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縄文杉と事業家の血

藤山幸赳 3

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ガイド同士の強い絆

ヤクスギランドを屋久島生まれの登山ガイドである藤山幸赳(ゆきたけ)さんの話を聞きながら歩いた後に、藤山さんの自宅へ連れて行ってもらった。
高台へいくらか上がったところに、海の方へ向かってひらけた大きな庭のある日本家屋が藤山さんの自宅だった。
日差しが容赦なく照りつけていたが、吹き抜ける風が心地良くて気にならなかった。
僕たちは、庭の真ん中に置いたアウトドア用の椅子に腰掛けて話を続けることにした。

「屋久島のガイドさんって、すっごい仲良いんですよ。」
藤山さんは、にっこりと笑ってそう答えた。
それは、「屋久島ってガイドさんたくさんいると思うけど、お互いの関係ってどうなんですか?」という、僕の少し意地の悪い質問に対する答えだった。

「勉強会や研修会も会社の垣根を越えてみんなで一緒に集まってやります。山の中で困った事があれば絶対に助け合います。ついこの間も山の中で脱臼した人がいたんですが、まわりにいたガイドのみんなが関わって無事に下山できました。そういった雰囲気や体制はすごく強いですね。プライベートでもガイド同士でよく飲みに行ったりもしますよ。」

世間のガイドさん同士の関係性がどうなのか僕にはさっぱり見当がつかなかったけど、仕事でやっている以上、当然、競合相手だったり、利害関係があったりするだろうとは思う。ただ、人命にも関わるような業務なだけに、藤山さんの言葉は大きな意味を持っていた。

「屋久島のガイドには、オフィシャルの組織が二つあります。屋久島観光協会のガイド部会と、屋久島山岳ガイド連盟っていう有資格者の組織があります。僕は、屋久島観光協会のガイド部会は副部会長で、屋久島山岳ガイド連盟は幹事をやらせてもらっています。」

なるほど、ガイドさん同士のいい関係づくりに、藤山さんの存在も影響しているのだろう。藤山さんが、取材の最初に『人とコミュニケーションを取るのが楽しい』と言っていたことを僕は思い出した。
今年の5月に屋久島を襲った大雨で200人以上が山中で孤立したときにも、ガイド間の信頼関係が被害を最小限に食い止めることに繋がった。

「あの時も自分のお客さんにかかわらず、ガイド付きじゃない一般登山者も含めたメンバーでグループ分けをして、そこに担当ガイドを二人ずつ配置するという形を作りました。だからガイドによっては自分のクライアント、お客さんとは別のグループを見るっていう状態もありましたが、そういう状態下で自分のお客さんだけを特別にしようということではなく、みんなで助け合ってがんばろうっていうのが強かった。」

藤山さん自身も、あの日はガイドとして現場にいたそうだ。

「あの日は、不幸中の幸いで、ガイド部会の前部会長が現場にいたほか、屋久島の精鋭のガイドさん達がたくさん居合わせていたんです。そこで、前ガイド部会長が陣頭指揮をとって全員がまとまって協力して切り抜けたんです。凄いですよね。本当にまとまりがあると思いました。」

僕は、ネットのニュースで見た、大雨の中で濁流を前に呆然とする登山者たちの姿を思い出していた。

「ガイドさん同士がお互いをリスペクトして認め合っている。共助の姿勢っていうのはすごく強い。」
藤山さんは、そう付け加えた。

営利を追求するあまり、事故の対応が手遅れになり不幸な結果となったツアーの報道なども耳にする。そんな中で、屋久島のガイドさんたちのあり方は大きな示唆を与えるように僕には思えた。

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頼れる実業家の兄貴

日差しは手を緩めることなく僕たちに降り注いでいた。朝の雨が嘘のようだ。
僕は、藤山さんが立ち上げたばかりの新しい会社についてもう少し聞いてみたかった。

「立ち上げたばっかりで、実はまだ仕事は無いんですよ。」
そう言って、藤山さんは笑った。

「僕が会社を立ち上げる話を聞いて、ガイド仲間がお客さん紹介してあげるよって言ってくれるんですよね。その言葉に助けられています。」

藤山さんは、「どうなるんでしょうね、まあ、なんとかなりますよ」という感じでまた笑った。
仕事がないと笑っている藤山さんの姿は、いくつも起業してきた事業家ならではの余裕とも取れたし、単に楽観的な屋久島のアウトドア好きの兄貴にも見えるというと失礼かもしれない。でも、その両方であるように僕には思えた。

そういえば、今朝、登山弁当を買っているときに居合わせたガイドさんのことを「僕の弟子です」と藤山さんが紹介してくれた。

「彼は、以前の僕の会社に入ってきた専属のガイドで、僕が指導者として基本的なガイディングからロープワーク、屋久島の自然や植物、歴史のこと、お客さんとの接し方やレスキューにいたるまでを総合的に教えました。」

それを聞いて僕は、『単なるアウトドア好きの頼れる兄貴』という部分を勝手に削除することにした。
やはり、藤山さんには事業家の血が流れている。

「彼もこれから独立していくので、彼らの成長なんかも楽しみだし、何かあれば頼ってきて欲しい。独立するときの営業面だったり管理面だったりっていうことも教えていけたらなって思っています。僕は何度か独立して起業してきたので、そういうノウハウを彼らに教えて、うまく独立してやっていけるようになって欲しいなって強く思っています。」

僕の中で藤山さんは、『頼れる実業家の兄貴』ということで落ち着いた。

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安房川をたゆたう

時刻は15時になろうかというところだった。取材はだいたい終わったが、僕たちは翌日の午後まで時間を取っていたので、まだたっぷりと時間があった。屋久島の日差しが藤山さんの庭へ強く照りつけていた。庭の植物たちも少しうんざりしているように見える。
藤山さんが、ふいに、安房川へSUPをしに行かないかと誘ってくれた。
汗だくになっていた僕たちは、待っていましたとばかり、二つ返事でその申し出にのった。

念のために説明しておくと、SUPは、Stand Up Paddle Surfingの略で、ちょうどサーフィンとカヌーの間のような存在で、大きめのサーフボードに立ち、オールで漕いで水面を進む乗り物である。その原型は古代にまで遡ると言われるが、現代のSUPは60年代のハワイで生まれ、サーフィンのように波に乗るのはもちろん、最近では、SUPに乗って釣りをしたり、ヨガをしたりと応用編のアクティビティーも盛んである。

濃い緑の谷間に流れる安房川の流れはゆったりと穏やかだった。川岸の堤防には、カヌーや釣り船がつけやすいように埠頭になっていて、僕たちはそこへSUPを運び込んだ。 藤山さんから、インストラクションを受け、ライフジャケットを装着して川に入ると、水はひんやりと冷たく気持ち良かった。
慎重にSUPに立ち上がり、オールをゆっくりと水中に沈め一漕ぎすると、SUPは水面をスーッと滑るように進んだ。藤山さんは、SUPの操作のいろはを僕たちに説明すると、先頭に立って川の上流へと向かって力強くオールを漕いだ。

安房川の水面には森が写り込んでいて、その緑色が見とれてしまうほどに美しかった。白鷺が水面すれすれに飛んで山の方へと去っていった。

目的地の中州へ到着し、僕たちは、ジャングルの中を分け入り、未開社会の部族にコンタクトを取り行く探検隊のような気分で上陸して休憩した。
藤山さんが用意してくれたクッキーとジュースをいただきながら、僕は、ふと聞いてみたい事が頭に浮かんだ。
それは、屋久島は、本州や九州の人にとってもエキゾチックな島という位置付けだと思うが、屋久島の人は自分たちのことをどう思っているのだろうか、あくまでも感覚的な話にはなるが、屋久島を九州の一部と思っているのだろうか、という疑問だった。

「えっとですね。」藤山さんは少し考えてから答えた。
「僕の知る限りだと、屋久島の人はみんな鹿児島県のことを本土って呼びますから、ある意味、もちろん鹿児島県民なんですが、感覚的には少し薄いかもしれないですね。あくまでも屋久島島民という感覚かもしれないですね。」

屋久島島民のいう本土は、九州から北海道までの全部をそう呼ぶらしい。
こうして屋久島の川の中州でぼうっとして、福岡の自分の家のことを想像してみても、それはどこか遠くのように思えた。

僕たちは、再びSUPに乗りこみ、川を下った。
今度はほとんど漕がずに、川の流れのままにゆっくりと身を任せた。
SUPに仰向けに寝そべると、森のあいだから青い空が帯状に見えた。
それは、まるで安房川を空に写したかのようだった。
僕たちをのせたSUPは、午後のいくぶん柔らかくなった光の落ちる屋久島の谷をゆっくりと滑っていった。
藤山さんの会社もきっとうまくいくような気がすると、僕は思った。

全3回終わり

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取材/2019年7月8日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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