Hikers

物理学者は今日も山を走る

天本徳浩

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行きたいところに行ける山ヤに

佐賀県の鳥栖で2両連結のローカル列車に乗り換えると、ちょっとした旅行気分になった。僕は、天本徳浩さんに話を聞きに行くために熊本市にある大学へ向かっていた。天本さんは、この大学の教員で、研究室で話を聞かせてもらえることになっていた。
列車を降りてキャンパスへ足を踏み入れると、理系の学部が中心の大学のせいだろうか、美大出身の僕の知っている大学の雰囲気とはずいぶん違うように感じた。
ちょうどもうすぐ次の時限が始まるのだろう、僕は、学生たちで混み合うエレベータに同乗させてもらって8階にある天本さんの研究室へ向かった。

「フルマラソンのトレーニングで山に入ったというのがきっかけです。」

天本さんには、今年の6月に熊本市内で開催したハッピーハイカーズバーでプレゼンテーションをしていただいた。こんなエピソードがあった。全く運動をしていなかった天本さんが走り始めたのは30代の後半で、きっかけは子供の幼稚園の運動会での親子リレーに出場し、奥様からバトンを2位で受け取ったものの最下位でゴール。それが情けなくて運動会の前に練習するようになったことだという。そして、40歳を過ぎてから初めてマラソンに出場し、それがそのまま100マイルを走ってしまうランナーになっていった。

「山もおもしろいと思うようになって、山岳会に入ったんです。どちらかというとクライミングメインの山岳会で、いろんな山を体験させてもらっています。山に入るための体力や技術のひとつとしてトレイルランニングのことを捉えてます。最終的には、どこでも行きたいところに行けるような山ヤになりたいですね。」

トレーニング感覚で始まったトレイルランニングは、次第に大会へ出場するようになっていった。今では、各地で開催される大会への出場スケジュールが、天本さんの年間スケジュールを決める柱のようになっているという。

「大会は大会で面白いですね。自分の限界まで追い込んで走るっていうのは大会しかないので。トレーニングを積んで、コースの状況を調べて、目標タイムを決めて走る。そういうことって非日常的な感じだし、達成感を得られるものですよね。100マイルの大会になると準備も相当やって挑まないといけませんので、準備の過程も楽しみながら取り組みます。そして、ゴールしたらさらに感動まで得られる。走ってるときは『なんでエントリーしたんだろう』って思うこともあるんですけど。」

天本さんは、そう言って笑った。
100マイルというのは約160㎞になるわけだが、僕は、その距離を走るということが、一体どういうことなのかうまく想像できないままに天本さんの話を聞いていた。

「でも、僕が一番おもしろいなっていうのは、ファストパッキングとかですね。走ることだけではなくて、山で泊まったり、装備のことを考えたり、そういうことも含めておもしろいですね。山って大会に出るだけじゃもったいないって思います。」

ファストパッキングという言葉もずいぶん聞きなれた気がするが、実際にやっている人となるとまだ少ないのではないか。山中で宿泊をともなうようなルートを、軽量装備で走りながらより早く長く行動するということだと思うが、体力や技術、経験などの総合力を動員するスタイルだ。
僕も、憧れはあるが積極的に取り組むにはハードルの高さも感じる。今のところ、縦走の途中で下り坂を駆け下りる程度を超えられずにいる。

トレランでつながるコミュニティー

「『とれっく』というチームを主催していて、そっちではロゲイニングもやっています。」
天本さんは、以前のハッピーハイカーズバーでも「とれっく」と「ロゲイニング」について話してくれた。
ロゲイニングとは、山野に設置されたチェックポイントを制限時間内に回ってポイントを獲得するスポーツのことだ。よく知られた大会であるOMMもルールにロゲイニング形式を採用しているカテゴリーがある。
これも僕は興味はあるがまだ手を出せないでいる。

「『とれっく』は、トレランのチームという感じで始まったので、基本的に走りに行く山行が多いですね。今度は、ファストパッキングで脊梁に行こうと思っています。海外の大会にでるので、その予備練習みたいな感じです。大会が寒いところでの開催なので、冷えた夜に標高が高い所に行っておこうということです。あと、紅葉も時期なので。」

「とれっく」の山行では、紅葉はトレーニングのデザートのようだった。
九州をはじめ、全国的にトレイルランニングは盛り上がりをみせている。仲間が集まって自分たちでローカルレースを開催するということが広まってきて、各地で大小の大会も増えている。

「大会が増えている理由のひとつに、地域おこし的な動機があるかもしれませんね。トレイルランニングは山の中で開催するものなので、普段は人が集まりにくいところに集客できますからね。もうひとつには、もともと都市マラソンがあちこちで開催されて、ランナー自体が増えてるんですよね。そして、ロードで飽きた人がちょっと山を走ってみようかなという流れかなと思いますね。」

それは、人口だけでなく、おそらくトレイルランニングで繋がるコミュニティーも比例して広がってきているような気がして、それは素晴らしいことだなと僕は思う。

「フェイスブックで『九州トレイルラン情報』っていうのをやってるんですが、メンバーもかなり増えてきています。中には、『まだ走ったことないですけど興味あります』という未経験者の方もいるんで、トレイルランニングの人口はこれからも増えて行く感じがしますね。」

逆に、人口増加にともなう弊害はないのだろうか。関東なんかではトレイルランナーは肩身の狭い思いをしているという話も耳にしたことがある。

「九州だと山を走っていてもハイカーさんどころか、誰も人に会わないとかいうのは普通なんで、今のところ人口的には問題ないですね。ただ、山の知識がまったくない人がポンと入るのは危険なので、山を知ってる人と行くようにしたほうがいいとは思いますね。」

リタイアする理由が見つからない

それにしても、マラソンもそうだが、トレイルランニングも一度その世界に入ると完全に取り憑かれる人が僕のまわりにもたくさんいる。天本さんにとって、何がいちばんの魅力なのか僕は質問した。

「最初は30キロくらいのトレラン大会から始まって、どんどん延びて100マイルまで行って。なんでか知らないけど、1つクリアするとまた次の関門目指して行きたいなっていうのが芽生えてくるんですよね。」

僕は、ジョギングくらいしかやらないけど、それでも中毒的にはまって毎日のように走りたくなることはある。レースとなるとさらに強い麻薬のようなものなのだろうか。

「僕はまだリタイヤしたことないんです。170くらい大会出たんですけど、まだ1回も。」

あまりにさらっと、天本さんはそう言ったので、僕の脳に届くのに少し時間差があった。そして、ようやくその言葉が僕の理解に達したとたん、僕は思わず少し大きな声で聞き返してしまった。
『ええっ!170回もレースに出て、1回もリタイヤしたことがないんですか?』

「DNS(スタート前の棄権)はあります。どうしても体調が悪くて、無理と思ったので出なかったことはあるんですけど、1度スタートしたら必ずゴールしています。もちろん、天候が悪くてショートカットされた大会とかはありますけど、自分のタイムオーバーとか、自分でやめようと思ったことは1回もないです。」

天本さんが言っていること自体はシンプルで誰にでも理解できる、そして、それをやることは普通ではないことも誰にでもわかる。もちろん、僕にもわかる。

「それが難しい大会だったとしても、それに向けて色々とトレーニングして、ペース配分もきちんと計画を立ててやれば必ずゴールできます。普通の登山とレースって同じものだと思ってるんですよ。登山ってゴールしなかったら遭難ってことですよね。それと同じ感覚でレースも考えているので必ずゴールするもんだって思ってます。例えば、山で寒くなったら上着を着ますよね。同じようにレース中も寒いとか暑いとかあります。それに対処できるように装備も必要なものは持って行くということです。よく考えてレースを攻略するって言うんですかね、パズルを解くみたいな感じで考えて準備をするんです。すると、スタートラインに立ったときにはゴールするイメージが明確に見えてるんで、リタイアする理由が見つからない。そんなことをずっと今までやってきたんで、あんまりリタイヤしようと思ったこともないんですよ。」

天本さんは、いとも簡単な当たり前のことを説明するように話してくれた。寒くなったら上着を着る、それは僕にもできる。確かにそうだけど、それはちょっと話を端折りすぎではないかと異議申立てを迫る人もいるんではないかと僕は余計な心配をした。
だけど、そういえば、あのイチローも言ってた。
『小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だ』と。
天本さんは、綿密に計画したことをひとつひとつきちんと実行することで毎回ゴールに立ってきたのだった。

「100マイルとか、普通じゃ完走できないですよね。しっかり準備して練習しないといけない。逆に、その準備と練習さえちゃんとできれば、完走できると思います。ゴールのイメージが描けたらだいたい完走できてると思いますね。」

そう話すと、天本さんは優しい表情で微笑んだ。
これは、トレイルランニングの話だけど、それだけに終わらない深淵へと導かれているような気分で、僕は天本さんの話を聞いていた。

第1回終わり〜第2回へつづく

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取材/2018年10月11日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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