Hikers

縄文杉と事業家の血

藤山幸赳 2

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屋久島多国籍文化

ゲストハウスの屋根や窓を激しく叩く雨音が朝になっても聞こえていた。
昨夜は屋久島生まれの登山ガイドである、藤山幸赳(ゆきたけ)さんと安房にある居酒屋で合流し、『三岳』のボトルを傍らに夜更けまで話し込んだ。そのおかげで、今朝は約束の時間が近づいているのに、僕は、二日酔い気味の重い頭を枕に埋めたままだった。隣のベッドで寝ているカメラマンの石川さんも同じく起きだす様子はない。ぐったりしたまま雨の様子を気にしてみるものの雨足が弱まる気配はなかった。いくら屋久島に雨はつきものだと言っても、これだけ降っていると撮影は難しい。藤山さんに連絡を入れ相談すると、ひとまず撮影の予定を昼前までずらそうということになった。僕たちは改めて重い体をベッドに横たえ、数時間の延長をもたらしてくれた雨に感謝した。

昼前になると、朝の雨が嘘のようにあがり、ドアを開けて外に出ると太陽が眩しくアスファルトの路面を照りつけていた。おかげで酒もすっかり抜けた。さあ、仕切り直して山へ向かおう。僕たちは、宿の向かいの店で登山弁当を買って藤山さんの車に乗り込み、ヤクスギランドを目指した。

「やっぱり子供の頃と違いますか?」僕は、助手席に座って、運転する藤山さんに屋久島の変化について尋ねた。

「変わりましたね。町が変わったということもありますが、移住してくる人が増えて、どんどん新しい文化を屋久島に持ち込んでくれることが大きいと思います。最近の屋久島には、多国籍文化の雰囲気を感じます。同時に、屋久島の人も新しい文化を上手に取り入れているように思います。僕の子供もそうですけど、屋久島になかったダンスをやっているんですが、そうやって遠くの人が持ってきてものを積極的に取り入れてみる人が多いですね。」

クネクネと続く山への道を、藤山さんは慣れたハンドルさばきで運転しながら答えてくれた。

「最近では外国の人の移住も増えましたね。屋久島の人も外国人に対してすごくオープンです。」

島というと閉鎖的なイメージもあるが、屋久島の場合は、外の人を受けいれてきた気質が元来あったのだろうか。

「いえ、僕が子供の頃は逆でしたね。『よそ者』っていう言葉を大人たちがよく口にしていたのを覚えています。時代が変わって、だんだん打ち解けていった感じがします。移住してきた人も積極的に地域行事なんかに参加してコミュニケーションをとってきたんだと思います。」

地元の人にとっては、どんどんやってくる移住者に対しての警戒心は当然あっただろう。半信半疑のお互いを探るような関係性の中、人と人が時間をかけて触れ合っていくうちに、『なんだあいつら、別に悪いやつじゃないぞ』というような安堵感が広がっていったのかもしれない。
屋久島に限らず、各地で移住者とローカルコミュニティーとの様々なズレによる問題は珍しくない。
僕の偏見かもしれないが、魅力的な方向に生まれ変わっている地方の町にとって、新しい風を吹き込む移住者の役割は大きいように思う。しかし、もっと大切なのは、移住者の持ち込む新しい物事を受け入れつつも、変化を自分ごととして覚悟を決めてやっていく地元の人々の存在が欠かせないということだと思う。

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そしてクライミングと出会う

ヤクスギランドの駐車場に到着し、僕たちは、ハイキングの準備を整えた。
雨の後の陽射しが、木々の葉を水々しく輝かせている。
屋久島らしい写真が撮れそうで、カメラマンの石川さんも喜んでいた。
薄緑に染まる森を歩きながら、僕は藤山さんに昨日の続きをお願いした。昨夜の話は、それまで山とはほぼ無縁に近い藤山さんが、ガイド会社を立て直すために、会社の経営上の理由から山に入るようなったというところまでだった。

「ガイドをするようになって、山に入ることを楽しいと思うようになってきましたが、僕は人と話すのが好きなので、お客さんとのコミュニケーションがとにかく楽しかったですね。若い人から中高年まで、女性も多かったし、幅広い人と出会いました。いろんなことをお客さんからも教えてもらいました。なので、人と関わることが楽しいという気持ちでいっぱいで、その後、仕事として山をやっていくっていう今のようなビジョンはまだ持っていなかったですね。」

藤山さんは、そう話しながら、ところどころでおもしろい木や虫を見つけては僕に名前を教えてくれた。そういう話をしだすと藤山さんは急に「ガイドさん」の話し方になっておもしろかった。 その後、藤山さんの中で、山や仕事に対する関わりや気持ちはどういう具合で変わっていったのだろう。

「あるとき、親の会社を引き継がないといけなくなって、山から離れた時期があったんです。そのままだったらもう山に戻ることはなかったかもしれなかったんですが、色々あって、親の会社を全部やめちゃったんです。これからどうしようかっていうときに、僕が持っていたものって本当に山しかなかったんです。縄文杉と白谷雲水峡がほとんどでしたけど、そこだけはめちゃくちゃ登り込んでたっていう経験を頼るしかなかった。そして、また山を登る仕事を始めることになったんです。」

ガイドの平均からすると登った山の数は少ないかもしれないかもしれないが、毎日のように縄文杉や白谷雲水峡のルートを歩くというのは、地元ガイドならではだ。そこには、エベレストに登ったことのあるガイドには見えてこない、藤山さんの縄文杉があったに違いない。

「そして、その後に出会ったのがクライミングだったんですよ。一気に山との関わり方がひろがりました。なにか自分の中にあった熱いものに火がついちゃったんです。縄文杉を見に行ったり、白谷雲水峡歩くっていうのは癒されにいく感じだけど、それとは別にいろんなことにチャレンジしたくなったんですよね。沢登りや冬山にも行くようになったし、もっとハードでスリリングで、アドレナリンがどっと出ちゃうような。だから3年前にモッチョム岳のマルチピッチクライミングのルートを直登で完踏したときにはものすごく興奮しましたね。」

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縄文杉に頼りすぎない

そこまで話して、僕たちは沢沿いのちょうど良い大きな岩の上で休憩をとった。沢のひんやりとした心地の良い空気の中で、買ってきた登山弁当を食べた。隣の岩の上では、西洋人の夫婦が裸足になって寝そべり、本を読んでいた。沢を流れる水の音のせいで、余計な音が全てかき消されて逆に静かな印象を与えていた。あたりには緑の光線が降り注いでいた。

「それからSUPも始めました。クルージングって言って、SUPをゆっくり漕いで川をのぼったり、下ったりするんです。本当に癒されますよ。SUPには可能性を感じていて、川の上でどんな遊びができるかなって色々と研究してます。」

昨日も安房川にかかる橋からSUPで川を下って来る人が見かけた。SUPは、ハワイに行った時にボードをレンタルしてやったことがあったが、そのときは、SUPは波に乗るものとしか思っていなかったけど、こうして川の流れに任せながら漂うようにくだってくる人を見ているとこっちまで癒されるようだった。

屋久島といえば、ボルダリングのエリアが公開されて話題になったことが記憶に新しい。数々ある屋久島でできるアクティビティにボルダリングが加わったのは、屋久島にとって大きな出来事だと思う。

「屋久島といえば、とにかく縄文杉と白谷雲水峡に人がすごく集中してるんですけど、それ以外の屋久島の可能性を見つけていきたいと思っています。今年は、5月18日に大雨があって、縄文杉に全然行けなくなっちゃったとかもあったんですけど、やっぱり縄文杉という1本の木に頼りすぎるような状態は改善すべきだと思っています。そういう意味でもSUPやボルダリングには可能性を感じます。」

『屋久杉』『トビウオ』『三岳』というお決まりのルート以外の選択肢の存在が広まると、また屋久島に対するイメージも変わってきそうだ。

僕は、藤山さんに事業家として新しい屋久島の可能性に対してどう関わっていくつもりなのか質問した。

「事業は、大きくしていきたいっていうよりも、屋久島の自然と共にある自分のやりたいことや、自己表現を柔軟にできるような形にしたいなって思っています。『あ、あれ良いね』って思った事に対して、すぐにリアクションできるようになりたい。そういうスピード感がある形で前に進んでいきたいですね。」

僕たちは、ちょうどヤクスギランドのスタート地点に戻ってきた。のんびり話をしながら歩いているだけで、まんまとすっかり癒されたような気分になった。
昨日と今日で、『屋久杉』『トビウオ』『三岳』を堪能した。屋久島の鉄板三種の神器は強力だ。でも、次回、屋久島に来るときには、藤山さんと一緒にボルダリングにも行ってみたい。懐の深い屋久島にこれを機に頻繁に通ってみたくなった。

第2回終わり〜第3回へつづく

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取材/2019年7月8日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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