Hikers

物理学者は今日も山を走る

天本徳浩

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そして、これからの話

ランニングチーム「とれっく」の主催者であり、「九州トレイルラン情報」というFacebookページを管理したりと、九州のトレイルランニングやロゲイニングの世界でよく知られる天本徳浩さんの話の続きだ。
40歳を過ぎてから初めてマラソンに出場し、そのまま100マイルを走ってしまうランナーになっていったエピソードに始まり、パズルを解くようにレースの分析をして練習や準備を組み立てるということ、そしてそれは、天本さんのもう一つの顔である物理学者としての考え方とも繋がっていき、そのどれも興味深い話だった。
そして、現在56歳で、あと10年ほどで定年をむかえる天本さんが、今後どうやっていきたいのか僕は聞いてみたくなった。

「ぼちぼちウルトラは卒業しようかなと思っています。さすがにもうきついから。レースは、100キロ以下に抑えようかなという気になっています。でも来年のUTMBにエントリーするっていうのは決まっちゃってるけど。」

そう言って、天本さんは笑った。

UTMBとは、ウルトラトレイル・デュ・モンブランの略称で、160キロ以上にわたってアルプスの最高峰であるモンブランを巡って開催されるレースだ。累積標高差は10,000m近くになる。ぜんぜん卒業する気なんてないじゃないですか、とツッコミを入れたくなる。

「もう一つは、やっぱりいろんな山に登りたいですね。だいたい年に1回は北アルプスなどに行ってるので、そのうちTJARのコースを歩いてみたいなと思っています。」

TJARについても補足しておくと、ウルトラ・ジャパン・アルプス・レースのことで、日本海からスタートし、北アルプス、中央アルプス、南アルプスを縦断し太平洋に到達するまでの415キロを走破するという日本で最も過酷と言われるレースだ。
そこを歩くといっても、もちろん、普通の意味での山歩きの範囲を超えている話だ。

「この前、『とれっく』でやったんですけど、海から山頂までをいく、SEA TO SUMMITをいろんなところでやってみたいなと思ってます。チームの仲間が色々企画してるんです。それから、脊梁のまだ通ってない道がたくさんあるので、ファストパッキングで4、50キロを1泊2日くらいでちょっと行ってみたりとかしたいですね。」

どれも、魅力的かつ大変そうなことばかりだが、要するに、まだまだやりたことはたくさんあって、そろそろリタイヤという方向ではまったくなかった。

初めてマラソンを走ったときには、あまりの大変さに、マラソンはもういいやと思ったという天本さんだが、もし、ランニングをやっていなかったらどういう人生になっていたのだろうか。
僕のその問いに天本さんは、「ちょっとわからないですね」とだけ答えた。
愚問だった。自分自身を振り返ってみても、もし山に行っていなかったらどうなっていましたかと聞かれてもきっと答えに詰まるだろう。

「今は本当に充実していると思っています。毎週どこかに行ってるし、そのぶん仕事も楽しい。仕事ばっかりだとメリハリがなくなってくるんですが、週末にはどの山に行こうか考えていると仕事も楽しくなる。」

天本さんはそう続けた。

仕事と山が互いに影響を与えあって、いいバランスを生活に与えている。
その言葉が天本さんの穏やかな雰囲気とあいまって、僕は、達観した僧侶の前に座っているような気分になった。

こうして数時間にわたって天本さんの研究室で聞かせてもらった話をもとに、このインタビューの連載は、こんな感じできれいに終わるのかなと僕は予想していた。
だが、連載中に天本さんから届いたSNSのメッセージはそれを許さなかった。

初めてのDNF

そのメッセージは、ちょうどこの連載の第1回がウェブで公開された直後に僕のiPhoneに届いた。

『DNF記録は途絶えましたが、今回は未知の要素が多くて、経験不足が露呈してしまいました。
完走できなかった残念さがジワジワと大きくなっていってる気がします。今のところ、攻略できる糸口が見つからないレースでした。』

取材させてもらった翌月に天本さんは、中国の四川省で開催されるUTMS(Ultra Trail Mount Shigunian) という世界最高高度のトレイルレースに参加した。 取材では、今までに170回くらいのレースに参加して一度もリタイヤしたことがないと話してくれたところだった。今回の中国でのレースは今までに体験したことのない高所になるので、どうなるかわからないと話していたことを思い出した。
天本さんのFacebookの投稿を追いかけると、レースに向かう道中やスタートする前の楽しげな雰囲気のものと一変して、少し厳しい表情の自撮り画像や、そびえ立つような岩峰を前に雪の斜面をトラバースしているところのものになっていた。
そして、その投稿には、『厳しいコースでした。人生初DNFでした。』と添えられていた。

数週間後、11月25日に行われた「カントリーレース」で天本さんに会うことができた。以下は、レースの終了後の天本さんに話をうかがったものだ。できるだけまとめずにそのまま掲載させてもらおうと思う。

「今までリタイヤしたことがなかったので、完走したかったんですが、標高が高く低酸素ということが未体験だった。スタートが3,200mで最高地点が4,500mです。高山病にはならなかったけど、酸素が薄いから動けなかった。登るのも一歩一歩進む感じで、最初の2つの厳しいと思っていた関門をギリギリで通過して、そこを越えたら楽になると思っていたんですが、それがとんでもなかった。そこから雪のあるかなり急斜面のトラバースなんです。後ろの人は滑落していました。そういうところを進んで、次の関門もギリギリでした。それから下りになって次の関門までのタイムを計算すると、このペースではとうてい間に合わないことがわかりました。そこでもうすべてが途切れてしまいました。そして、1時間くらい歩いたところで地図を開いてみたら、さっきの関門への時間計算が間違っていたことに気づいたんです。でも、もうその時には気持ちが入らなくて、呼吸も苦しかったし、足がぜんぜん動かなくなってました。ずっと呼吸をしてかないとすぐ足が動かなくなるんです。呼吸するのに疲れてくるような感じでした。
そういうわけで、次の関門でタイムアウトとなりました。」

天本さんは、レースのことを思い出すように話した。

「今回のレースは、スタートした時点でぜんぜんゴールできるイメージがわかなかったんです。不安要素ばっかりでした。とにかく、ひとつひとつの関門をクリアするのに必死で、でもどの関門もギリギリだったので緩めるところがなかったです。どんどん、精神的にも体力的にも奪われていって。」

それは、全部で60キロのレースの50キロ地点だった。

「リタイヤしたときは、もう自分の限界だというふうに思って、仕方ないと思ったんです。でも、後から考えると、タイム計算のミスもあったし、後から悔しさがじわじわと出てきました。
そのときは、はっきり言ってあまり思考できる状況でもなかったんですが、でも、ミスはミスで、そんな単純ミスでリタイヤしちゃったのは悔しい。高度にも、あと1日早く現地入りしていればもう少し慣れることができたかもしれないし、もうちょっと練習もしておけばよかった。9月に風邪を引いたりして、走りこめていなかったのでモチベーションが切れていたところもあった。60キロのレースだからという甘い気持ちもあったのかもしれない。いろんなことが重なって、DNFになったのかな。」

そう説明して天本さんはひと息ついた。

「18年間、169レースDNFなし。逆に吹っ切れた。これで気楽にレースにいけるなって思います。これまでは、絶対完走っていうのが大前提になっていたので、冒険できないというところもあった。これからはDNFしてもいいから冒険的なものに取り組んでいけるかなって思います。
まずとにかく練習を始めないといけませんね。」

中国のレースには再チャレンジしたいのか僕は最後の質問をした。

「半々です。もう行きたくないとも思うし、リベンジしたいとも思うし。とりあえず、来年はUTMBかCCCにエントリーしようと思うので、もしその抽選に外れたら考えてみようかなって思ってます。」

そう言って、天本さんはにっこりと笑った。

12月に入ると、天本さんのFacebookにIZU TRAILを無事完走したという投稿があがっていた。『FINISHER』と書かれたサインの後ろに立つ天本さんが、気のせいか、とても清々しそうに見えた。

全3回終わり

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取材/2018年10月11日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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