One Day

Day 620211016 / 晴れ

image 伊勢神宮外宮参道に午前6:30から営業している伊勢うどんのお店がある。柔らかいうどんによくからむ甘辛いタレは、これから始まる僕たちの山旅を暗示していた

毎年恒例になっているハイキングある。 緊急事態宣言が解除された10月の朝、BとKと僕の3人は、大阪発の近鉄特急に乗り込み伊勢へと向かった。

この3人でのハイキングは、今年で6年目となる。
1年目は、残雪期の剱岳を背に立山から槍ヶ岳へのルートを試みたが、雪の状態が悪く途中で引き返し、いったん大阪へもどりそのまま四国の剣山を目指した。
2年目は、九州の脊梁山地を縦走しようということで集まったが、天候が思わしくなく、予定を変更して屋久島へ行くことに。
3年目は、お隣の韓国の山へということになり、僕は福岡から高速艇で釜山へと渡り、韓国の山と食を堪能した。
4年前は、もうひとつのお隣の国である台湾の4,000m峰をめぐる縦走路へ。
そして5年目となった昨年は、再び脊梁山地のハイキングを計画し、山と里をつないで霧島から阿蘇まで歩こう意気込んだ。

そして今年はというと、伊勢神宮をスタートに『まつさか香肌イレブン』と呼ばれるトレイルと台高山脈をつないで大台ヶ原を経由して尾鷲へと抜け、尾鷲神社をゴールに、あわよくば、そこからさらに和歌山県新宮の熊野速玉神社まで行ってしまおうと、それが現実的なのか無謀なのか、何の確証もないままに旅は始まった。

もし、このハイキングが計画どおりにいけば、神社から神社をつなぐ合計200kmを超えるルートになるはずだ。昨年の九州の180㎞をしのぐ、ささやかなロングトレイルに僕たちはワクワクせずにはいられなかった。
とは言っても、絶景にも乏しい1,500m前後の山が連なる、しかもスタートとなる伊勢神宮から最初の登山口までがロードで50kmもあるという、モノ好き向けと言われても仕方がないようなルートである。
しかし、ハイキングを登山口から始めるのではなく、街や里から歩き始め、山を超えては里へ降り、里を歩いてまた山へというスタイルが楽しい。地味とも言えるような山域を、波線ルートや林道歩き、里での野宿などを含めて自由につなげて歩くことが実に新鮮に感じられるのだ。
そこには、ひと山こえて降りた街のスーパーで食料を買い足し、地元の食堂で腹ごしらえをし、缶ビール片手に今日の野宿の場所をさがして歩くというような、ハイキングとは別の要素も入り込んでくる。
どこまでも続くかのような高山の稜線を歩きとはまたひと味違った、濃厚な「旅」の要素が詰まっている。

こんな楽しみ方にハマってしまうと、日本だけでもまだまだいくらでも歩けるところがあることに気づく。
そして、その楽しいと思う気持ちは何に対して感じているのだろうと思いを巡らせると、それはおそらく、自由であることや、歩いてどこかへと向かうこと、人との出会いなどによって、本来であれば素通りして見過ごしているような、すでにそこにあるすばらしい世界の存在に気づかせてくれることかもしれない。
そんなことは普段の生活でも日常的にあることだろうが、生活道具の一切を背負い、一日中歩くことによってのみ得られるような経験もあるのだなと深く感じる。
また、歩くことによって時空を超え、いにしえの人々を辿るような気分にさせてくれる瞬間がたびたびある。それは、彼らから生を受けつぎ、現在を歩き続けている自分自身と出会う行為でもあるようにさえ思える。

もしかすると、そのうちに山でなくても良くなるのかもしれないと思う。
でも同時に、山ほど自由でいられる場所も他にはないとも思う。
山と里をあわせたハイキングは、日常と非日常のはざまで、何かのヒントを与えてくれているような気がする。

ちなみに伊勢神宮からの僕たちのハイキングは、140km地点あたりで悪天候、脆弱な装備、不明瞭なルート、枯れた水場など、それらの組み合わせは僕らの心を折るにはじゅうぶんな理由となり、来た道を引き返し予定より2日早く下山することになった。

尾鷲神社へはいけなかったが、下山した登山口の近くにあった神社へお参りすると、ここは伊勢神宮と繋がりがあるんだと境内を掃除していたおじさんが教えてくれ、不思議な縁を感じてこの旅をしめくくった。

テキスト・写真/豊嶋秀樹

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