Hikers

ヤッホーから見える世界

石津玉代

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デナリに行ってみない?

石津玉代さんのことは、九州の山雑誌「のぼろ」やパタゴニア福岡ストアで見かけたことがあるという人が多いかもしれない。先日は、ハッピーハイカーズバーのバートークで話してもらったし、この夏開催の「ハッピーハイカーズ・法華院ギャザリング」ではローカル・プレゼンテーションのプログラムで九州代表の一人として話してもらうことになっている。要するに、ハッピーハイカーズとしても玉ちゃんこと、石津玉代さんに大注目中ということだ。そして、さらにいろんな話を聞かせて欲しいと、このウェブマガジンでのインタビューを石津さんにお願いしたという流れだ。
僕たちは、午前8時というインタビューには少し早すぎる時刻に石津さんの自宅へお邪魔させてもらった。最近引っ越したばかりだという居心地良さような団地の部屋の窓からは、いくつかの山が見えた。石津さんは、「左から、油山、背振山、金山、飯盛山ですよ。」と教えてくれた。窓から山が見えるというのが良くてこの部屋に決めたそうだ。

「パタゴニアのスタッフに海外登山や高所登山のガイド会社であるアドベンチャーガイズの方がいて、その方が、デナリで気象観測をしている大蔵さんが隊長の遠征隊に参加しないかって誘ってくれたんです。大蔵さんは、過去に仲間をデナリで亡くしていて、それ以来、デナリには特殊な風が吹くんじゃないかって言って気象観測を始めたんです。そのための気象観測装置を設置しに行く遠征なんです。そんな中に私がポコンと入ったんですよ。結局、大蔵隊長は事情で来れなくなったんですが、他の人が隊長になってくれて、私を含めて4人で行くことになりました。それが最初の高所登山です。2012年ですね。」

そして、石津さんたちの隊はうまく登頂できたらしい。
デナリは、アラスカにある北米大陸の最高峰、標高6,192mの山で、少し前まではマッキンリーと呼ばれていた。植村直己さんが下山時に遭難して行方不明になった山ということで知っている人も多いだろう。 石津さんは、キッチンと居間のあいだのカウンターでコーヒーを淹れながら話していた。しばらくすると、僕のところにもコーヒーのいい匂いが漂ってきた。
僕は、デナリのような高い山には登ったことがないので、高所登山というのはやっぱり魅力的なものなのかと素人目線の質問を投げかけた。

味付けが甘い

「うーん、何とも言えないですね。必死なんですよね、生活に追われてたって言うか。遠征は合計20日間で、そのうち実際に山にいたのは15日間でした。でも、その間に必死になってやってることってご飯つくったりすることなんですよ。氷を溶かして水をつくるところから始めるので時間もかかります。ベースキャンプでは切り出した氷を積んで『これ冷蔵庫ね』とか『これ椅子ね』ってやるんですけど、そういう山で生活していくための作業にずっと追われてた感じですね。そして、移動となると今度は荷物を全部片付けて、ソリに乗せてってやってると大仕事で大変でした。」

登頂のしたときの感激や高所登山の素晴らしさの話にならずに、石津さんが、ひたすら山での生活の大変さについて力説しているのが少し可笑しく思えた。でも、それが実際のところなのだろう。日本国内の山でも数日にわたってのテント泊縦走のときには、テントを張ったり、食事を作ったりと生活することに忙しい。標高が高くなることで、やらなきゃいけないことが大掛かりになってさらに忙しくなるのだろう。

「2回目にデナリへ行ったときは私が食料隊長という感じだったんです。食料も計画がすごく大切なんです。何をどのくらい食べるのか、予備日の食料はどうするのか、そういう計画って結構頭を使う作業で、そのまとめ役みたいな感じでした。実は、一番びっくりしたのが味付けで、やっぱり九州の味付けって甘いんですよ。隊長は関東の人だったので、私がせっせとたくさん砂糖を入れて作っていたら『甘い!』って言われるんですよ。」

石津さんは、そう言って楽しそうに笑った。
その後も、野菜を油で固めて持っていく話や下山後の食料は雪に埋めておいていくのだという、山での食料計画についてあれこれと話してくれた。
結局、僕たちはデナリの山頂へは到達しないまま、石津さんの話は南米のアコンカグアへと移ってしまった。

二人とも泣いてました

「アコンカグアは、トレイルランナーとして世界的に有名な石川弘樹さんと友人2人、私の合計4人で行ったんですよ。そのうち、私と石川さんの2人で登頂を目指すことになったけど結局ダメだったんですよ。」

無事に登頂できたデナリの話をしていたときとは石津さんの表情が少し変わった。

「アコンカグアとデナリでは全然違いましたね。まず、アコンカグアは、雪の世界じゃないんですよ。ドライな砂漠のような感じです。デナリは、雪や氷があるおかげでちょっとだけ瑞々しい感じがあるんですよ。雪で地形が埋まらないと、斜度もあらわになってしまって登りづらいんですよね。それに、高度順応するためにも水がとても必要なんですが、雪がないと水の確保も大変ですしね。」

石津さんは、思い出すようにひとつひとつ説明してくれた。
僕は、登頂できなかった理由をたずねた。

「体調もあったと思うんですけど、時間切れですかね。天候待ちで何日間かずっとテントの中に閉じ込められたんですよ。レンジャーセンターで確認してみると、上は風あるから行くなって言われるんですよ。晴れてるけどすごいスピードで雲が流れてて、下から見てるだけでも風が強いのがわかりました。そういう日が続いて時間がだんだんなくなってきて、とうとう最終日に登頂を目指したんです。私たちの歩行ペースも考えて、午後3時でタイムアップって決めたんです。3時になって登頂できなかったら絶対引き返す。そして、実際には9合目くらいまできたところで3時になってしまいました。石川さんと私は、お互いに『どうする?』って感じで。仮に続行して登頂したとしても、帰りの危険が高くなるのでそこで引き返す決断をしました。

もう目の前まで来て引き返すと判断を下すのは苦しかったに違いない。「勇気ある撤退」なんて言葉もあるが、そこに見えている山頂を諦めることは言葉にするほど簡単ではないのではないだろうと、僕は想像した。

「あともう1日あればなんとかなったかもしれないんですよね。私たちのペースが速ければもちろんもっと上がれたと思うんですけど、高度順応が遅れてると歩行速度も落ちちゃって。
それまでの道のり考えたらなかなか諦めきれないですよね。帰ってからのみんなの反応とかも気にしちゃうし。いろんな思いがありましたね。自分の気持ちやみんなの期待、かかった費用のことや費やした時間のこととか。

石津さんは、こうして今、思い出しても残念な気持ちになるのだろう。
下を向いて、ウンウン、と頷きながら話した。

「引き返しながら二人とも泣いてましたね。でも、そんなこと言ってる場合じゃない、下るって決めたら生きて帰らなきゃっていう気持ちに切り替えないとって。すごく体力が消耗していたので、帰る時もすごくきつくて。だからやっぱり引き返してよかったなって思いました。無理して続けて、帰りに体力が無くなって下山できなかったってこともありえたと思うし。それくらい体力的にもギリギリでしたね。

石津さんたちは、標高6,500m地点で引き返したということだった。登頂したことがある人からすると、「本当にあとちょっとだよ」って言われるそうだ。しかし、そのちょっとが明暗を分けることになるのだろう。

「登頂できたデナリと、登頂できなかったアコンカグアの両方の感覚を経験できたのかなって、今はポジティブに考えてます。

石津さんは、そう言って笑った。
再びアコンカグアへ行こうということには至ってないということだが、その後も高所登山は続いてるのだろうか。

「たくさん声はかけてもらってますけど続いてないですね。資金のこともありますけど、そんなに高い山にどうしても行きたいって感じじゃないので。いい経験をさせてもらったっていう感じですね。」

石津さんは、本当にそうなんですよ、という風に僕の方を見て言った。
では、高所登山にひとくぎりつけたとして、その後のアクティビティはどうなっているのだろう。

「今は、テント担いでずっと歩くのが好きです。どちらかというと山の中にずっといたいという感じですね。

コーヒーをひと口飲んだあと、石津さんはそう答えた。
開け放した窓からは、山からの気持ちのいい風が吹き込んでいた。

第1回終わり〜第2回へつづく

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取材/2018年4月4日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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