Hikers

TJARは、山で遊んできたことの
集大成的な目標になると感じています。

福原正夫

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静かで柔らかい印象を受ける福原正夫さん。実は、2016年のTJARの選考会に九州からはただ一人、そして、エントリーした選手中の最年長の挑戦者だ。58歳という年齢を全く感じさせない、福原さんにじっくりお話を聞いた。全3回。

私が58歳で最年長でしたね(笑)。九州でも一人だろうなとは思っていました。

トランス・ジャパン・アルプス・レース(TJAR)とは、日本海の富山湾から日本アルプスを縦断し太平洋の駿河湾までの415kmを8日間以内で踏破するという、2年に1回開催される山岳レースだ。レースに出場するためには、参加資格や条件を満たし、書類選考を経て初めて選考会にエントリーすることができる。選考会と言っても実際に南アルプスを走るという、レースさながらのものである。そして、その選考会をクリアした者だけが、実際にレースに挑むことができるのだった。
福原さんは、2016年のTJARの選考会に九州からはただ一人、そして、エントリーした選手中の最年長者として挑戦した。

「TJARは、山で遊んできたことの集大成的な目標になると感じています。今まで、自分の山登りをなんとなくやってきたんですが、TJARを目指すことで自分が高まっていく感じがしています。標高3000mのアルプスの稜線で台風もあったりするようなひどい条件の中、安全を確保しながら動くためには、そのための知識なり、技術なり、経験が必要となります。今回の選考会でも、意外と成長したなって思える部分があったと同時に、まだ全然足りないなというのを改めて感じました。そういう意味で、自分がやってきた山登りの世界で、自分が成長していると感じられることがあのレースを目指す理由のような気がしますね。2年前の前回大会にもエントリーしたんですが、書類の不備で受付してもらえなかったんです。今回は、書類選考の実績を作るために去年の夏から気をつけていろいろと取り組みました。そうやって2年分の経験を積んで、前回よりは準備をしてきたつもりではあったけれど、まぁ、まだまだということですね(笑)。」

還暦の年に再挑戦する。

福原さんは選考会で定められた規定時間内にチェックポイントを通過することができず、残念ながら仙丈ヶ岳で途中リタイヤという結果に終わった。下山してすぐであろう福原さんのFacebookには「還暦の年に再挑戦する」という宣言がすでに投稿されていた。

「チェックポイントまで行ったとしても制限時間内には通過できないとわかったので、仙丈ヶ岳で途中リタイヤしたんです。朝の7時半頃ですね。スイーパーというんですが、二人の大会スタッフが、最後尾の私のスピードに合わせて後ろについて登ってくれてるんです。寒いのに、二人に悪いなって気持ちもありました。チェックポイントのスタッフもあと1時間半くらいは待たせないといけない。それよりは、ここでリタイヤしてあとは自分で下山しようと思いました。続けてもいいですよと言ってくれていたんですが、どうせ間に合わないしのんびり降りるかって。」

福原さんは、その時のことを振り返りながら話してくれた。リタイヤの決断の理由に福原さんの人柄を垣間見たような気がした。それでも、リタイヤを決めた時にはスッキリした気持ちになっていたのだろうか?淡々と、ときに笑いながら話す福原さんは、結果への執着を感じさせなかった。むしろ、新しい目標を得たことで次へ向かえることを喜んでいるようにも見えた。

「もちろんリタイヤした時には、『終わったな』という気持ちになりました。仙丈ヶ岳からの下山のルートは、都合により選考会で当初指定されていたルートから急遽別のルートへ変更になっていました。リタイヤした私は、どのルートでも自由に選んでもいいので、当初のルートで降りることにしました。次回のためには正規のルートで下りておいたほうがいいなって。下山してからも、北沢峠からそのままバスに乗って帰ることもできたのですが、次回のために、距離感や高低差を感じておこうと思い、コースとなっているところを走って帰りました。

TJARには今のところ年齢制限は設けられていないという。そのことを福原さんに確認すると、「次回から設けれても困るんだけどね」と、笑った。その後も福原さんは、選考会での体験についてたくさん話をしてくれた。自分ができたこと、できなかったこと。次はこうしようということなど、トライアル&エラーを繰り返しながらずっと走ってきた福原さんの頭の中は、今もTJARのことでいっぱいのようだった。

寝ることと食べること、それが甘かった。

「やっぱり、食べることと寝ることっていうのが、大切だと痛感しました。レース中なので、しっかり寝れるわけじゃないけど、ちゃんと食べれないとダメだなと。選考会の1日目は、走りとしては割と良かったと思うんですが、2日目の両俣小屋から仙丈ヶ岳への1000mの高低差の登りで、全然足が上がらなかった。前の日にエネルギーをかなり使い果たして、その補給が不十分なまま寝てしまったんですね。翌朝も時間がない中で、スープなどを少し食べましたが、やっぱり登りのエネルギーが全然足りなかった。動いてはいるけれどスピードが出ないんです。やっぱり、どれだけ疲れていても、食べなくちゃいけない。誰でもそうでしょうけど、疲れてくると胃が食べ物を受け付けなくなってきます。そんなときでも、自分はこれだけは食べられるというものをしっかり経験で固めとかなくちゃいけない。極限状態でも自分が食べられるものを知っておくこと。そういうものを何種類か持って走れるように、常日頃からそういう状況を作って選ぶこと。そこまでやっておかないといけないと思いました。今回、シェルターでも失敗をしました。軽量化のために新しいものを買って、設営な楽なものだったので山の中では実際に使わないままに持って行ったんです。それまでのは2人用の少しゆったりしたツェルトで居住性がいいから、着替えたり、食事作ったりっていうのも楽な体勢でできていたんですが、新しいのは実際には着替えだけでも窮屈で面倒だった。体の位置を変えないままで、湯を沸かしたり、飲み物を作ったりしていると、それだけでも疲れてしまって、あまり食べずに寝ちゃったんですね。より軽いものをということで選んで、最後に道具を変えたことが裏目にでました。たとえ100gくらいは重たくなったとしても、慣れ親しんで使い込んだ道具の方が良かったのかもしれない。確実に使いこなせる道具ということですね。そういうのも、まぁ、準備不足だと思いましたね。寝ることと食べること、それが甘かった。」

選考会の数日前、福原さんと電話で話した時には、まだ道具のことでいろいろと悩んでいるんですよと話していたことを思い出した。TJARほど過酷なレースともなると、道具の選択一つが命取りになるということだろう。次元の違う話かもしれないが、僕自身は道具のスペックについてはあまり頓着しないほうだと思っていて、むしろ、その道具との一体感のようなものを気にすることが多かった。だから、100g軽いよりも使いこなしている道具、という福原さんの話には大いに共感できた。

「選考会の中でやることに地図読みというのがあるんです。山に入ってから2000m登って、また両俣小屋まで1000m降りる、その間に指定された五箇所のポイントを1/25000の地図上に正確に記していくというのがあるんですが、それは全部できたと思います。OMMに出たり、オリエンテーリングの大会に出たり、昔は国体の山岳競技で踏査というのがあって、それとほぼ同じような内容なので、馴染みもあったし、そこまで高度なレベルでもなかったのでできたと思う。」

福原さんは、仙丈ヶ岳の地形図を見せながら地図読みの話をしてくれた。地図には、几帳面な文字でいくつか書き込みがされていた。
目の前で、顔をシワだらけにして微笑みながらTJARの話をしてくれている福原さんからは、尋常ではない過酷なレースの空気は少しも感じられなかった。どこか旅行にでも行ってきたときの土産話のようにも聞こえた。それは、話してもらっていたバルコニーを心地の良い風が吹き抜けるたびに、黄色いゴーヤの花が可愛らしく揺れていたせいかもしれない。
福原さんのTJARの話は尽きることがなく、そして、次のレースに向けてこれからやるべきこともまた尽きることなくたくさんあるようだった。

第1回終わり〜第2回へつづく

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取材/2016年7月3日 テキスト/豊嶋秀樹 写真/石川博己

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