Hikers

終わってないんだよ、俺は

秋田修 2

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俺、PCT行ってくるわ

門司港に『tent.』という名のバーがある。アメリカの3大ロングトレイルのうちの一つであり、『PCT』と略されて呼ばれる、『パシフィック・クレスト・トレイル』を歩いてきたハイカーのシュウさんこと、秋田修さんのお店だ。
まだ開店前のお店のバーカウンターで、ハイカーとしての今までのことを話してくれるシュウさんのエピソードに耳を傾けていた。
「PCTに行こうって決めたときのことをはっきり覚えてるんですか?」

僕は、数ヶ月もかかるトレイルを歩く覚悟をした瞬間がどんなものだったのか聞いてみたかった。

「トラックに乗っているときでしたね。」

シュウさんは、間髪入れずに答えた。

「決めて芋を引くのが嫌だったから、すぐにトラックから『俺、PCT行ってくるわ』って、友達に電話して退路を絶ちました。そのまま、会社に戻って『辞めます』って言いました。」

ちまたの『引き寄せの法則』的なアプローチと比較して、いくぶん豪快な方法でシュウさんは、PCTを歩いている自分を手に入れることに成功したようだ。
シュウさんは、日差しが明るい表の通りの方を向いて、ときおりウンウンと自分で頷きながら話した。

「決心してから出発までは半年ぐらいですかね。行くって言っても、実際どうしたらいいのかよくわかんない。ハイカーズデポの土屋さんに相談してみようと、お店に2回ぐらい電話したんですよ。そしたら、スタッフの長谷川さんが書いた本をまず読んでみるといいですよって勧められました。そこから具体的にどう動いたら良いのかが分かって、パーミットに必要な書類を取り寄せたりし始めました。それと同時に日本人でPCTを歩いた人のブログをずっと読んでイメージを作って行くような感じでした。」

確かに、外国でこれから数ヶ月のハイキングを行おうというのに、飛行機の格安チケットを手に入れれば良いというほど単純ではないだろう。
ハイカーズデポ』は、東京・三鷹にある軽量のハイキングギアやトレイルで活躍する乾燥食材などを専門的に扱うショップで、オーナーの土屋智哉さんの著書『ウルトラライトハイキング』は、ウルトラライトハイキングのイロハを伝える指南書として多くの人に読まれている。
ショップは、経験豊かなスタッフをはじめ、ウルトラライトハイキングやロングディスタンスハイキングのコミュニティーの拠り所でもあり、最新のトレイル情報が集まっている場所となっている。

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最大の冒険

「道具は、とりあえず自分が日本で使っているもので行くことにしました。向こうに行ってからいろいろ反省点はあったんですけど、日本の山登りの延長で行ったって感じです。」

アメリカのロングトレイルを歩いているハイカーがみんな『UL(ウルトラライト)』ではないという話はよく聞く。むしろ、『UL』な人の方が珍しいくらいだとも。そういえば、PCTを舞台としたハリウッド映画『わたしに会うまでの1600キロ』の主人公の女性も『UL』とは真逆とも言える装備で歩いていた。

「結局、アメリカに渡ったのは5月に入ってからでした。本当は4月の終わりには行きたかったんですが、予定より少し遅いスタートになりました。」

PCTのスルーハイキングにかかる期間は平均的に4〜6ヶ月とされるが、雪や極度な寒さの影響がない期間に終了するには自ずと時間的な制約があり、スタートのタイミングも限られてくる。

「初日は、サンディエゴから予約したゲストハウスにたどり着くことで精一杯でした。英語も苦手だし、携帯も繋がらないので、日本で調べてスクリーンショットで撮っておいたスマホの画像を見ながら、なんとか無事にたどり着きました。その次は、PCTの玄関口のカンポっていう町に向かうんですが、ちゃんとたどり着けるのかも不安で、『旅してるんだ!』みたいな自由な気持ちはまったくなく、ずっと緊張してましたね。」

シュウさんは、顔をしかめながら、本当に必死だったというように、カウンター越しに僕を見た。

「カンポの手前の町までは電車で、そのあとバスに乗り換えるんですけど、メキシコが近い町で、バス停で大声でわめいてる人がいたりして、もうめちゃくちゃ怖くてビクビクしていたんです。そしたら、同じバス停にいた、イルシブって言う名前の74歳のハイカーのおじいちゃんが『お前もPCT行くんだろう、俺のそばにいろ』という感じで言ってくれて。そのおじいちゃん、うちの死んだ親父と同じ年で、なんか親父みたいな人に助けられたって思ったんです。」

学生の頃にアメリカでバス旅行をしているときに、僕も「怖い」経験をしたことがあったので、シュウさんの言う「怖い」感じはよく理解できた。
日本で感じることのない、「異国」での独特の怖さだった。

「PCTを歩く前から大冒険でした。実際にトレイルに入ってしまうと、日本もアメリカも同じ、自分のハイキングをするだけだなって思えるんですけどね。町の移動が最大の冒険。」

そう言ってシュウさんは苦笑いした。
そして、無事にトレイルヘッドへとたどり着くと、とうとうシュウさんのPCTハイキングが始まった。

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こっそり日本に帰る

「PCTを歩き出して、3日目ぐらいで早くも心折れそうになっちゃって。歩くからには必ず最後まで歩くって気合いれたり、途中で止めたら恥ずかしいぞってプレッシャーを与えたり、気負いすぎでしたね。ガイドブックを読むと、『1日20マイル(32km)をキープして歩き続けなさい』ってなっているんですよね。でも、全然歩けないんですよ。日本で堕落した生活を送っていた身にとって、いきなり灼熱の太陽の下を20マイル歩くのは無理でしたね。『決められたノルマ、全然こなせねぇな』とか『これを半年間か、やっぱり甘かったかな』っていう自分の声に打ちひしがれちゃったんですよね。」

意気揚々と向かったトレイルは、シュウさんの出鼻を挫いた。

「久しぶりに英語しか通用しないような状態に身を置いているだけで疲れてきちゃって。多くのPCTハイカーが最初に立ち寄る山小屋があって、僕もそこに泊まりたかったんですけど、すでに予約でいっぱいで泊まれなかったんです。もう、このままこっそり日本に帰っちゃおうかなって思った。」

落胆したって話だったけど、『こっそり日本に帰る』って表現に、僕は思わず微笑んだ。

「泊まるところもないから、その町にいても仕方ないし、ヒッチハイクもやったことなかったし、これはもうちょっと歩くしかないなって思い、無理やり自分のケツ叩いてスタートしたんです。すると、PCTを歩きはじめてから、最初のポンと景色が開けたところに出たんです。そのまま、山頂付近まで上がったときに、ふっと自分自身の奥底が弛緩していくのを感じた。不思議な経験で、説明しづらいですけど、なんか気負ってたものが全部抜けちゃった。妙に暗い顔してるの俺だけだなって。たとえ1日20マイル歩けなくても、ゴールにたどり着けなくても、それはそれでいいじゃんって。その時に、PCTって毎日を楽しむことの繰り返しなんだなって、なんとなく気がついた。そこからはやめようって思うことは最後の方までまったくなく、ただただ楽しい毎日でした。

そう言って、シュウさんはにっこりと笑った。
シュウさんの山の上での体験は、トレイルの神様による霊的な啓示だったのか、リラックスさせてくれるいいモノによるものなのか、ただの気まぐれだったのか。
何れにしても、シュウさんのPCTが3日で終わらなかったことに僕はホッとした。

第2回終わり〜第3回へつづく

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取材/2019年10月16日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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