Hikers

法華院の女、法華院の男

前田美幸、米田陽星

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超高速皿洗い

九州で山といえば「くじゅう」という人は多いはず。九州の山に馴染みのない方のために少しだけ説明すると、「くじゅう」は、日本百名山にも数えられる大分県にある火山群の山域だ。最高峰である標高1,791mの中岳を含む、10座ほどの1700m 級の山々が連なる。5月下旬から6月中旬にかけては、国の天然記念物に指定されているミヤマキリシマが山肌を美しいピンクで染め、多くの登山者でにぎわっている。阿蘇山とともに「阿蘇くじゅう国立公園」内に位置し、山域内にある「坊ガツル湿原」と「タデ原湿原」は保全すべき重要な湿地としてラムサール条約で登録されている。
「くじゅう」のど真ん中、ヘソのような場所に法華院温泉山荘がある。ハッピーハイカーズのメインイベントである「法華院ギャザリング」は、法華院温泉山荘さんの全面的なご協力のもとにここで開催させていただいている。
今回のHikersのコーナーでは、法華院温泉山荘で働く米田陽星さんと前田美幸さんのお二人に話を聞かせてもらった。もしかすると、山荘を訪れたことがある人の中には、受付や売店、山荘周辺で働く彼らの姿を見かけたことがあるかもしれない。

「私は、10年前に初めてここに来ました。でも、幽霊部員なので、居たり居なかったりするんです。」という、美幸さん。僕が彼女に初めてあったのは、ハッピーハイカーズを立ち上げて最初のイベントのクリスマス会だったはずだ。少しエキゾチックな雰囲気が印象的でよく覚えている。

いっぽう、「僕は、ちょうど、2年になります。」と言うのは米田さん。 トレイルランニングをする人であれば米田さんのことを知っているかもしれない。九州の地元レースである「カントリーレース」では常に上位に入る速い選手だ。

どこの山小屋にも、個性的で魅力的なスタッフの姿がある。僕は、基本的にテント泊が多いので、テントの受付時や食堂でお昼を食べるときくらいしか接することはないのだが、頭にタオルや手ぬぐいを巻いて忙しく動き回っている姿はどこの山小屋でも共通だというのは偏見だろうか。

「皿洗いっす。」

二人は山荘でどんな仕事をしているのかという質問に、間髪入れずに米田さんが答えた。

「米田さん、めちゃめちゃ早いんですよ。超高速の皿洗い。」

美幸さんが笑いながら続ける。
「特に技はなくて、ただ頑張るだけです」と、真面目な顔の米田さん。
二人のやりとりの間合いが絶妙で、なんだか山荘の仕事場は楽しそうだ。

ケツが拭けない

では、山荘の典型的な1日ってどんな感じなんだろう。繁忙期と閑散期では違うだろうが、まずは、忙しいときの1日について聞いてみよう。

「忙しい時は5時半出勤です。」美幸さんがそう答える。「朝は、朝食の準備から始まります。6時半からお客さんの食事が始まるので、それまでに前日に仕込んでおいた朝食を盛り付けていきます。」
「僕は、海苔をのっけてます。」
飄々とした米田さん。「そのあと、男は朝7時から風呂の掃除です。」
「女性が朝食の片付けをしていると、8時くらいにお風呂掃除の男性たちが戻ってきて、自分たちの朝食を食べます。8時45分くらいには仕事再開ですね。」美幸さんが続ける。 男性は、布団を畳んで、掃除機かけ。女性は、トイレ掃除と厨房の片付けと手分けして仕事は進む。
「発電機を切り替えて、油を補充して。」と、米田さん。
「10時半くらいにお茶します。」と、美幸さん。
「そっからもう夕食の準備っす。」と、ふたたび米田さん。
そうするうちに、一般の登山のお客さんがお昼ご飯を食べにひっきりなしにやってくるようになる。1時ごろになって落ち着くと、自分たちの昼食と休憩になる。つかの間のひと息つける時間だ。
「休憩が終わると、宿泊の受付が2時から始まって、夕飯がだいたい2回戦か3回戦くらい。5時半、6時半、7時半ですね。」米田さんが説明する。「1回が60人から90人くらいで、多いときはそれが3回で合計250人くらいですかね。」
250人という数字に僕はびっくりした。ミヤマキリシマと紅葉のシーズンには宿泊者数がそれくらいになるらしい。
「夕食を出しつつ、弁当作るチームが弁当作って、朝ごはんの仕込みに入るんです。」米田さんが言う。
朝ごはんの仕込み作業は深夜12時ごろまで続く。それからお風呂に入って、寝るのは午前1時ごろになるという。そして、ふたたび朝5時には起きて1日が始まる。繁忙期にはこれが2、3週間続くということだった。かなり大変な仕事だ。
「ゴールデンウィークがウォーミングアップみたいな感じで、ミヤマキリシマが5月中旬から6月上旬くらい、夏はお盆もだけど、「山の日」とか「苦汁登山」みたいなイベントの日もあるし、秋になると紅葉ですね。」美幸さんが続けた。
「もうその頃にはボロボロになってます。その頃には皿洗いの疲れが蓄積して腱鞘炎がピークになって来る。ケツが拭けなくなるっす、この動きが。」と、笑いながらお尻をふくような仕草を米田さんがする。でも、なんだか楽しそうに聞こえるのは気のせいか。
11月の半ばくらいから落ち着いてきて、年末年始にもうひと波がすぎると、次のゴールデンウィークまでは静かな時間となる。
「一番好きな時期ですね。」

美幸さんが、ホッとしたように微笑んだ。
それでももちろん、冬の間中ぼうっとしているわけではなく、忙しい時期にはできない、草刈りや外来種の駆除、野焼きの準備などの仕事がある。
「春は山菜をとりに行きます。たらの芽とか、ウドとか採ってきて、お客さんに出すんです。あとは、掃除ですね。普段できない窓拭きとかやりますね。」美幸さんが答える。
僕は、いつか米田さんが、屋外に設置されている水道のパイプのところで何やら作業しているのを見かけたことがあった。
「水道管に落ち葉が詰まって、そこから凍りだすから、それを溶かすとか、ゴミをとるとか、あれが大変ですね。大雨が降ったりしても詰まります。パイプが外れたこともありますね。」
そういうわけで、閑散期にもそれはそれでやることがたくさんあるようだ。

U・F・O

「私は、法華院が好きだから。」美幸さんは、少しだけ考えてそう答えた。 他の山小屋でも働いてみたいと思わないのかと僕が尋ねると、「思わないです。ここの居心地が良すぎて。 とにっこり笑って続けた。 今度は、米田さんに、山小屋で働いていて楽しいことは何か聞くと、 「なんか、ここにいると、山に囲まれてるんですよね。好きなものに囲まれてたいっす。」と、まっすぐに僕の方を見て答えた。 暇な時期に入ると、休憩時間に走りに行ったりするんですよ、と、美幸さんが付け加えた。 「もうそろそろ走り始めんと体力が落ちていきよるっすもん。」と、米田さんは、ダメだというふうに手を横に振って答えた。 最後に僕は、山荘で働いていて記憶に残っているエピソードがあれば教えて欲しいと二人に尋ねた。二人はうーん、と首をひねって唸りながら散々考えあぐねたあと、米田さんが答えた。 「蜂の巣は怖い。」

あまりに真面目な顔をしていうのがおかしくて僕は吹き出しそうになった。 「毎年、スズメバチが巣を作って、それを男全員で壊しに行くんです。軒下に、気付かずにもうでかくなってたりして、ヤベェってことで。水攻めにしたり、殺虫剤攻めにしてから叩き落とすんです。」 それは確かに怖い。刺されたりしないのだろうか。 「僕は刺されてないですけど、1人刺された人が具合悪くなって救急車で病院行ってましたね。 アナフィラキシーですね。もう顔が土色になってて、辛そうでした。

本当に怖い話だった。

そういえば、忘年会なのか、新年会なのか、山荘のスタッフが仮装してお客さんの前でピンクレディーの『UFO』を並んで踊っている動画を見たことがあった。 僕がそのことについて尋ねると、「それは聞かないで」というように米田さんは顔を横に振った。 「女将さんがお客さんを喜ばせたいっていう気持ちがすごいあるから、あれこれ色々考えてやってるんですよ。夏ぐらいから考えて。 美幸さんが、米田さんの代わりに答えた。 二人はそれからしばらく、あれはこうだからとか、いやいや、そうではなくてとか、仮装ダンスについての見解を述べあっていて、僕は、二人のそんなやりとりを聞いているのが楽しかった。

確かに、山荘での仕事は忙しくて重労働なのだろうけど、二人の話す表情には、「でも、やっぱりここがいいんだ」という雰囲気があって聞いていて気持ちがよかった。 僕は、山小屋で働いたことはないけれど、そういう時間も経験してみたかったなと、二人のことを少し羨ましく思った。 取材を終えて外に出ると、ほんのり汗がにじむくらいの陽気だった。 大きく息を吸い込むと、温泉の匂いがほんのりブレンドされた、山の気持ちいい空気で僕は満たされた。 次回号からは、それぞれのことをもう少し話してもらおうと思う。

第1回終わり〜第2回へつづく

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取材/2019年3月26日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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