Hikers

ヤッホーから見える世界

石津玉代

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デザインしなきゃ

石津玉代さんの話は、デナリやアコンカグアの高所登山から、九州自然歩道で九州一周を目指すという、むしろ水平志向とも言えるような登山スタイルへと移り変わっていったというところだった。
それは、人が生きることさえできない環境での登山から、私たちの生活の延長線上にあるような登山への移り変わりとも言えるものだった。

開け放たれた窓からは、背振山系の山並みが見えた。
窓の脇には、ソーラーパネルがぶら下げられていて、風が吹くと風鈴の風受けのようにゆらゆらと揺れている。
現在は、アウトドアブランドのパタゴニアの福岡店に勤務している石津さんのこれまでの経緯を僕は改めて聞いてみたくなった。

「生まれは東京なんです。小学校4年生のときに北九州へ転校してきました。その後は、就職で福岡へ移るまではずっと北九州でしたね。」

短大を卒業した石津さんは、福岡のデザイン事務所に就職し、パッケージデザイナーとして働くことになった。パッケージのデザインというのは、広告のデザインなどと比べると、ひとつの仕事にかける時間が比較的長いので性に合っていた。でも、続けているうちに、ものを次々と生み出していくことに限界を感じたという。

「自分の未来がうまく描けなくて。デザイン業界というのが、いずれは独立して成功する人たちの世界のように思えたのかな。そういう気持ちは自分にはなかったし。働いている間は、『早くやらなきゃ』って、いつも追われてる感じでしたね。『デザインしなきゃ』って焦ることに疲れたのかもしれないですね。

では、その会社を辞めてすぐにパタゴニアで働き始めたのかと僕が聞くと、「いやいやいや」と石津さんは手のひらを横に振って否定した。そして、その後の石津さんの紆余曲折の人生を語ってくれた。少し要約するとこんな感じだと思う。

ワーホリか、パタゴニアか

デザイン会社に勤めていたときから英会話学校へ通っていた石津さんは、会社を辞めた後、アメリカへ行ってみることにした。アメリカのアウトドアブランドの古着がすごく好きだったし、その頃から古着のパタゴニア製品もよく着ていた。石津さんにとってのアメリカはアウトドアウェアとその文化を生み出す国だった。そして、語学留学と国立公園めぐりをかねてシアトルに1年ほど滞在した。語学学校を終了した後は、マウントレーニア、イエローストーン、グランドキャニオンなどの国立公園をキャンプしながら歩いた。旅の途中で出会ったスイス人から「冬はスキー場でこもって働いている」という話に影響を受け、日本へ帰国後は長野のホテルで受付をしながらスノーボード三昧の生活をした。雪の季節が終わってもそのまま長野にいると、松本にいた親戚から「暇だったら仕事を手伝え」と言われ、旅行の添乗員の仕事をすることになった。主に修学旅行生の係に就いたが、意外と楽しかったらしい。添乗員の仕事でいくらか貯金ができたので、福岡へもどり、再びデザインの会社で働いてみようと思った。デザイン業界というよりも、むしろ、「社会人として働く」ことのやりがいや楽しさを添乗員の仕事を通じてあらためて経験したのが大きかった。しかし、福岡へ戻ってきて働き始めたデザイン事務所が1年後に倒産した。これは、やはりデザインの道をゆく人生ではなかったということだと思い、アウトドア業界への転身を決め、モンベルでアルバイトを始めた。感覚の合う同僚にも恵まれて、モンベルでの仕事は楽しくてしょうがなかった。毎週のように仕事仲間たちといろんな山へ登った。モンベルの社員採用試験を2度受けたがこれはとおらなかった。そして、30歳になった。

「ワーキングホリデーでもう一度海外へ行くか、憧れていたパタゴニアで働くことにチャレンジしてみるか天秤にかけたんですよ。パタゴニアで採用されなかったらワーキングホリデーに行こうって気持ちで。」

当時はまだ福岡にパタゴニアの店はなかったので、本社に書類を送ったところ、すぐに連絡があった。近々、福岡店をオープンする話があるということだった。その後、正式な採用試験を経て晴れてパタゴニアのスタッフとなった。

人生は外側からやってくる

パタゴニアで働くようになって、石津さんは、様々な出会いを通じて多くのことを学んだという。

「環境問題への取り組みもパタゴニアの活動のひとつですね。最初は全然わからなかったんですが、分けて考えるものじゃなくて、自分の生活に密着してるものなんだっていうのがだんだん分かってきました。」

石津さんは、パタゴニアが建設反対活動を支援している石木ダムの運動に参加したり、ペットボトルなどのプラスチック製品を極力使わない生活への意識改革をアピールしている。
以前、ハッピーハイカーズバーでのプレゼンテーションで、自分の山登りと環境活動を絡めて話してもらったこともある。
僕は、あらためて石津さんのこれから向かっている先について聞いてみた。

「今は、大きな目標はないですね。生活をもうちょっとシンプルにするとか、そういうことを考えていますね。何かに寄ったりしない、いろんなことの中間にいるような感じがしています。仕事をしながら生活のこともやりたいし、たくさん山も行きたい。どちらかというとニュートラルな感じがします。

それは、ある意味で安定してるというなのだろうか。

「なんかやりたいなとか、ワクワクしたいなというのは常に思っているので、それは何なのかというのを問い続けてはいますね。今はまだ答えは出ていないですけど。

安定しているときは、目標や未来が見えにくいということはよくあるのかもしれない。バランスが悪いからそこを埋めたくてそっちの比重が大きくなったりする。そして、人との出会いという別の重力が加わって大きく生き方が変わることもある。僕たちはその都度うまくバランスをとりながらなんとか前に進んでいく。むしろ、人生は外側からやってくるものなのかもしれない。

「先日、野外において人を救助するためのシステムである野外救急法を学んできました。他にも、『Leave No Trace』という山での考え方を人に教えていくためのプログラムに参加していています。パタゴニアでの社歴も長くなってきて、人にものを教える機会もあるので、自分も勉強していこうと思ってます。こんなことをしているうちにまた何か違う人生が始まるかもしれませんね。」

石津さんは、そう話すと、「ウンウン」と自分に言い聞かせるようにうなずいた。
あまりいろんな事にこだわりすぎずに、石津さんは、その時々の気持ちと出会いを大切にまたどこかにふと向かっていくのだろう。
僕は、なぜが学生時代の先生の言葉を思い出した。
「目的地へのたどり着き方には二つある。ひとつ目は、目標物から目を離さずそこへ向かっていくこと。もうひとつは、目的地へと向けた足元だけを見て歩き続けること。」
もしかすると、目的地へたどり着く方法は、先生の言った二つだけではなくて他にも色々ありそうだ。
僕はそんなことを思いながら、そのあともしばらく石津さんの話を聞いた。
背振山地からの風が、ソーラーパネルの風鈴をゆっくりと揺らした。

全3回終わり

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取材/2018年4月4日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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