Hikers

ミシンがあれば怖くない

+++ライトソーイングマシン 1

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ヒカル清掃

『+++ライトソーイングマシン』というブランドをご存じだろうか?
佐賀を拠点にULハイキング志向のプロダクトを生産販売するオオツカヒカルさん、美緒さん夫婦が運営するブランドだ。『+++Light sawing machine』というのが正確な表記で、 SNS(@lightsewingmachine)での発信をベースに、ULハイキングカルチャーを中心に幅広い層に支持されているギアメーカーである。
プロダクトにのせられたセンスの良さもさることながら、SNSから見え隠れするハッピーな雰囲気など、ハッピーハイカーズとしては興味津々、話を聞かせてもらわないわけにはいかない。それに、九州を拠点に活動しているギアメーカーというのもあまり聞かない。
そういうわけで、おそらく気になっている人も多いはずの『+++ライトソーイングマシン』のお二人にその始まりから話を聞いてみよう。

「+++ライトソーイングマシンというブランド名は『オオツカヒカル』という僕の名前からつけました。僕たち夫婦は、ふたりとも長崎生まれで、佐賀に来て10年くらいになります。山はこっちにきてから始まった感じで、それまでは比較的山と関わりのない人生でした。」

ヒカルさんは、言葉を選びながら話を始めた。
佐賀へ移住するきっかけについてたずねた。

「掃除の仕事を一緒にやらないか?という佐賀に住む知り合いの誘いを頼りに移住して、夫婦で掃除の会社を始めることになったんです。会社の名前は、『ヒカル清掃』って言うんですが、名前で行けるいけるんじゃないっていうノリで始めた感じです(笑)。もう10年になりますね。いろんなお店の夜間清掃をしたり、空いたアパートの部屋のハウスクリーニングもやっています。それまで僕はろくに職につかずにアルバイトばっかりして、社会性も協調性もないというか。そういう感じでここまで来てしまいましたね。」

移住の計画の話を聞いて美緒さんはどう思ったのだろう。

「私は当時、長崎でパティシエの仕事をしていたんですけど、わりとスッと決心できました。」美緒さんがヒカルさんの方を見て言うと、「今だから笑って話せますけど、こっちにくる時点ではまだ何も具体的に始まってない状態だったので、よくここまで一緒についてきてくれたなって思います。」ヒカルさんは、そう言って笑った。

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ミシンが増えていく

ものづくりの始まりの話を聞かせてもらおう。

「コロナが始まって、世の中のいろんなことが止まってしまいましたが、掃除の仕事も大きな影響を受けて、すっかり仕事がなくなってしまいました。そこで、それまで趣味の範囲で遊んでいたようなミシンをちゃんとやりだしたのがスタートですね。僕が高校生の頃に母親がパッチワークをよくやっていたんですけど、そのときに母にミシンの使い方を教えてもらいながら自分でバッグを何個か作ったことがあるんですよ。それ以来、ミシンには20年以上触れもしなかったんですが、山に行きだしてから、MYOG的に自分で作っちゃおうって気になって、この歳になってミシンを買ったんです。1万円くらいの小さな家庭用のやつだったんですけど、触ってみるとやっぱり覚えていたんですよね。ハマっちゃって、コロナで仕事もないので、夜中や朝方までガタガタとやっていました。」

楽しそうに笑いながら、ヒカルさんは話してくれたが、コロナの影響は深刻だったに違いない。

「アウトドアの仲間に縫製技術の高い人がいて、遊びで彼のミシンを触らせてもらったら、自分の小さいミシンじゃ満足いかなくなっちゃって。もっといいミシンが欲しくなって、ミシンをグレードアップしていくようになったんですが、結局、本気の工業用のやつじゃないとダメだってわかって。」

そんなヒカルさんを美緒さんはどう見ていたのか。

「最初は家庭用ミシンを買ってきて、なんか始めたなって軽い気持ちで見てたんですけど、そのうちミシンが増えていくと、ん?これはどうゆうことかな?って。その頃はそれを仕事にするってゆう話はまったくなかったし。」

美緒さんはそう言って微笑んだ。

「1台目も2台目も勝手に買ったんですよ、事後報告で。3台目は工業用のゴツいやつを、これも勝手に買ったんですよ。佐川急便が配達に来たときに言ったんですよ、買いましたと。ここで彼女もさすがに怪しいと思ったはずですけど、僕はこの工業用を買った時点で仕事としてやっていこうという気持ちでしたね。」
ヒカルさんはややバツが悪そうな表情だ。

「それまでは趣味の世界で、『ごめんなさい、勝手に新しい釣り竿買いました。』みたいな感じだったし、私もそういう感覚でしか見てなかったんですけど、でっかいミシンが来たときはこれは趣味じゃないなって思いましたね。」
そう言って、美緒さんは楽しそうに笑う。

「ここまでくると金額的に0の数が1個増えちゃうので、彼女も真顔になっていましたね。ただ僕の性格を知っているんで半分あきらめていたとは思います。」

「言い出したらそれしか見えないタイプなんで、あぁ、そうゆうことかって。私の方は、そこから少しずつ、ひとつひとつ段階を登っていくように、自然な流れで気持ち切り替えていったって感じです。」

二人はお互いにそう言うと、楽しそうに笑った。

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プレッシャーをかけまくる

コロナの時期と重なるように、作ったものが売れ始めるようになってきました。初めて商品化したのが、「ナッシングバッグ」というシンプルなサコッシュです。その頃には、掃除の仕事も徐々に持ち直してきていたんですが、逆にこっちのほうが忙しくなってきたんです。自分たちが今後ものづくりを仕事としていくのかどうか迷いましたね。
結局、SNSがいい媒体になってくれて、そこにちょうどハマったんだと思います。当時は自分たちのオンラインショップもなかったのでSNS上で販売していました。商品の写真をアップして、DMで注文をいただいて、それから作って送るという流れで。はじめは身内だけを相手にやっていた感じでしたね。」

そんなヒカルさんの始めた仕事を、美緒さんも一緒にやるようになった。

「注文が増えてきて、いよいよ一人じゃ大変だってことで、私もできることを手伝い始めました。とはいえ、ミシンの経験はまったくなくて。小学校の授業で触ったきりだったんですけど、彼に教えてもらいながら、アシスタント的な立場で始めていきました。」

夫婦で一緒に仕事をするという点についてどうだったのか。

「それまでも掃除の仕事を二人で一緒にやってきたのでなんの抵抗もなくスッと入れましたね。僕の仕事が忙しくなって、彼女が手伝うっていう、掃除の仕事でもやってきたスタイルで業務の内容が変わっただけですね。24時間ずっと一緒にいるので、一日中仕事の話をしていますね。本当は良くないと思うんですけど、これが僕らの当たり前なので。」

ヒカルさんはビシッとそう言った。

「縫製仕事には大きく分けて二つ仕事があります。ひとつ目が裁断です。布を切り出す作業ですが、これがものすごく大変な作業なんです。商品を一個だけ作るのであれば5分くらいで済むんですが、これを100個とか200個になったとき、正確に切り出していくのがとても大事な仕事になってくるわけです。彼女には最初にそこをずっとやってもらいました。僕自身は横着で裁断作業が苦手だったんですけど、彼女のほうが正確に切り続けることができたんです。」

ヒカルさんがそんな話をするときは、二人は少し親子のように見えた。

「もう一つが縫製です。縫製に関しては慣れの部分が大きく、感覚がすごく反映されるんです。だから、彼女には練習のために縫う時間を増やしてもらい、プレッシャーをかけまくって(笑)。そしたらこの1年でグッとスキルが上がりましたね。そういうわけで、現在は僕はカスタムメイドなどの仕事をしていて、彼女がひたすら定番商品を作っているという状態になりました。」

プレッシャーの話に、美緒さんも笑って聞いている。

「そういう彼も素人なんですが、縫う技術に関しては、教えてもらうとおりにやっていけば技術は向上するんだと信じてやっていました。プレッシャーをかけられることは、それも掃除のときからなんで(笑)。ここはちゃんとしないといけないところなんだなっていうのがわかりやすいですよね。」
そういうと、美緒さんとヒカルさんはお互いを見て楽しそうに笑った。

そんなわけで、美緒さんはあっという間に「+++ライトソーイングマシン」の工場長となり、ヒカルさんと美緒さんは二人三脚で業務を切り盛りしている。

ガッチリとした体格でややもするとイカついという印象を持たれそうなヒカルさんと、対照的にボーイッシュなショートヘアに小柄でかわいい雰囲気の美緒さん。
二人の小さな工場では今日もガタガタとミシンの音が響いている。

さて、次回からは具体的な商品の話を聞いてみたいと思う。

第1回終わり〜第2回へつづく

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取材/2022年12月5日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/ヒラナミ 写真/石川博己

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