店名がなんと「MINOU BOOKS」(& CAFEがとれた)に変更するなど、様々な変化があり、とても長い時間が経過したような気がしている。
今回から、以前までと少し内容を変えてみようと思う。これまでは、テーマを決めて数冊の本を紹介させて頂いたが、今回からは、毎回1冊の本を紹介する。
また、これまでよりも、山や、自然、歩くことによりフォーカスした本を紹介しようと思う。
「人生を耕す本」第2章ということで楽しんでもらえれば幸いだ。

image オオカミの護符 / 小倉美惠子 著 (新潮文庫)

山へ行く時は必ずザックに1冊本を入れていく。日帰りの低山でもテント泊、小屋泊でもそれは変わらない。選ぶ本はその時の気分で決めるが、山や自然、もしくは思想、哲学関連の本が多い。なぜ、山で山の本を?と思われる方がいるかもしれない。山での思索をもとに書かれている本を山で読むことは、同じような状況下に身を置くことで、著者の思いをより深くに感じることが出来る。そのような、山でしかなし得ない読書体験があるのだ。
今回の1冊は、今年の夏、人生2度目の北アルプスに行き、「黒部五郎岳」を目指した時に読んだ本を紹介したい。山行自体は、黒部五郎小屋まで行ったものの、天気に恵まれず黒部五郎岳への登頂は諦めるという少し悲しい結果に終わったのだが、黒部五郎小屋のテント場で読み耽ったこの本の印象はとても心に残っている。

話は、高度経済成長期に大きな変貌を遂げた川崎市の実家で、著者が目にした一枚の護符からはじまる。そこに書かれたオオカミの絵の謎を辿っていくうちに、村の人の集まりである「講」に行き着き、無数の点と点が結ばれて話は山岳信仰へと繋がっていく。
この本が面白いのは、文献を頼りに調べていくだけでなく、著者自らが山へ向かい、そこで行われている神事を体験し、そして関わる人々の声を聞く。そのなかで感じた実感や気づきを元に次々と話が繋がっていくところだろう。その気づきは本当に些細なものなのだが、著者自身が体験した幼少期の祖父との思い出や、昔の土地の記憶と結びつきながら大きな思考の流れになっていく。その流れが、著者の実家がある川崎市宮前区土橋と、関東甲信の山々をまっすぐと繋いでいく展開にぐっと引き込まれるのだ。
一枚の護符から山岳信仰へ、そして著者の探求は、山岳信仰の起源を巡る話にまで進んでいくのだが、ここは是非本書を読んで頂きたい。そもそも、昔は山を中心として文化が形成され、それが近代になって里に降りてきたという、現代の発想や価値を転換するような著者の考察も面白い。

本書の中で、学校で習う「大きな歴史」と、家や村の暮らしといった「小さな歴史」という言葉がでてくる。著者は教科書に書かれるような歴史ではなく、人々が実際にそこに生きた証として続いている、誰かが記録しなければ永遠に忘れ去られようとしている、土地の記憶のような歴史を丁寧に辿っている。

image 黒部五郎小屋のテント場で唯一撮影した一枚。ここがどこだかわからない位の感覚が、その時の僕にはとても心地がよかった。

黒部五郎小屋のテント場でこの本を読んでいた僕は、ふと、随分と遠くの山に来てしまったと思った。この山のことを詳しくも知らずに、インターネットからの情報といくつかの綺麗な写真、しいて言えばより深い山に行きたかったぐらいの動機でここまで来た。
もちろんその動機を否定する気は無いが、この本の中にはもっと広くて深い意味と、畏敬と畏怖の思いを持って山のことが語られている。

本書の最後に、山岳信仰の神事を今も続けている方へ「お山」への思いを伺う場面がある。そこで言われる「お山」という言葉には、単に山岳を指すものだけでなく、「山の世界」、そこで暮らす人たちを生かす存在としての「命の根源」そのものへの想いが含まれている。
その箇所を読みながら、自分が生きているということと、山岳信仰を通じて伝えられてきた「お山」が感覚として繋がっていくような山との関わり方をしたいと思った。

帰りの飛行機は富山側をまわって日本海に出たので、驚くほどに美しく神秘的な山容と雲がおりなす景色が続いた。人は、鳥のように俯瞰して見る目は手に入れたけれど、視覚に頼りすぎることで、自然としての人間の部分と、山の自然を繋げるような感覚は失ってしまったのかもしれない。

テキスト・写真/石井勇

プロフィール

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石井勇(いしい・いさむ) MINOU BOOKS オーナー
cafe&books bibliotheque、インディペンデントの音楽レーベル「wood/water records」の運営、バンド「Autumnleaf」での活動、まちの写真屋「ALBUS」など福岡市内にて文化周辺での活動を経て、2016年9月に耳納連山の麓、故郷のうきは市吉井町にて本屋とカフェのお店「MINOU BOOKS&CAFE」をオープン。衣食住といった生活周りまわりの本からアートブックまてまで、「暮らしの本屋」をテーマに、いつもの日常に彩りを加えるような本をセレクトしている。
趣味は、温泉巡り、ボルダリング、登山。
2021年9月30日から7年目スタートのタイミングで店名を変更しました。 https://minoubooks.com/

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