One Day

Day 520210924 / 晴れ

image 福岡市中央区の最高峰、鴻巣山。標高100mの裏山からの景色が気づかせてくれることはたくさんあった

数ヶ月間続いた緊急事態宣言やまん延防止措置がようやく解除された。 このウェブマガジンの読者であれば、行きたい山に行けず、入りたい海に入れない日々にストレスを感じていたことだったと思う。もちろん僕自身もその1人だった。
会いたい人にも会えず、酒を飲んで騒ぐこともできず、イベントは中止になり気晴らしの場を奪われ、慣れないリモートワークや飲食店をはじめ休業を余儀なくされた人の心労は計り知れない。
まったくコロナは最低だ、と思う。
もうこのまま収束してくれ、もとの世界に戻してくれ、と叫びたい。
おそらく誰もが同じように感じているのではないかと思う。
もうこんな生活は二度とごめんだ、という前置きを共有しつつ、この数ヶ月を振り返ってみると、そこにある種の心地よい静けさがあったことに気がついた。

これまで、福岡に続けて1週間いることも珍しいというくらいだったのに、移動の自粛により、行動範囲が制限された生活を強いられた。結果的にこの期間は、僕にとって福岡に引っ越してきて以来、最も長く福岡にいた時間となった。
県外の山や海へ行ってはいけないということはなかったのかもしれないが、なんとなくそれも面倒くさくなってしまい福岡の山や海へ通った。もっとも多く足を運んだのが、糸島の海と僕の住んでいる団地の裏にある鴻巣山だった。

糸島には僕たち夫婦が福岡にうつってすぐに購入した土地があった。いつかそこに住めたらいいな、と思ってのことだった。しかし、現実味を帯びることはなくずっと放置され、土地は伸び放題になった笹で覆い尽くされていた。建築家の友人に土地を見てらったこともあったが、まずは草刈りしないと何もわからないね、という話で終わっていた。

移動の自粛にともない、サーフィンをするのに通い慣れた宮崎をあきらめ、糸島の海に通うようになった。夏の日本海で波のある日は少なく、常に注意深く波情報をチェックし、そして辛抱強く待つことが大切だった。何度か糸島でサーフィンするうちに、その土地がいくつかのサーフスポットのすぐ近くであることに気づいた。そして、ここにサーフィンに来たときに泊まれる小屋を作ろうという目標が立ち上がった。この夏は、草刈りしてサーフィンへ、という新しい毎日の流れが生まれた。

いっぽう、今年は雨が多く、家で過ごすことも多かった。そのおかげで、やろうと思っていたことや、いつかはやらないとと思っていたことに手をつけることができた。とは言っても、家事や生活の延長線上にあるドメスティックなことばかりだ。包丁研ぎ、自転車のブレーキパッド交換やパンク修理、サーフボードのリペア、買いためた豆を使ったレシピ研究、蕎麦打ちやピザづくりなんていうのもあった。 毎朝、覚えたてのヨガを練習して、しばらく瞑想をした。そして、たまにある晴れた夕方には、すぐ裏にある鴻巣山でジョギングをした。うまく繋ぐと2キロくらいになるトレイルをその日の気分でグルグルと回った。鴻巣山の山頂には展望台があって、そこから福岡の街が見わたせた。

僕は、狭い行動範囲の中で、同じようなことをして過ごす日々の中に、ルーティンがもたらす心地よさを感じるようになっていた。朝起きてから夜寝るまでの、少ない移動距離の中で、これまで外にばかり求めていた「世界」を、内に見つけるようになっていた。それは安全で平和な水槽の中の「世界」だったのかもしれないが、同時にそれは、これまでにもずっとそこにあったはずの僕のリアルな「世界」でもあった。

緊急事態宣言による自粛という、これまでの人生にない行動様式により、見ることのなかった角度で自分と自分を取り巻く「世界」に目を向けられるようになった、などと言えば誤解を招くような気もする。でも、その期間の小さな範囲での胎内回帰のような生活は、マクロからミクロへの気づきの旅であり、そこには内省的なある種の静けさが確かにあったと、僕には思える。

もちろん、もう緊急事態宣言なんか欲しくもないけど、少しだけ良い時間だったなと振り返るのは僕だけだろうか。

テキスト・写真/豊嶋秀樹

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