Hikers

法華院の女、法華院の男

前田美幸、米田陽星

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片道切符で来たんです

九州のヘソ『くじゅう』の、そのまたヘソのような場所にある法華院温泉山荘で働く、米田陽星さんと前田美幸さんのお二人に話を聞いている。
前回は、お二人に山荘での仕事や暮らしについて聞いた。
今回は、前田美幸さん自身についてもう少し詳しく聞いてみようと思う。

美幸さんの厨房での仕事にキリがつくまでの間、僕とカメラマンの石川さんは、山荘の食堂でカレーを注文して食べた。
トマトの風味が印象的でとてもおいしかった。
休憩時間の誰もいないガランとした山荘の食堂は、3月末とはいえ、じっとしているとひんやりとして寒かった。

「最初から山小屋で働きたいと思っていたわけじゃなくて、自然のあるところに住み込みで働きたいなと思って仕事を探してたんですよ。その頃はまだ登山もしていなかったんです。23歳くらいのときですね。」

美幸さんは、そう言ってにっこり笑った。
カラフルなニットキャップがよく似合っていた。
僕のまわりにも山小屋で働いている友人が何人かいたが、確かに全員が『山が好き!』ということで働き始めたわけではないかもしれないなと、僕は友人たちの顔を思い浮かべながら美幸さんの話を聞いていた。

「高校を卒業して、大阪の京橋に行列のできるようなマグロ屋さんの屋台があるんですが、そこでバイトしてお金貯めて、服飾系の専門学校に行ったんです。でも、学校は辞めてしまって、同時に失恋もして、インドに1ヶ月くらい旅行に行ったんです。」
僕も大阪出身で、自分の10代の頃の大阪の街の風景が思い出されて懐かしかった。僕はインドへは行かなかったけど、梅田にあるチャイショップでバイトしていた。
美幸さんのほろ苦く、甘酸っぱい青春ストーリーを根掘り葉掘り聞いてみたい欲求に掻き立てられたが、あまりそういうことを聞くものどうかなと思い、僕はあれこれ質問したい気持ちを気づかれないようにそっとしまい込んだ。

「インドから帰って来て、自然のあるところで働きたいと思って探し始めたんです。ちょうどここが募集していたので、問い合わせてみると『とりあえず体験しにおいで』って言ってくれました。山小屋とか登山とか何も知らなかったので、最初に来たときは、スカートにスニーカーでしたね。」

美幸さんは笑いながらそう言った。
山荘の社長や女将さんの懐の深さをうかがわせるエピソードでもあった。

「お金なくて、片道切符で来たんです。とりあえず、がんばって3日間働いて、そのまま居続けました。それが10年前です。」

ガッツのある話に僕は少し驚いた。
ある意味、行き当たりばったりともいえるだろうが、なかなかできることでもないように思う。美幸さんの中で、何かピンとくるものがあったのだろう。
片道切符でやってくるなんて、かなり男前な感じだというと失礼だろうか。

エキゾチックの謎

「4月のミヤマキリシマのシーズンにひとまず短期で3ヶ月働かせてもらいました。それで一度終わったんですけど、また秋の紅葉の時期にもどって働かせてもらって、それからはそんな感じで出たり入ったりしながらやらせてもらっています。」
仕事や職場としての山荘にあまり執着しないような感じが、美幸さんの雰囲気とあわさって自然な感じがして、聞いていてとても心地よかった。
こういう生き方を不安に感じる人もいるに違いない。
美幸さんはバランス感覚がいいのだろう、僕はそう思った。

「初めの年に、山から降りると、そのまま奄美大島に行ったんです。私は、大阪生まれなのですが、両親が奄美大島出身で、自分の親の田舎に行ってみたいなって思っていて。それまで行ったことがなかったんですよ。ちょうど奄美大島で皆既日食が見れる年だったんで、喜界島に行って、そのあとに寄ってみようと思ったんです。」
なるほど、美幸さんのエキゾチックな雰囲気の謎が解けた。
初めて会ったときから南国っぽい雰囲気のある人だなぁと思っていたのだ。

「奄美大島に着いて、ほとんど会ったこともなかった、じぃちゃんとばぁちゃんの家を探して会いに行ったんです。いきなり行ったもんだから、最初、孫だって言っても信じてもらえなくて、何かの詐欺だと思われて。」

美幸さんは、笑いながら話していたけど、これもまたガッツのある話だと思う。
そして、同時に勇気もいったに違いない。
僕がそう言うと、「そんなことない」っていうように美幸さんは手を横にふって笑った。
「いやいや、なかなかそんなことできないよ」と、僕は重ねて言った。

「じぃちゃんとばぁちゃんに会えて、そのときに、奄美の島唄を聞いてすごく感動したんです。すぐにハマって、島で三味線を買っちゃったんです。そしたら、お金がなくなってしまって、そのまま、夏の間、島でアルバイトしていました。三味線も1、2曲弾けるようになりました。」

美幸さんの話を聞いていて、あまりの自由な感じが羨ましくなった。
天真爛漫という言葉がぴったりだと思った。
それからというもの、美幸さんは、山荘と奄美を行き来する暮らしが続いているという。

「島唄の勉強がしたいので、奄美の祭りや行事ごとに合わせていくのが好きなんですよ。踊りとか歌とかあるから。島では歌遊びと言って、その場で順番に交代しながら歌ったりするんですよ。そういうことができる人になりたいと思って島に通っています。」
僕は、ほぉと、感心して話をきいた。

島のものと山のものと

美幸さんは、山から降りて福岡の自宅にいるときには刺繍のクラフト作品を作っていると言って、色々と見せてくれた。自然をモチーフとしたかわいいブローチだった。
山と島、刺繍と三味線という1年の生活のサイクルのバランスが素敵だった。

「ずっと同じところにいるのが好きじゃないというか、あまり居られないんですよ。なので、山荘もすっごく好きで本当にいいところなんですけど、しばらくすると他の所に行きたくなる。 山だからとか、海だからとかあんまり関係なく、動きたくなってくるんです。」

僕も似たようなところがあるので、その感じは理解できた。
人にはいろんなタイプがあって、ある場所でそこで何かを育んでいくタイプの人と、動くことでいろんな物事を繋いでいくようなタイプがいると思う。

「あとひとつだけいいですか、ここの好きなところ。休憩時間に大部屋で三味線弾くのが最高に気持ちいいんです。」

美幸さんは、目を輝かせてそう言った。
残念ながら、ちょうど三味線は家に置いてきてしまっていて、美幸さんの演奏を聴くことはできなかった。
代わりに僕は、山荘の2階の畳敷き大広間の真ん中に座って三味線を弾いて歌う美幸さんの姿を想像した。
ほの暗い、その部屋の窓からは眩しい山の緑が光って見える。
ふと、潮の香りがしたような気分になった。
島のものと山のものを美幸さんの三味線の調べが繋いでいた。
今度は、実際にその演奏を聴かせてもらいたいと僕は思った。

話を終えると美幸さんは厨房での仕事に戻っていった。
女将さんと何やら言葉を交わすと、衛生用のゴム手袋を着用して、野菜を手際よく切り始めた。
夕食の準備だろうか。
僕たちにとっては非日常である山での暮らしは、ここでは繰り返される日常だった。
そんな、山荘の日々の中に美幸さんはどこまでも自然体で寄り添っているように見えた。
厨房から味噌汁のいい匂いが漂ってきた。

次回は、このインタビューのもうひとりの主役である、米田陽星さんの話を聴かせもらう。

第2回終わり〜第3回へつづく

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取材/2019年3月26日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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