Hikers

初めての山は、もう渋々、
無理やり連れて行かれた感じです。

松岡朱香

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アウトドアなんて一切関係のない人生だった

「北アルプスに来月行くんですよ。4泊で計画していて、上高地から涸沢の方に行って、北穂と奥穂に登りたいと思ってます。あと、前穂もですね。」

ザックを背負った小柄な松岡朱香さんは、天神からほど近くのカフェに待ち合わせした時間をほんの数分過ぎたころに現れた。その日は、とても陽射しの強い真夏日で、まだ午前中なのに外に立っているだけで汗ばむ暑さだった。松岡さんがザックを背負っていたのは、これから山に出かけるわけではなくて、僕たちがこの取材のために山の用意をして来てくれるように頼んだからだった。僕は、こんなに暑い日に、しかも都会の真ん中で重い荷物を背負わせて来させてしまったことを申し訳なく思った。
僕は、松岡さんと会うのはこれが初めてだった。取材のために誰かいい人がいないかと知人に相談したところ、松岡さんを紹介してもらったのだった。事前情報はほとんどないままに、とにかく会ってみようと思った。唯一の手がかりは、彼女がインスタグラムで投稿していたたくさんの山の写真だった。どれも雰囲気のある素敵な写真だった。

「山を登るようになったきっかけは、友達から『山のサークル作りたいんだけど一緒に行こうよ』って誘われたのがきっかけですね。道具も何もなかったので、とにかく全部借り物で立花山に行ったのが最初です。5、6年くらい前のことですね。私、学生のころからスポーツも全然していなくて、アウトドアなんて一切関係のない人生だったんです。だから、山のサークルって言われた時は、『えー!』って思いました。」

全身アウトドアウェアに身を包んでいるにもかかわらず、松岡さんは、今でもアウトドアなんかは全く関係がないというような雰囲気をしていた。色白の肌が印象的でそう感じたのかもしれない。

「立花山ってすごく低い山で、小学生でも行くようなところだからって言われて、普段一緒に遊んでる友達何人かとハイキングっていう感じでした。正直に言うと、この時は本当に嫌々でしたね。山登りイコールきついみたいなイメージがあったから本当に嫌々で。もう渋々、無理やり連れて行かれたみたいな感じです。」

松岡さんは、そう言って楽しそうにケラケラと笑った。今は普通に山を歩いている人も必ずそれぞれに初めての山のエピソードがあるはずだ。松岡さんの場合が、「山好きの親に3歳の時から連れて行かれて」とか、「学生の時にワンゲル部だったんで」ということではないと知って、僕は少し親近感が湧いて嬉しく思った。なぜなら、僕の場合は、妻と二人でお弁当を食べに行った高尾山が始まりだったからだ。

ピークは踏まずに。だから逆に楽しかったのかもしれない

「それから平尾台とかゆっくり歩けるようなところに何回か連れて行ってもらったんですけど、その後、しばらく山に行かなくなったんです。その間に、マラソンにハマった時期があったからです。まぁ、マラソンも誘われて結構渋々な感じで始まったんですけど。断れないタイプなんですよ。でも、マラソンは続いたんです。そしたら、体を動かすことが好きになったんですよね。」

きっかけはともかく、松岡さんは何度かマラソン大会にも出場して4時間15分で完走しているそうだ。ランニングが今ひとつ苦手な僕は常にこう思っている。人類は2種類に分かれる。マラソンを完走したことある人と、そうでない人。後者に属する僕は、前者である松岡さんを純粋に尊敬した。

「ある時、『また山に行くよ』って誘われて参加したのがくじゅうでした。初めてくじゅうに行ってみると、それまでの山とは全然違う景色に感動して、それで、いきなり山が好きだなって思ったんです。最初の山のサークルに誘われた時には山が好きだって思わなかったのに、くじゅうで山が好きになれた。景色も良かったけど、全部が楽しかったです。日帰りだったんですけど、山でごはんを食べるのも楽しかったし、帰りに温泉に入ったり、一日がすごく楽しい感じ。ピークは踏まずに、坊ガツルのあたりまでしか行かなかったんですけど、だから逆に楽しかったのかもしれないです。そんなにきつくないから。そこから、山に登る知り合いが少しずつ増えたんですよね。自然と山にも頻繁に行くようになりました。」

みんながどうやって山のことを好きになっていったのかを聞くことは楽しい。そして、話している方も必ず楽しそうに話す。
ガラス張りのカフェの扉が開いて、二人組のお客さんが入ってきた。外はずいぶん暑いみたいで、二人とも額やシャツが汗ばんでいた。
松岡さんは、カフェラテの泡をスプーンで丁寧に集めて口に運びながら楽しそうに話を続けた。

いつまでも歩けるような気がした

「前回の北アルプスも友達に誘われてなんですけど、その友達はずっと計画を立てていたんだけど、他の友達ともタイミングが合わなかったりして、実現してなかったんです。それで、私にも声をかけてくれて、私は経験はなかったけど、もう半分勢いみたいな感じで。九州から北アルプスのどこにせよ、登山口までたどり着くのもすごく遠いですよね。そんなのもわからず友達に計画してもらって、あとは行くだけっていう感じでした。4泊5日の計画でした。中房温泉から登って、燕岳に行って、燕山荘に泊まったんです。無人小屋には泊まったことはあったんですが、営業している小屋に泊まったのはこれが初めてでした。とても綺麗でびっくりしました。そして、大天井岳へ行って、常念小屋でもう一泊して、常念岳に登って、最後に蝶ヶ岳ヒュッテに泊まりました。だんだんアクのある山小屋になってきて、それも楽しかったです。そのあと、徳澤園に降りてそこでも一泊しました。そのまま上高地へという話もあったんですが、せっかくなので徳澤園にも一泊しようということで。」

松岡さんはその時のいろんな話をしてくれた。徳澤園で泊まったという話に僕の心は掴まれた。登山が目的で上高地や涸沢を訪れたことがある人にはある程度共感してもらえると思うが、縦走の後に徳澤園で泊まるというのは、とても優雅で贅沢なことに思える。僕はいつも山から降りてきて徳澤園の前を通り過ぎる時に、天国みたいなこんなところでキャンプでもしてのんびり過ごせたら楽しいだろうなと思うばかりで実現したことはない。

「天気が、ほとんどずっと良かったんです。燕へ行った時が少し曇ってて、あとはもうずっと晴れてました。中房温泉から登ってきて、稜線へ出た時に槍ヶ岳の方向の山がドーンと見えるかと期待していたんですが、それがちょうど曇っていて、全然見えなかったんです。だから実は、その時はあまり感動しなかったんです。でも、燕へ行くまでの間にチラチラと見える初めての3000mの稜線からの景色は、九州の山とは違っていてすごく驚きましたね。それから、朝日にすごく感激しました。なんだかこの世じゃないみたいで。
そのあと、丸4日間ずっと稜線を歩いたんですけど、今までの山とは感覚が全然違いました。いつまでも歩けるような気がしました。ペースが一緒くらいのおばあちゃん達と抜きつ抜かれつ歩いてたんです。写真を撮りながらだから全然進まなくて、追い越したらまた追い越されて。それも楽しかったです。」

松岡さんは、当時のことを思い出しながら楽しそうに話してくれた。北アルプスを初めて歩いて、それがずっと良い天気に恵まれるなんて本当に幸運だと思う。ましてや、限られた時間の中で仲間と都合をつけて、はるばる九州から訪れてということも、その幸運にさらに数ポイントのボーナスが付加されたことだろう。
話を聞いていると、僕もまた夏の北アルプスへ行きたくなってきた。

「涸沢の紅葉がすごくきれいだって聞いてたから、じゃあ来年はみんなで涸沢へ行きたいねって話はしてたんです。でも、なかなかみんなの予定が合わなくて、『ああ、今年は行けないかなぁ』って思ってたんですけど、去年一緒だった友達のうちの一人の女の子が『やっぱり行きたい!』ってなって、『じゃあ、二人で休みとって行こう!』ってことで、来月行くことにしたんです。
紅葉にはちょっと早いけど、もうその時じゃないといけないから。少しは色づいてるんじゃないかなって思って、上の方とか。でも、山の計画を自分たちでするのは初めてみたいなものなんです。今までずっと考えてもらってたので、計画するってこと自体がまだあんまりピンとはきてないんですけど。」

松岡さんは、そう言って、クスクスと笑った。
話を聞いていて、この計画がうまくいくといいなぁ、と僕は思った。僕の初めての北アルプスも涸沢だったからだ。奥穂と北穂をぐるっと周って降りてきただけで、何か自分がひとまわり大きくなったように感じたことを覚えている。
でも、松岡さんのこの計画には後日談があった。その年の秋の始まりはとても天候が不安定で、松岡さんと友人の二人は残念ながら計画を見送ることになった。でもその代わりに二人でテントを担いで沖縄へ泳ぎに行ったということだった。その振れ幅の大きさと潔さが、僕にはどことなく気持ちよく感じた。中止になった話をする松岡さんが、それほど残念そうに見えなかったから余計にそう思えたのだった。

第1回終わり〜第2回へつづく

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取材/2016年8月12日 テキスト/豊嶋秀樹 写真/石川博己

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