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「山の図書館」で聞いた、
まだ本になっていないストーリー

重藤秀世

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話の発端は、40年くらい前になるんです

窓から落ちる柔らかい秋の日差しのせいで、室内は全体的にアンバーの強い色調に見えた。
僕は、宝満山の麓の「山の図書館」にいて、出してもらった湯気の立つお茶をすすりながら、重藤さんの話を聞いていた。
重藤さんの人生は山岳会での活動とともにあった。僕自身は、山岳会に所属したことはないし、正直に言うと、山岳会に対して少し面倒臭そうなイメージを持っていた。重藤さんの話は、そんな僕の偏見が全く見当違いだと教えてくれた。事実、僕は話を聞いているうちに重藤さんの山岳会人生のことを少し羨ましくも感じていた。
話がひと段落ついたところで、僕は、「山の図書館」の始まりから今に至るまでのことを聞かせて欲しいとお願いした。

「話の発端は、40年くらい前になるんです。」正座で話していた重藤さんは、姿勢を少し整えて座り直した。
「古賀昌子さんという私たちの先輩がいるんですけど、その人が山の本をたくさん持っていたんですね。ある時、古賀さんが「この本をみんなが自由に使えるように、そんな仕組みができないかしら?」と話されたんです。どうすればいいだろうと、みんなで色々と方法を議論したんですが、実現することはなかったんです。でも度々その話は出ていたんですよ。それから30年ほどたって、今から15年前になりますね、またその話が出たときに、何人かが『いいね、やろう!』と賛同してくれたんですよ。それで『今だ!』と思って、やろうということになったんですね。そしたらここが見つかったんですよ。

物事には、正しいタイミングがある。それは、思いついた瞬間かもしれないし、30年経ってからなのかもしれない。この話になったのが、重藤さんがちょうど仕事を早期退職した頃に重なり、それはまさに条件が揃った瞬間だった。

もう、ここしかないと思った

「じゃあ、どこでやるかという話なんですが、宝満山あたりはそもそも無理だと思ってました。でも、ある時、仲間内で話してたらここがあるよという話になったんです。嘘やろ、と思いながら実際に来てみたら本当に空いてて。所有者の人とも、知り合いを介して繋がっているということも分かり、もう『ここだ!』ということになりました。これを見たらもうここしかないと思ったんですね。ましてやこの立地ですからね。それで、もうこれはタイミングだということで一気に立ち上げようと思ったんです。話もあまり具体的なところまでなかなかできませんでしたが、とにかく始めてしまって、後で話を深めていったんです。それが2004年のことですね。」

鉄は熱いうちに打て、はたまた、案ずるより産むが易し、ということだろうか。いや、実際には、話には出ていない苦労や葛藤もたくさんあったに違いない。しかし、重藤さんには、そんな障害もヒョイと乗り越えてしまうような軽さがあるように思えた。

「古賀さんの本に、もう少し加えて3,000冊でスタートしたんです。反響が大きくて、会員も1年で300人を超えたんですよ。むしろこっちがビックリしました。きっと、最初のうちは厳しんだろうなと思っていたんですが、300名超えたら何とかいけるんですよね。本も寄付をしていただくことが続いて、少しずつ増えていきました。とは言いながら、会費だけじゃなかなかやっていけないというのも事実です。そこで、事業的な面も含めていろんな活動も並行してやっていきました。子供達の登山の支援や音楽会を開催したり。それから、毎年、記念講演会というのを開催しました。これは魅力的な講演会ができましたね。太宰府市からは、宝満山の登山のパンフレットの制作を依頼されて受託しました。そんな感じで比較的順調な出だしでした。

今年で開館してから15年になる「山の図書館」の今後についても、重藤さんは多くの夢とアイデアを持っていた。60年代の登山ブームの時にはたくさんの人が山に行くようになって事故が増えたけど、今の山のブームでそれを繰り返さないようにするための場にしたいという話や、太宰府に住むアメリカ人の女性がここを訪れて感心してくれたけど、英語の山の本や技術書がないということに気づかされたという話など、これからもやっていくことはいくらでもあった。そして、重藤さんは何よりもここの本がもっと活用されるようにしていきたいと語った。

山を登ってる人が山の本を読む

「本を並べとくだけじゃもったいないですよね。ネットで何でも情報は手に入るから、山の本は読む必要がないという人もいるかもしれませんが、山の本の面白さというのはやっぱり大きいですもんね。探してもなかなか見つからなくなったような本も、ここにはある程度あるんですよね。そんな貴重な本を残していくっていうのもここの役割としてあるんだと思いますけど、本は読まないと意味がないからですからね。山を登ってる人が山の本を読むと、山の楽しさが広がりますから、読んで欲しいと思うんです。やっぱりそれが一番でしょうね。」

机の上にあった、田部重治の「山と渓谷」を手にとって、重藤さんはページをペラペラとめくった。

「読むだけでもドラマチックで面白い。実際に自分がその場所に行った時にも思い出しますよね。昔の人の苦労やすごさを改めて感じられると思うんです。私は、この田部重治と木暮理太郎の描かれた絵が好きです。こんな姿で歩いてるんですよ。これでテントとか全部入ってるんですよ。手に持ってる杖がテントのポールだそうで、色々と装備も工夫してます。そして、1913年(大正2年)、まだ縦走路なんてない槍ヶ岳から立山までの初トレースをガイドもなしでこの二人で歩いているんです。そんなことを読みながら、今の自分と比べてみたら本当に彼らはすごいなぁと思います。面白いですよね。

重藤さんは、そう話しながら机の上に並べられた他の本に手を伸ばし、これも面白いんだ、あれも面白いんだという風に本を開いていた。

窓からさす陽の光が作る影が少し長くなっていた。
僕は熱いお茶のおかわりをもらってすすりながら、ここを去るのが名残惜しかったのか、しばらくの間「山と渓谷」のページをめくった。
帰ったら、久しぶりに本棚から引っ張り出して読んでみようと思った。

終わり

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取材/2017年9月15日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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