Hikers

ドンとやられて僕も食われたりするかもしれない。

吉田拓也・真由美

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やってみたら3日後くらいに獲れちゃった

吉田拓也さんと真由美さんは、偶然と必然の重なりから自分たちの気に入った国東半島でユースホステルの経営を引き継ぐことになった。それは料理人の拓也さんと登山ガイドの真由美さん二人がやってきたことがうまく活かせる環境だった。そして何より、ユースホステルのこれからのことを考えると、やりたいことがどんどんと浮かぶんだと、二人は少し興奮気味に話くれていた。
僕は、遠くに豊後水道を臨む大きなガラス窓のあるユースホステルの食堂で二人の話を聞かせてもらっていた。

真由美:ここでやろうって決心したもう一つの理由は、彼がシカやイノシシの猟をするので、それを活かせる環境づくりができたらなぁって思ったから。

拓也:そこをシカが通る道があるんですよ。飛び跳ねてる。

窓の向こうの庭を指差して拓也さんは言った。

拓也:シカはこの辺りでも駆除対象になっているけど、僕は駆除という感覚じではやってないね。あくまでも食料だね。

僕たちが山に行くほとんどの理由はレクリエーションだろう。でも、そうではない目的で山に入る人たちもたくさんいる。特に里に近い山は、昔から麓で暮らす人々の生活の場としてあった。拓也さんのように猟師ということになると、山や山を歩くことというのは僕が思っているものとは随分違うものとして存在するのだろう。

拓也:猟はね、実際には、こっちに来てから始めたんですよ。免許は福岡の糸島で罠と銃の両方の免許を取ったけど、やってるのは罠だけ。糸島にいたときは、友達が獲ったのを解体だけさせてもらったりとか、ちょっと罠を見に行ったりとか、その程度で。最初、国東の種田というところに住んでいたんだけど、家のすぐ裏に動物たちの気配があった。鳴いてたり、音がしたり、糞を見つけたりするから、初めてだったけどちょっとやってみようかなって思った。で、やってみたら3日後くらいに獲れちゃった。「マジで!?」って。信じられなかった。

狩猟というと、もっとハードなイメージを持っていたのでその話を聞いて僕もびっくりした。山で猟を始めた人の話を聞いたり、本を読んだりする限り、「3日で獲れちゃった」というような話は聞いたことがなかった。

拓也:普通は、人の気配を消したりとか大変なんですよ。ある友達はイノシシ獲るのに1年くらいかかったんですよ。種田では獲物が警戒してないからすぐかかるんです。シカは簡単で、3つぐらい罠をかけていたら、1週間後くらいにまた獲れた。「このペース?」って、正直、驚いた。それに、最初は準備もちゃんとしていなくて、罠を買ってきて仕掛けているだけというような感じだったから、シカにとどめ刺して倒すことまでは考えてなかったんだよね。実際に罠にかかったシカを前に「どうしよう」ってなって、結局、棒でたたいて倒した。それが1頭目。その後、話を聞いた先輩の猟師さんが、槍を持ってきてくれた。「あんたのために作っといたよ」と言って。そして、2頭目のときは、その槍でついてとどめを刺した。あっという間で、その違いは圧倒的だった。道具の凄さと準備の大切さを感じたね。

柔らかい口調で話す拓也さんが、日常的に命と接している猟師の雰囲気を帯びてきたように思えたのは気のせいだろうか。
窓から刺してる太陽の光線が少し傾いてきた。

拓也:その時に、生きている動物を獲って殺して食べるという、人間が昔からずっと続けてきた流れのようなものに自分も入っていくというか、元のところに向かって辿っていくような感じがしてきたんだよね。猟を通じてそういう対話ができるような気がして、もうちょっと続けてみようと思った。殺して食べるのってすごく大変だけど、おいしいし、真由美ちゃんも好きやけん、モチベーションも上がるよね(笑)。

拓也さんは、少し真面目な顔で話してから笑った。
そのあとも、拓也さんは、季節ごとの脂ののり方や味の違いの話をたくさんしてくれた。聞いているうちに、普段は菜食の僕も久しぶりに肉を食べたいなと思った。

拓也:ある時、山の中でとれた獲物をその場で解体していたら、僕も狙われているような変な感じがしたことがあったんだよね。ここに長くいたら僕も獣たちにやられるかもしれないというような。「俺も食べ物?」と。そのときに何かね、一緒なんだって思った。僕も僕がさっき仕留めたシカと一緒、ドンとやられて僕も食われたりすることもあるかもしれないって。その時、それまでどこか釈然としていなかった、他の命をとって食べるということが腑に落ちた気がする。命のやりとりみたいなことが自分の中で消化できたっていうか。

拓也さんは、今後は自分の狩猟と料理をつなげていきたいと話してくれた。

食べることと、「いのち」の問題は昨今よく耳にする話題だと思う。僕自身も強く興味を持っていた時期があったが、同じタイミングで菜食者になってしまったので考えることも放棄してしまっていた。
僕は「てんから」という日本古来の毛針での渓流釣りにはまっていたことがあった。狩猟とは言わないだろうが、食べることを目的に釣りを楽しんでいた。当時の愛読書は、服部文祥さんの「サバイバル登山」だった。
でも、これも魚を食べなくなってからは釣る目的を見失ってしまい、僕のてんから竿は物置の隅っこで来ることのない出番をじっと待っていた。
拓也さんの話は、僕の奥底に眠っていた話題を揺さぶった。

ああ、もっと山に入りたい!

拓也さんの話を聞いた後、僕は、真由美さんへ登山ガイドとしての話を聞かせてもらうようにお願いした。

真由美:資格としては登山ガイドです。主に日帰りのトレッキングですね。でも、今、面白く思ってやってるのは、実は山のガイドではなくて、外国からやってくる小・中学生の修学旅行なんです。
今所属している旅行会社がそういうのに対応していて。相手は、多国籍の外国人の子供たちが所属しているインターナショナルスクールですね。その子供達が国東半島に来て、里谷を一緒に歩いたり、椎茸の駒打ちやったりとか、竹馬を作ったりしたりするような修学旅行です。その修学旅行とうちのユースホステルとを繋げると、いろんな企画もできるねと話していて面白いんですよ。

真由美さんは先日も香港のインターナショナルスクールの子供達と中山道を歩いてきたという。

真由美:あとはトレッキングガイドですね。私は国東半島峰道ロングトレイル協会に所属しているので、峰道のトレッキングガイドをしています。でも、今はユースホステルのことが始まっちゃって、個人的には全然山に行けてなくて、本当にムズムズしてるんですよ。
昔、アルゼンチンのメンドーサの近くにバシェシート(Vallecitos:谷々)っていうところがあって、そこの山小屋で1年半ほど働かせてもらったことがあるんです。アルゼンチンにはしばらく行けていなかったんですけど、この前の夏にやっと戻れて少しトレッキングしてきたんですよ!今回はセーロリンコン(Co.Rincon)って山に登ろうとしたけど、雪が多すぎで登れなかった。その代わりにウッシュアイア(Ushuaia)の南の南極に近いところに行って、雪の山にちょこちょこトレッキングに出かけたりしましたね。犬ぞりなんかもしました!

真由美さんは、アルゼンチンの話になると目をキラキラさせて身を乗り出して話した。そういえば、ユースホステルのロビーのソファの前に、どこかの外国の山の写真が額に入れられて壁にかけてあった。もしかすると、あの山が真由美さんの登りたかった山なのかもしれない。聞いてみようと思ったが、真由美さんの話は途切れることがなかったので僕は質問するタイミングを掴めないでいた。
「ああ、もっと山に入りたい!」
真由美さんはさらに身を乗り出して言った。

身近にある山が与えてくれる最大限を楽しむ

真由美:国東のロングトレイル協会でもトレイルはもう歩き尽くしたので、今、どんどん細かいトレイルに分け入って開拓していて、それぞれの発想で自分でトレイルをつないで歩いて楽しんでます。どうやって繋げていくのかが表現になってて楽しいんです。

話が国東半島の山に戻って、内心僕は少しホッとした。

拓也:人が隅々まで入ってきた山だからいろんな歴史が積み重なってるんですよ。一度は何かがあったところもまた山に戻っていたりもする。それを考古学的に再発見していくのも楽しいよね。失われた文明を探すようなね。そういう感じで、ロングトレイルを作った人たちは遊んでる。スーパーカブと軽トラ使って(笑)。

真由美:私も今、小型二輪の免許を取るために教習所に通ってるんです!ハンターカブって山用のカブを手にれたんで。110ccなのでパワーがあるんですよ。予備タンクもあるし、一目惚れ(笑)。

拓也:山に入っていってこけないでね。高級品だよ、それ(笑)。

二人は楽しそうに笑って話した。
山への関わり方は全然違う二人だけど、この国東では二人ともが楽しく暮らせる山の環境があることがわかった。
山は世界中にある。もっと登ってみたい山を探して世界中を旅することももちろん素敵だけど、こうして身近にある山が与えてくれる最大限を楽しむということも素敵だった。

その夜、僕たちは拓也さんのシカ料理をご馳走になった。
僕にとっては久しぶりの肉料理だった。
捌き方や料理法のおかげか、匂いやクセも気にならず美味しくいただいた。
食べながら僕は、国東を飛び回るシカたちのことを少し想像してみたけど、目の前の皿の上の料理とうまく繋げることができなかった。繋がらなくてもいいのかもしれないな、と僕は思った。なぜなら、それは目の前にいる拓也さんが獲ったシカで、拓也さんが捌き、料理してくれてここにあるからだった。僕には、それで十分にシカたちと繋がれたような気がしたからだった。

翌日、僕たちは二人の案内でフェリーで20分ほどの姫島へと渡った。なぜなら、姫島にはアサギマダラという蝶が移動の途中で立ち寄るポイントがあり、今がまさにその時期だったからだった。
アサギマダラは、海岸沿いにへばりつくように咲く花に群れて飛び回っていた。ヒラヒラと華麗に翻る薄い羽は、華奢に見えて強靭なのだろう。なにしろ、彼らは千キロを超える旅の途中なのだ。
これからも国東のユースホステルには、アサギマダラのように旅の途中でやってくる人が絶えないだろう。そして、拓也さん、真由美さんの二人は僕たちがいつ来ても、柔らかく迎え入れてくれるのだろう。
蝶たちは、風に揺れる花をひとつづつ確認するように渡って舞続けた。
そして、僕たちは、海に反射する光に目を細めながら、長い間蝶を眺めていた。

全3回終わり

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取材/2016年5月23日、24日 テキスト/豊嶋秀樹 写真/石川博己

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