Hikers

いつも一人で山に入っているだけでは
できないこともある。

福原正夫

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TJAR(トランス・ジャパン・アルプス・レース)にこだわっているというのは、レースの創設者の岩瀬さんからこれをもらったということがあります。

福原さんは、きちんとファイリングされた書類の中から、ワープロで書かれた一枚の書類を出して見せてくれた。その書類の保管の仕方がとても几帳面で、市役所の職員さんらしく思えて微笑ましかった。

「98年10月の神奈川での国体の山岳競技に私は福岡県の監督として行ったんです。その時に、TJARの創始者の岩瀬さんは愛知県の監督としてこられていました。最後の打ち上げの時に、岩瀬さんがこれをみんなに配って。この書類に、近年の記録として『日本海から北アルプスを通って太平洋まで』と書かれています。それがTJARの原型ですね。これをレース化しようということで始まったんですよね。その時は、『すごいな、この人』って思っただけだったんですが、なんとなくこの書類を捨てずに持っていたんです。その後、あの時にあの人が言っていたことがこのレースになったんだと知って興奮しました。」

どんなことにも始まりがあって、その始まりの現場に居合わせることができるというのはラッキーだと思う。いや、ラッキーという言葉は当てはまらない。その場に居合わせるというのは、ただラッキーなのではなく、居合わせる才能や条件というものが必要だと思う。

「そして、数年前に南アルプスに行ったときのことですが、台風が来ていたので途中で下山したんです。赤石岳で降りて東海フォレストの林道を走っていたら、聖岳から降りてきたところにあるバス停に人がいたので、なんとなく『こんちは』って声かけたら、それが岩瀬さんだったんですよ。『久しぶりですね、十数年ぶりですね』なんて。それでこのレースの話をしながら、二人で一緒に林道を走ったんです。畑薙ダムからは岩瀬さんの車に乗せてもらって最後のロードコースを案内してもらいました。静岡の海岸まで行って、ここがゴールですよと教えてもらいました。そういうこともあって、頑張ってみたいなって思ったんです。」

山を歩いている時に、予想もしない相手と出会うことがあるが、そんな時は街で偶然に出会うのとは違って何か運命めいたものを感じてしまう。福原さんの場合は、その後TJARへのめり込んでいく具体的なきっかけにもなった本当に運命的な再会だった。

「知った人がやり始めたことだったので、TJARがそう遠い存在でもないというか、まったく違う世界の出来事だっていう気はしませんでしたね。福岡という距離的なハンディーはありますけど、気持ち的には遠くないですね。そんなところが一番大きな理由なのかもしれないですね。」

次のTJARはすでに始まっていた。

福原さんは、ただ単に過酷なレースを求めているのではなく、そのレースに人のつながりや縁のようなものを感じているのかもしれない、そんな気がした。「向かい合って人と競うことが好きじゃない」と言っていた、福原さんの少年時代のときの話と何かが繋がったように思えた。
たとえ競い合う相手がいるレースだったとしても、走っている時には誰もがたった一人だ。しかし、その走るという行為の内側には、様々な人とのつながりや関係が存在しているというのも事実なのだろう。

「よく妻に頼んで道具の改造をやってもらっています(笑)。『道具に頼るな』なんて昔はよく言われたので、そこまで道具に凝るわけではないですが、『もう少しこうなっていたらいいなぁ』というようなことはありますね。例えば、今回使ったザックの肩パッドがトレラン用の薄いやつしかついてなかったので、補強でアルトラの古くなったインソールを縫い付けてもらったらバッチリでしたね。そうやって、少しいじったりはします。靴もくるぶしの部分が当たるところがあったので、カットしてまた縫い付けてもらったりもしました。自分ではやらないんですけどね、言うだけで全部やってもらっています。」

福原さんは、そう言って、キッチンの方で何か作っている奥さんの方をチラッと見やって微笑んだ。今回のTJARの選考会では、トレーニングにおいても、いつも一人で山に入っているだけではできないこともあると感じたという。

「一人で登っていると、自分の限界まで来る手前のところでやめてしまうんで、限界を知るということができないと思いました。そのためにチームでトレーニングする必要性もあると。例えば、食べずにどこまで動けるのかということや低体温症の初期症状の経験なんかを仲間で交互にやってみれば、自分の限界を知ることがトレーニングの中でやれる。お互いにセルフレスキューしあうことも安全のためにも必要だと思いました。レスキューする側も勉強になるし、本人もこの状態を超えると危ないということを体感しておくことができます。本番ではできないことを、助け合って高め合っていくようなことを練習でやれたらと思いました。そういうことは、昔は先輩なんかに無理矢理にでも経験させられていましたけど、今はそういうことがないですからね。そういう意味でもチームというか仲間というか、そういう呼びかけもしてみたいなと思いました。レースはレースでみんな追い込んでいると思うんですけど、体力だけじゃない、それ以外のところでのことがたくさんあると思います。そうやっていろいろやっときゃ、道具なり状況判断含めて良い経験になるんじゃないかと楽観的に思っています。そんなことを選考会の帰りの新幹線の中で思いました。」

最初に言ったように、福原さんの次のTJARはすでに始まっていた。いや、むしろ終わることなく続いていたというべきだろうか。
今年のTJARのレース中、福原さんのFacebookに投稿があった。「TJAR中間地点の市野瀬です。応援に来ています。」と。福原さんは、そこから南アルプスを南下し、ゴール地点である静岡県の大浜海岸で選手たちを迎えた。静岡からの帰り、福原さんの投稿はこう締めくくられていた。
「夏休みの宿題(実践編)が終わりました。TJARは、選手、スタッフ、山小屋、地域の方々などで作り上げている、日本一過酷な素晴らしい大会でした。」

福原さんは、今日も走っているだろうか。

全3回終わり

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取材/2016年7月3日 テキスト/豊嶋秀樹 写真/石川博己

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