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WHO IS TARO?

た ろ

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はじまりは山ではなく海でした

「た ろ」って誰か知っていますよね?
トレイルランニングの大会でプロペラのついたカラフルな帽子をかぶって歩いている人。
そうです、あの「た ろ」さんです。
正式に名前を表記するときには、「た」と「ろ」の間に半角のスペースを挟む。(とはいえ、ここから先は面倒だし読みにくいと思うので半角スペースは割愛させていただくが) アウトドアやトレイルランニングのメーカーからたくさんのサポートを受けてレースに出たりしているかと思えば、平尾台ではボランティアガイドをやっていて、平尾台の自然や動植物のことにはやたらと詳しい。
そして、何より「角打ち」愛好家であり、北九州の角打ちを中心に飲み歩いている姿がSNSによく投稿されている。
WHO IS TARO?
たろさんって一体何者なんだ?
おそらく、そう思っている人も多いのではないだろうか。
僕もその一人だ。
そんな僕たちにとって不思議な存在であるたろさんのことを、この際、根掘り葉掘り聞いてみよう。

たろさんと初めて会ったのは、福岡で開催したハッピーハイカーズバーというイベントのトークゲストとして来てもらったときだ。毎回、ハッピーハイカーズバーでは、いろんなハイカーや山にまつわる活動している方にお願いしてプレゼンテーションをしてもらっている。
まだ僕が九州のハイキングやトレランの世界のことを何も知らないときに、ハッピーハイカーズの事務局スタッフの一人に「九州でアウトドアのことやってて有名な人って誰?」って聞いて返ってきたのがたろさんの名前だった。

「なんでこういうことをやってるかざっくり言うと、20代の頃は海ばっかり行って、サーフィンをずっとやってたんですよね。」

「え、海?」話の始まりを意外に思いながら、僕は、たろさんのお気に入りだという喫茶店で話を聞かせてもらっていた。あの高倉健さんもよく来たという隠れた名店らしい。昭和の空気で満たされた店内はほぼ満席だった。

「それで、サーフィンの波待ちの間に浜でいろんな遊びをやるんですけど、ある日、年配の方が海辺を歩いていたんです。なんとなく私も一緒になってその方と話しながら歩いていると、『100キロウォークっていうのがあるんだけど、ちょっとそれに出てみない?』っことになったんですよ。それがきっかけで、『第一歩』を踏み出したんです。」

100キロウォークというのは、福岡県の行橋市から大分県の別府市までの100キロを制限時間である26時間以内に歩ききる大会のことだ。

「100キロって言われてもうまく想像できなかったんですけど、歩いて行くんだから楽にいけるんじゃないかなって感じで参加してみたんです。ところが、いろいろ問題があって、50キロ地点で動けなくなるくらいのマメが足にできたり、装備も不十分な感じだったので、もうやめちゃおうって思ったんですよ。でも、一緒に行ったメンバーが『最後まで行こう』って言ってくれて、なんとか22時間かけてゴールしました。それが『歩く』っていう今の私の原点です。」

マラソンには出たことがない

ときおり身振りを交えながら、たろさんは真剣な顔つきで話した。プロペラ帽をかぶっていなかったので、周囲のお客さんの視線を感じることもなかった。

「初めて100キロウォークにチャレンジしてから、かれこれ10回出てるので、もう10年前ということですね。それが、私の山生活のスタートでもありますね。」

もっとハチャメチャな感じで話が始まるのかと勝手に思っていた僕は、あまりにまっとうな話の始まりに意表をつかれた気持ちになった。

「ちょっと悔しかったんですよね、歩けなかったっていうことが。次はもう少しマシに歩いてみたいっていう気持ちになって、家の裏山が平尾台なので、ちょっと歩いてみようと思ったんです。そして、そのうちに海でサーフィンするより山に行く時間の方が増えてきて。山の楽しさの方が自分の中で大きくなってきちゃったんですね。」

それがどういうわけでプロペラ帽をかぶってスポンサーがつくような人になっていったのか、僕はその先を急いで聞きたくなった。

「ターニングポイントは、平尾台でトレイルランニングレースっていうのがありますっていう情報を聞いて、どんな感じか出てみようと思ったんです。すると、トレイルランニングは、上りも下りも走るってイメージだったのが、実際にはそうではなくて、登るときはみんな歩いてる。走りたい所だけ走ってるっていう感じに驚きました。歩いていいんだって。そういうきっかけからトレイルランニングの世界に足を踏み入れましたね。」

完全に最初から歩くスタイルだったというのが意外だった。てっきり、マラソンで走っている人が選んだ選択肢のひとつとして歩くことをやっているのかなと思っていたからだ。

「走ることはまったくない。下りはスキップで楽しみながら行きます。」

たろさんは、すごく身体性も高そうだし、走っても速そうに見える。

「それが走るのは全然ダメなんですよ。マラソンには出たことがないですね。」

話はこの辺りですでに僕の偏見的な想定をどんどんと外れていった。

「レース中にカメラを持って植物の写真を撮っている人たちが結構いたんです。それで、自分も写真とか撮りながら行ってみたくなった。でも、植物の名前がわからないんですよね。じゃあ、勉強してみようかなって思ったところに、平尾台のボランティアガイドっていうのを平尾台自然の郷で募集しているのを見つけたんですよ。それから平尾台の植物のこと、歴史のこと、地形のこと、色んなことを勉強して、今はボランティアガイドとしてやっています。」

まだプロペラ帽は出てこなかったし、角打ちで酔っ払うこともなかった。
僕は焦る気持ちをぐっとこらえて、たろさんの話の続きに耳を傾けた。
話は、逆にトレイルランニングのことにもどっていった。

もっと速く歩こう、もっと楽に歩きたい

「ゴールができたらいいなと、最初は何も考えてなかったのが、何度かレースに出ていると人間って欲が出るんですよね。前回よりもいいタイムでゴールがしたい。そうすると、改善できるところはどこなのかっていうのを自分なりに分析し始めるんですよね。最後にきつくなってくるから、ペースが早すぎたんじゃないかとか、登りをもうちょっとがんばって行けばもうちょっと縮まるんじゃないかとか。自分なりの分析をして、楽しみながらもタイムも気にしだした。」

これもまた僕の知らないことだった。歩いている時点でタイムは全く気にしていないのだとばかり思っていた。

「八幡山岳会主催のカントリーレースでは、歩いてどこまでタイムを縮められるかっていうチャレンジをしてみたんです。今まで歩いてあのレースに出た人で4時間を切ったことある人はいなかったんです。私も初めて出たときは、5時間20分かかりました。4時間ってタイムはどうやったら出るんだろうって思いましたね。あのコースって24キロですが、後半バテるじゃないですか。そこで、ペース配分を考えて、福知山まではちょっと抑えめに歩いて、後半は、スムーズに歩けるところを飛ばしてと考えながらやっていくと、次に4時間20分まで縮まったんです。そのときも一切走らずに歩いてどこまで行けるかという自分との戦いです。そして、そのうちに4時間を切るタイムが出せるようになってきました。回を重ねるたびに、タイムは少しずつ縮まって、最後は3時間42分までになったんですよ。」

このカントリーレースは、完走タイムがその人のマラソンのタイムとほぼ同じになると言われている。たろさんの3時間42分というタイムは、逆に、フルマラソンを歩いたとしても同じくらいになるということになる。どうですか、市民ランナーのみなさんはきっと驚いたことでしょう。

「もう、本当に早歩きですね。でも絶対走らない。でも、一度だけ走ったらどうなるかって自分なりにやってみたことがあるんですよ。どうなったかっていうと、走ってみると普段使ってない筋肉を使うことになって、途中で足が動かなくなっちゃった。結果は、逆に4時間を超えてしまったんです。そういうことがあって、私は自分が持っている能力や強みを理解できたし、それを活かして発揮していく方向でもっとステップアップしていきたいと思うようになりましたね。」

僕は、大きくうなずいて聞いた。
たろさんの話し方は、なぜだかわからないが、僕にもエネルギーというか、やる気というかそういうものを与える力があった。
「今すぐこの喫茶店を飛びだして僕も歩き出したい!」ということではなく、それはたろさんの、自分にすでにある能力に素直に従ってやっていくことの潔さと気持ちよさからくる何かだった。

「そして、もっと速く歩こう、もっと楽に歩きたいっていっていう想いから私の歩く人生がスタートしたんです。」

プロペラ帽はまだ出てこなかったが、僕はそれでも満足していた。

第1回終わり〜第2回へつづく

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取材/2018年12月22日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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