Web Magazine for Kyushu Hikers Community
尺上渓魚と出会える瞬間を日々妄想してるへっぽこ釣り師のテンカラ釣り備忘録。
釣果が良いとよく喋りボウズの時は口数減ります。
3月1日と言えば渓流釣りを楽しむ人にとって特別な日。渓流釣りには10月1日から2月末まで渓流魚の産卵期の保護のため禁漁期間が設けられており魚種により期間も変わるが渓流で山女魚や岩魚釣りができるのは3月1日から9月30日まで。(水域によって例外もあるがほぼこの設定)
そんな禁漁期間が明けた2020年3月1日私にとってのテンカラ2ndシーズン初日、いつもの仲間と2人で日本三大秘境である宮崎の椎葉村を流れる九州脊梁山地を源頭とする耳川水系へ向かうため真夜中に北九州を出発した。片道4時間ほどかかる道のりも期待に胸躍らせ全く苦にならない。どこからそんな自信が湧くのか自分でもわからないが釣れる気しかなかった。もちろん「釣れなくても解禁初日に渓に入ることに意味があるんだよね」とわけのわからない予防線を張るのも忘れなかった。
日の出前に椎葉村に到着。空は今にも雨が降りそうな厚い雲に覆われ辺りは薄暗かったが立ち込めたガスが抜け険しい山の斜面に現れた棚田や石垣の上に長屋の建ち並ぶ集落の風景は厳しい環境で生き抜く人々の逞しさを感じた。改めて禁漁期にゆっくり観光で訪れたい場所だ。
日の出の時刻まで道沿いを車で周り入渓地点の下見をしていると前日から道沿いでタープを張り解禁前日の酒盛りを楽しんだであろうグループの姿も。年越しさながらのお祭り騒ぎだ。そう、渓流釣りをする者にとってはまさに明けましておめでとう!な日なのだ。釣りにきたと思われる車も入渓地点らしき場所にチラホラ止まっている。近隣に住む地元の方の車かもしれないが全て渓流釣りに来た先行争いのライバルに見えてしまうのだ。笑
そんな感じでプラプラしてると道沿いに遊漁券を取り扱う札を掲げ、早朝から営業している商店を見つけた。年券は既に購入していたので朝ごはんを購入がてらポイントを教えてもらえればと入店。店番していた奥さんらしき方しかおらず情報は得られず。残念だが仕方なくパンを買い店を出ると軽自動車の運転席から奥さんに話しかける常連さんらしき方。失礼だが早朝から酒を買いに来たんじゃないかと酒気帯び運転を疑う風貌。「釣りね?」と話しかけられ少し会話すると、この店の裏手でも山女魚が釣れるよと教えてくれた。おじさんの言葉を頼りにその商店の少し下から入渓して釣り上がることに。
南国宮崎とは言え3月初め、まだまだ渓の水は冷たくウェーダーで入渓。しばらく竿を振ってみるが反応はない。そりゃそうだ、テンカラを始めた昨シーズン1匹しか釣れてない私が解禁初日にそう易々と釣れるわけがない笑
そして先程の商店の裏手まで釣り上がった所でさっきのおじさんが道路からこちらを見下ろし「どうね?釣れたかね?」と話しかけてきた。「全く釣れません」と答えると少ししておじさんがフライベストを身につけて川に降りてきた。聞けばおじさんは先程の商店のご主人でテンカラ師だそうな。「先シーズン禁漁前に同じ水系の山女魚を釣っては、ここにリリースしてるからいるはずだけどな」とおじさん。オモロイ。自宅裏の山女魚を増やすためにそんな地道な作業を…と思って聞いてると100匹は放ったらしい。凄い。マジか。笑
「ちょっと竿貸してみて」と言われおじさんに私の竿を差し出す。仕掛けも毛鉤も変えずにおじさんが私の竿を振った瞬間、山女魚がライズした。嘘でしょ?もう一度振ると山女魚が釣れた。えーーー!まるでマジックショーを見ているかのようだった。おじさんが何度振っても山女魚はライズするし釣れるのだ。目の前の嘘みたいな光景に目を丸くして驚く私に「テンカラはこうやって釣るのです」と言い竿を返してくれた。おじさんカッコ良すぎた。朝から商店に酒を買いに来た常連さんだろな、なんて勘違いして申し訳ありませんでした。弟子にしてくださいwと心の中でわびた。笑
返してもらった竿を再び振るが師匠(もう勝手にそう呼ぶw)の時のように山女魚はライズしないし、アタリもない。すると「これつけて釣ってみるね」と師匠が巻いた毛鉤を譲ってくれた。淡いベージュのウールのボディにニワトリの毛が巻かれた12号の普通毛鉤。「頑張って」と師匠は再び商店に戻って行った。
思い起こせば、それまで誰にもテンカラを教わる機会がなかったため、経験者のテンカラを見たのはこの時が初めてだった。ナチュラルに毛鉤を流すだけでなく師匠は誘いをかけており、その行為を引くと表現していた。確かに毛鉤をスーッと師匠の方に引いた時にアタリがあったように見えた。
早速師匠の毛鉤をハリスに結び竿を振ってみる。すぐには釣れなかったが何度か毛鉤を流すと僅かに深くなった場所から山女魚が出てきた。これは声をあげ飛び上がるほどに嬉しかった。1stシーズンは山女魚が釣れてくれたけど、この時は初めて私が山女魚を釣った実感が湧いた。青緑色した背側から輝く金色、淡いピンク色がかった側線にかけてのグラデーション、真っ白な腹部、くっきりしたパーマークがとても美しい山女魚だった。それからさらに2匹の山女魚が釣れた。師匠に出会えていなかったら釣れてなかったと思う。
朝から小雨がパラついてはいたが昼前には本降りになってきた。仲間も6匹ほどの釣果をあげ私も最初の1匹が釣れた時点ですでに釣り欲は満たされ、いつ納竿しても良かったので悔いなく脱渓することができた。
道路に上がり車に戻って歩いていると別の支流から脱渓した方が近づいてきて「どうでした?釣れましたー?」と話しかけられ「はい3匹!」と自慢気に答えこちらもその方に釣果を伺うと「38匹釣れました」と。(えっ午前中だけで38匹?)もう驚きしかない。そして自慢気に答えた私を無かった事にしたいwその方もテンカラ師だった。少し話をして別れ仲間と凄すぎん?と話しながら車に戻ると師匠が現れ「お昼は食べたかね?鹿煮込んだから食べていかんね」と誘ってくれた。もちろん「わっいいんですか?ありがとうございます!いただきます!」と2つ返事で誘いに乗った。
師匠が作った4畳半ほどの小屋に案内されお邪魔した。小屋にはロケットストーブから出ている長い横引き煙突が部屋の中央を通り屋根に向かうL字形で設置されており暖房を兼ねているおかげでとても暖かい。ロケットストーブの上にかけてある大鍋で煮込まれた鹿肉を取り分けてもらい遠慮なくいただいた。38匹釣果のテンカラ師(小師匠と呼ばせていただくw)もその小屋に来ていた。師匠とは古い仲で毎年定期的に連絡しては大分県から通い師匠に巻いてもらった毛鉤でテンカラを楽しんでいるとのこと。小師匠は「何が良いかわからんけど、この人の毛鉤が良く釣れるのよ」と笑いながら話した。小師匠の釣果からそれは間違いないと思った。小師匠は海釣りに関してもエキスパートな方だった。止まらない師匠と小師匠のテンカラ話。聞いているだけでもとても愉しい興味深い話の数々、得難い時間だった。
またタイイングバイス(毛鉤を巻く時に鉤を固定する万力)が窓際のテーブルに設置してあり師匠が毛鉤を巻きつつ使用している材料や巻き方をひとつひとつ詳しく教えてくれた。おまけに巻いた毛鉤までいただいた。この時の毛鉤は今でもタイイングの見本として大事に保管してある。話はいつまでもつきなかった。福岡から来た初見の私たちを温かく迎え入れてくれ聞けば知っていることは包み隠さず何でも教えてくれる師匠と小師匠。驕ることもなくユーモアもありとても親しみやすかった。車の運転さえなければ夜更けまで泊まりで一緒に飲み明かしたいくらいだった。数時間後「ごちそうさまでした!また必ず会いに来ます」と再会を約束して帰路に就いた。
2020年シーズンは耳川水系のこの支流に通い詰め師匠にも沢山会いに行こう!次こそは泊まりでお酒を交わしながらテンカラ話を夜通しやるんだ♪と決意した解禁日だったが、それからまさかのコロナ禍に突入となり、流石に高齢の師匠に福岡から県を跨いでのうのうと会いに行くわけにもいかず張り切って購入した耳川の年券はシーズン通して、この解禁日半日だけの使用となってしまった。その後2020年と2022年の度重なる大型台風で椎葉村や耳川水系は大きな被害に遭い現在も復旧作業中ではあるが、あれから4年間ずっと気にかけ我慢してきた師匠の所に今シーズンこそ会いに行きたい。私の事など忘れているかもしれないがあの日のお礼に手土産を持って商店を訪ねてみようと思っている。元気な顔を拝み、また一緒に渓に立って山女魚を釣りたい。
テキスト・写真/内海裕子
プロフィール
内海裕子
2015年から登山を開始。
気づけば毎週末山で過ごすように。そうして出会った山仲間とテンカラやりたいねと盛り上がり2019年6月末にテンカラクラブ結成。経験者なしの全員初心者。試行錯誤しながらも2020年シーズンより本格的に始動。今年で5シーズン目のへっぽこ釣り師。沢泊とビールをこよなく愛す。迷ったらオモロイ方!行きたいとこに行き、会いたい人に会い、やりたいことをやるがモットー。