Hikers

歩くことが日常になるとき

丹生茂義

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歩くって最強

アメリカの3大トレイルの一つであるPCT(パシフィック・クレスト・トレイルの略称)。4,000キロに渡るこのロングトレイルを5ヶ月かけて丹生茂義さんは歩いた。
スタート地点であるメキシコとの国境に立ったときには、これから始まる冒険に舞い上がり、歩きとおしてゴールした自分自身を想像してワクワクしたというが、現実は少し違っていた。
ゴールであるカナダとの国境にたどり着いたとき、今までやってきたことが終わるのが寂しく、この後のことを思うと何もないことに困惑した。
PCTロスとでも言うのだろうか、丹生さんのゴールはとても静かなものだった。

「4,000キロも歩いたら悟り開けるんじゃないかとか、冗談混じりで思ってたんですけど、全然そんなことはなかったです。当たり前かもしれないですが。」

丹生さんは、笑ってそう続けた。
がっかりしたという感じではなく、むしろ、スッキリしたという風だった。

「でも、正直、少しは成長しているんじゃないかとか、何か変化するんじゃないかとか、歩き終わった自分自身に対して期待するような感じはありました。でも終わってみると、逆に何が変わったんだろうって探すのが大変でした。」

僕は、数ヶ月前、帰国したての丹生さんと初めて話したときのことを思い出した。もっと話を聞かせてもらいたいからとインタビューを申し出ると、丹生さんは、承諾してくれたものの少し頼りない感じの表情で、「まだ何だったのか整理できてなくて、うまく話せるかわからないんですが」と付け加えた。
僕は、その答えを聞いて、そうか、そういうものなのかと思った。
「いやー、楽しかったっす、PCT最高っす!」というようなアッパーな返事を期待したわけでもなかったけど、丹生さんの困惑したような声のトーンが、少し意外で、逆にもっと話を聞いてみたいと思わせた。

「再発見は結構あったなと思いますね。いろんな当たり前のことを実体験として経験したと思いました。例えば、水って誰でも毎日飲むじゃないですか。PCTでは、4,000キロ移動しながら毎日違うところの水を飲むんです。シエラの水飲んだときには、『あ、ほんと水って美味しいな』って実感しました。陽が差すと太陽は本当にあったかいなとか。そういう当たり前のことを実体験として経験できたっていうのは良かったなと思いました。なんか説明しづらいですけど。」

歩くことが日常になる毎日の中で、その日常の一つ一つに意識が向いていく感じなのだろうか。
掃除したり、洗濯したり、料理したり、そんな日々の事柄もどこかで密接に季節や天気などの自然と繋がっている。それは、街にいても山にいてもきっと同じで、日常そのものに敏感になるときに実感するということなのだろう。 僕は丹生さんの話を僕の毎日に結びつけて勝手に解釈した。

「あと、歩くっていうのってすごいなって思いました。歩くって、移動手段として順番的に一番下のような感じじゃないですか。飛行機、電車、バス、車、自転車、最後に、歩く。速度的な順番で比べると一番遅い移動手段ですよね。でも、4,000キロ歩いてみて、逆に、歩くって最強だとも思いました。一歩一歩歩いて移動すれば最終的に地球上どこにでも行ける、最強の移動手段だなって。」

「ヒト」と「歩く」という行為は、その出現から切っても切れない。
アフリカを出発した我々の祖先は、歩いて南米の先端までたどり着いた。
歩くことによって我々は地球の隅々まで拡がり生き延びてきたのだ。
まさに歩くことは最強の手段と言える。

中毒になってるかもしれない

PCTのゴールで少し困惑した丹生さんは今はどんな気持ちでいるのだろうか。
次のトレイルのことは考えたりしてるんですかと、試しに僕は聞いてみた。

「うーん、考えますね。行けたら行きたいですね。行けたらAT行きたいなって。」

ATというのは、アメリカのもう一つのロングトレイル、アパラチアン・トレイルのことだ。アメリカ東部のアパラチア山脈に沿って3,500キロ続くトレイルだ。
行けたら行きたい、という丹生さんの心はほとんどもう決まっているのだろうと僕は思った。

「でも、色々考えることはあるんですけどね。自分でも葛藤してるところです。ロングトレイルハイキングって、言ってもただ遊んでるだけじゃないですか。親ももう歳だし、本当は『休んでて、俺がやるから』みたいな感じでできたらいいなとは思うんですけど。
まだ悩んでる途中というか。最初はPCTで長期間歩くのは終わりにしようと思ってたんです。さすがに満足するだろうと。けど、歩いてて後半になるとすごく寂しくなるって言ったじゃないですか。これで終わりっていうのをあんまり考えたくなくて、次はどこ行こうとか、そっちに気持ちを持っていって落ち込まないようにしていました。人生のうちでどっちが大事なんだろうとかそういうのを考え出すと眠れないですよね。」

どっちの道を選んでも間違っていないのだろけど、ATなんかを歩いたらきっともっと寂しくなるんじゃないかと僕は余計な心配をした。

「終わりないかもしれないです。中毒になってるかもしれないですね。」

丹生さんは、少し困った顔をして付け加えた。

もしかすると、歩いている中で自分自身に出会っちゃったのかもしれないな、と丹生さんの言葉を思い出して、僕はふと思った。丹生さんは、単調な森の中を何日も歩いているときには、自分自身の過去を振り返ったり、とことん記憶を辿ったりして過ごしたという。

「歩きながら回想してる時に、なんかもう本当に感情が高ぶっちゃって、すっごい涙をボロボロ流したりとかしてましたね。なんであの時ああしてしまったんだとか、考えてたらもう涙が止まらなくなっちゃいました。」

一歩一歩、ただひたすらに繰り返すリズムの中で、ある種のトランス状態で過去の自分の時間を歩いているような感じなのだろうか。
いろんなことに気を取られながら過ぎ去る僕たちの生活の中では、そこまで自分に入り込んでいくことはほとんどない。
はるか昔、我々の祖先も太古の森をそうやって涙を流しながら歩いたのだろうか。
その先がどうなっているのかを知ることもなく。

丹生さんのお姉さんが、お茶のおかわりを運んできてくれた。
再び、湯飲みからの湯気が光って揺れた。
僕たちは熱いお茶をすすった。

僕は、話題を変えて大分の地元に帰ってきて、今、ここがどう見えるか質問した。

「ここで生まれ育ってるから、地元の良さってわかんなかったですね。田舎で何も無いし、つまんないとか思ってました。地元って知ってるようで全く知らない場所ですよね。近すぎてそこまでよく見てないし。PCTを歩いて帰ってきて、最近は少しいい場所だなと感じてます。

外に出て戻ってくると、それまでいた場所が新鮮に感じるということは誰にでも経験があるだろう。旅とは、つまり、世界と自分を捉えなおす行為なのだよ、とどこかで読んだような気がした。

「ちょっとそこら辺歩いてたら、あ、ここテントを張るのに良さそうな場所だなとか、ついついそういう目線で見ちゃいます。」

真剣な目をして丹生さんはそう言って僕を見た。
これはもう本当に中毒だな。
丹生さん、ATから帰ってきたらまた話聞かせてください。
僕は、声に出さずにそうお願いした。

全3回終わり

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取材/2018年1月6日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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