Hikers

「山の図書館」で聞いた、
まだ本になっていないストーリー

重藤秀世

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九州の山岳会から、東京の山岳会へ

「東京へ行って、雑誌『岳人』で会員募集していた『東京こぶし山の会』という山岳会に入ったんです。『岳人』にその会の記録が出ていたんですが、冬の南アルプスの北岳の小太郎尾根を初トレースしたというのがあったんです。小太郎尾根って藪尾根なんですが、そういう地味な記録をわざわざ雑誌に出すような会ならちょうど自分にも合うかなと思ったんです。あれこれ有名な山岳会もあったけど、ちょっと気後れしたりして。」

就職で泣く泣く東京へ移ることになり、九州でやる気満々で没頭していた「しんつくし山岳会」を離れることになった重藤秀世さんのその後の話だった。 重藤さんは、宝満山の麓にある、「山の図書館」の運営の中心的存在である。もし、「山の図書館」へ行ったことがなくても、福岡在住のハイカーなら昭文社の山と高原地図「福岡の山々」の調査執筆者と言えばピンと来るだろう。

「入会したら、会員がみんなちょうど私と同じような年代だったんです。比較的新しい会で、会長自身も30歳前後で。逆に指導層がいないという感じでした。一緒にみんなで歩こうという雰囲気でしたね。」 重藤さんは、楽しそうに当時のことを振り返って話してくれた。

山岳会とともにあった人生

山の図書館には、たくさんの山の本が並んでいた。九州の山はもちろん、日本の他の山域や、世界の山の本もあった。僕は詳しくはなかったが、その中には珍しい本もあるようだった。山岳写真の写真集のコーナーには僕も好きな田淵行男さんのものもあった。書棚から一冊ずつ取り出してページを繰っているといくら時間があっても足りないだろう。ここで、コーヒーでもすすりながら、一日中あちこちの山に想いを巡らせるのは素敵なことだろうと思った。

「鹿島槍が好きでよく行きましたね。綺麗なんですよね、鹿島槍。実は、鹿島槍には縁があって。『ラリーグラス』という山の店をやってるのが私の弟なんですが、彼が大学を卒業する年に山岳部のOBと鹿島槍を縦走したんですけど、その山行中に滑落事故があって救助待ちの状態になったんです。その時、僕らは屋久島に行ってたんですが、屋久島も天気が悪くて、僕たち自身も大雪で下山が遅れて遭難騒ぎになったりしてたんです。僕らがようやく降りてきたところに弟たちの鹿島槍のニュースが入ってきて、単身現地に駆けつけ救助隊に合流することになったんです。弟たちは無事に救助されたんですけど、そのあと春山の時期に装備の回収に行ったり、その後も何度も鹿島槍へ行くことになったんです。そんな時に入会したので『こぶし山の会』のメンバーとは、鹿島槍をはじめ、岩、雪、沢と本当に楽しい山行をしましたね。」

重藤さんは、懐かしそうに当時の山岳会の話をしてくれた。「こぶし山の会」には、福岡に戻るまでの9年間在籍したそうだ。福岡に戻った重藤さんは、いくつかの山岳会に参加したのちに、自ら立ち上げた「奥岳山の会」で現在も活動しているということだった。重藤さんの人生は、まさに山岳会とともにあった。

9年かかった縦走

「9年かかって白馬から鹿島槍まで縦走したんですよ。」重藤さんが、40代後半になってからの話だった。 「なんで9年もかかったかって言うと、やっぱり、メンバーはそれぞれに仕事しているものですから、年末年始を使って山に入ることになるんです。御用始めの時までには出勤しないとですね。」 9年間も継続的に同じ目的を持って少しずつ繋いでいく仲間がいるというのは素晴らしいことだと思った。安全面を優先して停滞だけの年もあったということだった。 「その9年間というのは、私にとっても大きいことですね。」 残念ながら、今のところ僕にはそんな長期的な計画を共にする仲間はいないと思う。おそらくほとんどの人にとってもそうだろう。山岳会という組織そのものではなくとも、山岳会を通して出会い、信頼してやっていける仲間ができたことは重藤さんにとっての事実だろう。そして、その仲間は、ある意味において「命がけ」を共有する仲間だ。今の社会で、そんな濃密な人間関係を築く礎になるものは多くはないだろう。

重藤さんは、その後も思い出深い山行の話をたくさんしてくれた。 屋久島の北壁ルートを初登しようと言って、東京でボルト100本買って、2年がかりで開拓し完登した話。雪が例年になく多かった同じく屋久島の冬季の初遡行を狙った話。これは、雪が多くて水量が多くて、やむなく尾根に逃げて永田岳へ向かったが、下山が遅れてもうちょっとで捜索隊が出るところだったという。 重藤さんの物語を聞いているのは楽しく飽きることはなかった。 それは、ここにあるたくさんの本にもう一冊新たに加わった本を読んでいるような時間だった。 僕は、山岳会に入ったことはなかったが、重藤さんの話を聞いていて少し羨ましく、憧れるような気持ちになった。それは、山岳会というものに対してであったけれども、それよりも重藤さんが過ごしたような「熱い時代」に対してかも知れないと思った。

第2回終わり〜第3回へつづく

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取材/2017年9月15日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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