Hikers

歩くことが日常になるとき

丹生茂義

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日本の山ってこんなすごいんだ

アメリカの3大ロングトレイルのうちの一つである、PCT(パシフィック・クレスト・トレイルの略称)を5ヶ月かけてスルーハイクして日本へ帰ってきたばかりの丹生さんと出会った僕は、さらに話を聞かせてもらうために、大分県臼杵市にある彼の実家を訪ねた。 ポカポカとした陽気な冬の日だった。立派な日本家屋の畳の間で、どんな経緯で山歩きが始まったのかを丹生さんは僕に説明してくれた。 僕としては、PCTをスルーハイクしてくるような人の山の始まりには、少しばかりはドラマチックなきっかけがあったのでないかと勝手に期待していたけど、丹生さんの返事には少し肩透かしを食らった。

「30歳を過ぎたら身体を動かしたくなるとか言うじゃないですか。『なんか無性に 外出たい』みたいな感じだったと思います。」

そんな力の抜けた感じで始まった丹生さんのハイクは2年後には、「山と道」の夏目さんがブログに投稿した「The Great Japan Loop」を2ヶ月半かけて歩くまでになっていた。 それは、丹生さんが18年間勤めた会社を辞めたタイミングでもあった。

「仕事を辞めたのは、うちは両親がお米を作ってるんですね。それを手伝うのもいいかなぁと思うところがあって。若い頃は農業に対して全然興味がなかったんですけど、そっちの方が逆に楽しそうな気がしてきたんです。農業を一から始めるとなると大変ですけど、親がやっている仕事なのでその方がいいかなって思うようになりました。他にも理由はあったんですけど、良いきっかけかなっていう感じでした。」

仕事を辞めてただ時間ができたと言っても、2ヶ月半ものロングトレイルを歩くのはそんなに容易いことではないだろう。実際にどんなトレイルか気になる人は、夏目さんのブログを遡って見ていただきたい。

「まず、地図を作るのが大変でした。ブログにアップされていた地図はサイズが小さくて拡大してみても詳細はよくわからない。でも、それをもとに『山と高原地図』に、苦労しながら線を引いていったんです。実際に歩くのも大変でしたが、なんとか2ヶ月半くらいかけて歩くことができました。」

そのトレイルを歩いた後に、アメリカのトレイルに対する気持ちがでてきたのか僕は聞いてみた。

「いや、それはPCTを歩きたいなっていうのが先でしたね。だけど、さすがに自分自身の経験が少な過ぎると思ったんですよ。山を歩き始めてまだ2年くらいだし、いきなり海外のロングトレイルというのも無謀かなと思いました。だからPCTの準備のためみたいなノリで行ったんです。装備もウルトラライトを意識してできるだけ切り詰めて。でも、行ったら行ったでそれ自体が楽しかったんです。それまで大分の山くらいしか知らなかったんで、日本の山ってこんなすごいんだっていう感動がありましたね。それから少し自信もつきました。これならもう大丈夫かもって。あとは英語くらいかなって。実際に英語は大変でしたね。」

丹生さんはそう言って笑った。 これが、2016年の夏のことだった。

とにかく考える時間がいっぱいある

秋になって大分へ帰ってくると、ちょうど米の収穫時期だった。農作業が落ち着き、年が明けてから春までの間、丹生さんはいよいよPCTへ向けての準備に取り掛かった。

「スタートは4月16日でした。日本を出た4日後だったので時差ボケがひどかったです。」

丹生さんは、これから4000km続くPCTの一歩をとうとう踏み出した。

「歩き始めた時は、ものすごい興奮状態でした。これからすごい大冒険が始まるという気持ちでいっぱいでした。これを歩き終わったら何かが変わるんだろうなという、すごい期待に心踊らせてたっていうか。見るものも全て新鮮だし、とりあえずすごく楽しい!みたいな感じで完全に浮き足立っていましたね。」

丹生さんは、懐かしむように当時を振り返って楽しそうに話した。

「前半は、砂漠地帯を1ヶ月くらいかかって歩いた後、シエラに入って標高が上がって景色が一気に変わるんですよね。そして、シエラを抜けるあたりが、色々気持ちの変化が表れてくるところじゃないかと思います。他のハイカーのみんなも同じような気持ちだったと思います。景色も単調になってくるし、標高も下がって、森の中を淡々と進んで行く感じになって行くんですよ。そんなところを毎日歩いていると、とにかく考える時間がいっぱいあるんです。山での生活に慣れてきていろんな事が無意識にできるようになってくると、やること無くなっちゃうっていうか、暇になってきちゃって。だから、歩きながらよく自分と対話していました。独り言ということではなくて、今までの過去をとことん振り返ってみたりするんです。」

最初は目新しいことでも、習慣化されるとそれがなんて事のない日常になるときがくる。それが引越しや転職のような大きな生活の変化であってもある期間を過ぎると、僕たちはその環境に馴染んでいって、徐々に新鮮さは薄れてゆく。それは、PCTを歩いていても同じで、歩くことが日常になるときがやってくるのだろう。たとえそれがかけがえのない日常だったとしても、その最中にいるときにはその価値が見えにくくなる。

「小学生の頃に歌っていた替え歌の歌詞を思い出してみたり、思い出せないところは思い出せるまでひたすら考えて見たりとか、そういうことしてましたね。昔付き合っていた女の子と遊びに行ったところとか、同級生を一人一人思い出したりとか。暇つぶしですよね。普段の生活でふと思い起こすことはあっても、1時間も2時間もそのことを思い起こし続けるってことなかなかないじゃないですか。だからほんと深いところまで、忘れてたようなことを思い出したりとか。結構それはそれで楽しかったですね。」

それは、自分自身の深いところへ降りていくような、瞑想的なことのようにも思えた。少し怖いような気もしたが、とても貴重な時間だと思った。僕は、深い森の中を瞑想者のような丹生さんが、替え歌を歌いながら歩いているところを想像してみた。

ゴールして困った

数カ月間に渡りそんな時間を過ごし、いよいよゴールが近づいてきたなっていう実感が出てきたのは最後の2週間くらいからだった。

「ワシントンに入る頃ですね。それまでは、『すごい日数がたったような気がするのにまだ半分も来てない』とか、終わりが全く見えない感じだったんですけど、ワシントン州に入っちゃうと急に具体的にゴールが見えてくるんですよね。その頃には、自分が1週間でどのくらい歩けるっていうのがわかるようになってるんで、ここからゴールまで何マイルだからあと何日で歩き終わるっていうのが、もう分かっちゃうんですよ。そうなると急に寂しくなっちゃって。『あぁ終わってしまう、どうしよう』という気持ちになりましたね。寂しい区間でしたね。終わっちゃうから寂しいみたいな。」

舞い上がって歩き始めたときに期待していた、達成感や喜びが湧き上がってくるということはなかったのだろうか。

「もちろんありました。でも、それ以上に終わるのが辛いという気持ち的の方が完全に勝ってましたね。」

そして、歩き始めてから5ヶ月たった9月19日、丹生さんは、ゴールであるカナダとの国境へ着いた。

「静かなゴールでしたね、気持ち的に。やっと着いたなとは思ったんですけど、同時に、この後どうしようみたいな心境でした。今までずっとやってきたことがここで終わっちゃって、これから何したらいいのかなって。僕の場合は帰って仕事も特になかった状態だし、なんか結構困っちゃったって感じですね。ゴールして困ったっていうか。」

それが、丹生さんのPCTのゴールだった。

第2回終わり〜第3回へつづく

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取材/2018年1月6日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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