Hikers

法華院の女、法華院の男

前田美幸、米田陽星

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体力の陰りと八ヶ岳

「ちょうど丸2年ですね。2年前の年末くらいに前の仕事を辞めて、スペインとモロッコに遊びに行って、3月に日本へ帰ってきて、そのまま法華院すね。」

仲のいい友人たちは、米田陽星さんのことを親しみを込めて「コメダメン」と呼ぶ。米田さんは、法華院温泉山荘のスタッフで、トレイルランナーとしても知られている。米田さんの朴訥とした話し方や飄々とした雰囲気は、インタビューでもいつもと同じだった。

「繁忙期は、ほんとギリギリ生きてる感じですね。」

繁忙期の法華院温泉は本当に忙しいらしく、米田さんの口からは、「大変です」「ギリギリです」という言葉が繰り返される。前にも聞いたが、ほとんどの時間は皿洗いをしているらしい。繁忙期が終わる頃には、皿洗いのしすぎで腱鞘炎になって自分のお尻を拭けないくらいだという話は連載の<第1回>で聞いた。

「休憩中に走りに行くんですけど、もうそういう体力も無くなってきましたね。仕事で消耗してるってのもありますけど、やっぱ、走って登るのきついですね、最近。」

米田さんは、ニットキャップを何度かかぶり直しながらそう言った。

「今、38歳です。34歳くらいまでがピークでしたね、多分。30歳から34歳くらいが元気だったですね。体力の陰りを感じてます。もうそろそろあったかくなってきたけん、休憩中に山登り始めよっかなって思ってるんすけど、なかなか気持ちが…。」

山が好きで、山の近くに引っ越した友人が何人かいるが、山の近くに住むようになったらあまり登らなくなったという話も聞く。山にいることで満足したり、山を見れるだけで満足したりということだった。米田さんの体力の陰りの話とは少し違う気もするがどうなんだろうと思いながら僕は話を聞いていた。

「特に冬は寒いけん、何て言うんですかね、休憩に入る段階で体がもうカチコチになってて、厨房で震えて。もう、とりあえず風呂入って、布団の中に入っとこうかなって気持ちになります。」

山荘の中は暖かいのかと思っていたが、そうでもないようだった。

「お客さんのところは暖房があるけど、お客さんいなかったら、お客さんのとこすら点けてないし、厨房にはそもそも暖房は入ってないので寒くて、下手したら氷点下の中で水仕事とかになるんです。」

顔をしかめて米田さんは辛そうにつぶやいた。
僕は、話が法華院温泉残酷物語になる前に話題を変えたほうがいいのかなと思い、以前、米田さんが冬の八ヶ岳に行くのだと、僕にも装備のことなんかを聞いてきていたのを思い出し、例の八ヶ岳はどうだったのかとたずねた。

「それが、結局、冬用の靴まで用意したんですけど、1月の休みとき、宝満からの帰りに5号線が、夕方のラッシュでムッチャ混んどったけん、裏道行ったろと思って、クネクネ、クネクネ行きよったら事故しちゃって。確実に僕が悪いんすけど、ぶつけたおばちゃんがおっきなワンボックスだったんすよね。で、パッと寄せて停まったんですけど、地元の人だったみたいで、旦那さんとか家の近所の人たちがすぐに来て。旦那さんもなんかあんな感じでしたね、マグロ釣る人、誰でしたっけ、その人みたいで。真っ黒に日焼けしてて、ジャージもドクロで7代目何とかかんとかって書いてあって、めっちゃ怖かったっす。ちょうど車両保険も外してたんで、自分の車の修理が20万円以上かかって、それで八ヶ岳はあきらめました。」

米田さんは、そう話すと、暗い顔になった。
体力の陰りを感じるわ、不要の出費はかさむわ、気の毒だと思いながら、その話がおかしくて、僕は笑いをこらえきれずに吹き出してしまった。ごめんなさい。

宝満山が好きすぎて

明るい話題を求めて、足を踏み入れていいのか不安に思いながら、米田さんの山の始まりについて聞いた。

「大学行ったけど何も勉強してないっすね。卒業はしましたけど。その後、うきはで先輩がソーセージとか作っているところに一年くらい住ませてもらったんです。」

「へぇ、ソーセージ作ってたんだ」 と、僕。

「銀杏拾ったりとか、薪割りとか、雑用ですよ。そのあと、福岡の大きなCDショップで働くことになったんです。仕事帰りにその先輩が福岡で始めたスペインバルに寄ったら、『明日休みで、うきはに遊びに行くけど来る?』って言われて、行くっつって、行ったら『山にハイキングに行くチームと昼寝しとくチームがあるけどどうする?』って言われて、なんとなく山へついて行ったのが始まりです。」

米田さんは、それまでは山には全く興味なかったという。

「御前岳って知ってます?釈迦岳とか。津江山系って結構本気で山深いところで、そこで水飲んで木に囲まれてるのがめっちゃ気持ちよかったんす。それからもう病みつきになって。とりあえず手当たり次第、宝満行ったり、英彦山行ったり、この辺で行ける山に行くようになりました。」

CDショップでは週に2日必ず休みがあったし、遅番も週に3日くらいあるので、午前中に山に登ってから仕事にも行けたし、その頃は山に行きやすい生活だったと、米田さんは続けた。

「あるとき、宝満でたまに福岡のアウトドアショップの人に会うことがあって、その人の店に僕もちょいちょい行ったり、その人も僕のところにちょいちょいCD買いに来とって『今度山登らんね?』って言われて、そしたら『走らんね?』ってなって、走ったら気持ちいいなって。ちょいちょい一緒に宝満から三郡の方まで走ってて、『カントリーレースがあるけん出らんね?』ってなって、出たんです。」

ほぼ、言われるがままの成り行きのような感じでトレイルランニングの世界に入っていったが、知っている人は知っていると思うが、米田さんはその世界では速い選手だ。 僕は、初めてのカントリーレースのリザルトはどうだったのかをたずねた。

「4番くらいですね、2時間46分だったですね。」

米田さんは、ニコリともせず、真顔のままそう答えた。
さすが、ただ者ではない。

「でも、そっから5回連続くらい、それを上回れんで。ようやく3年後くらいに2時間40分が出て、もうそれっきりですね。」

「学生の時から陸上部だったり、もともと早い人だったの?」と、僕は聞いた。

「いや、そんなんじゃないです。多分、宝満に行き過ぎていつの間にか走れるようになってたと思います。」

「宝満に行きすぎてって言っても、そんなんだけじゃそこまで早くならないでしょ!」と、僕。

「少なくとも週3くらい行ってて、多い週は週5くらい行ってましたね。」

どちらかといえば、山伏の修行のように思えたが、2時間40分は、そうやって宝満山を毎日走ったからって、誰もが出せるタイムではない。

「仕事前に行くのは宝満。で、休みの日に違うとこ行くときもあるけど、どこも行くところなかったら宝満みたいな。休みの日は正面じゃないとこも行きますけど、仕事前は正面からまっすぐ行って、天の泉っていう水場が三郡の手前にあるんですけど、そこで水飲んで帰ってくるのが最高です。」

そう言って、米田さんは、今日初めてにっこり笑った。

ただ野山を走ってるだけ

米田さんの笑顔を見れて、ホッとした僕はこの調子でいこうと話を続けた。
米田さんにとって「山、気持ちいいっす、楽しいっす」っていうのはどんなことなんだろう。

「何ですかね、山に登って、ぼーっとしてタバコ吸って帰ってくるみたいな。あんまり何も考えてないっすね。上で昼寝するとか、そんな感じですかね。だんだん暖かくなってきたから。」

いい感じだ。僕は、米田さんにどんな山に行くのが好きなのか聞いた。

「やっぱなんか宝満が好き。他の山も好きですけど、けどなんか日常としてあるって言うか。日課?じゃないけど。宝満が好きですね。」

また、宝満に戻ってしまった。
でも、本当に好きなのだから仕方がない。
もう、とことん宝満の話を聞かせてもらおう。

「知ってるおじいちゃん居るし。『今日、どこまで行ったとね?』とかですね。もう春夏秋冬、1年中行ってましたね。冬は、『何で今日も短パンなん?』って聞かれたり。なぜかというと、短パンだったら寒いから走らざるを得ない。仕事前に行くときは、時間が限られてるから走るしかないんです。」

毎日のように登る宝満山好きの人はいると思うが、冬でも短パンでというのは珍しがられるだろう。僕は、くじゅうにいる今も宝満山へは行くのか聞いた。

「休みの日には行きますね。事故して金がないけんもう宝満ばっかですよね。」

愚問だった。
そう言って、米田さんは渋い顔に戻ってしまった。

「あ、なんか、トレランとか、別に何かを目指してるわけじゃないんだよね?カントリーレースばっかり?他のレースも出てるの?」

僕は慌てて別の話をした。

「いや、出てないですね。金払って走るのが自分にはいまいちよく分かんない。けど、カントリーレースは楽しいですね。みんな集まるし、毎回同じコース走るけん、自分の体調がわかるというか。」

米田さんは真剣な表情で答えた。

「じゃあ、カントリーレース以外は、ただ野山を走ってるだけ?トレイルランニングの人って、ポイントとか貯めたりして、いろんなレース出てたりするけど。」
僕は、少し慎重になって質問を重ねた。

「そんな金ないっすよね。金ないし、金払ってまでそんなきついことしたくないっす。」

米田さんのシンプルな答えに僕は納得した。
当然、山の入り方は人それぞれだし、トレランのレースに出る人のモチベーションや考え方も十人十色だと思う。
米田さんのように、「ただ毎日山に入って走って気持ちいいだけでいいっす」というような山との関わり方も素敵だなと思った。
もっと正直に言うと、ものすごく速い選手でありながらも、自然体でそう言える米田さんの存在は、彼の価値観や生き方がまっすぐにあらわれていてかっこいいと、僕は思った。
米田さんは、SNSも全くやっていない。
米田さんの見る山の風景にインスタ映えは存在しない。
スマホで写真を撮ってアップするたびに、山にいる時間そのものを薄めちゃっているのかなと、米田さんの話を聞いていて、僕は思った。

「山では、ただ走って、ぼーっとしてます。」と、米田さんは再び言った。

「何か他に言っておきたいことありますか?」
僕は、最後に米田さんに聞いた。
米田さんの答えは簡潔だった。

「ないです。」

話が終わると、米田さんは、作業に戻っていった。
キャタピラのついた運搬車に乗って、ドラム缶を運んでいた。
その姿は、ヤクに荷物をくくりつけて仕事をしている山岳民族の男を連想させた。
僕は、久しぶりに宝満山に登りたくなった。

『法華院の女、法華院の男』と題し、3回にわたって、法華院温泉山荘で働く、前田美幸さんと、米田陽星さんの二人に話を聞かせてもらった。
山小屋での仕事は大変だろうけど、彼らのような山小屋スタッフの姿は、僕たちの山やハイキングに彩りを与えてくれていることに感謝したい。

全3回終わり

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取材/2019年3月26日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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