Hikers

山とヨガと山小屋の、家族のストーリー

松本万里子 2

ヨガで生きよう

image

DVDでどハマり

「ヨガは20代の半ばくらいからですね。」

ハイキングの話の次に松本万里子さんに聞きたかったのがヨガについてだ。
万里子さんは、フリーランスのアシュタンガヨガ指導者なのだ。

「毎週土曜の朝、近くの公民館でマイソールクラスをやっていて、そのほかにYouTubeでライブ配信で教えたり、ZOOMでマンツーマンで教えるクラスもやっています。」

アシュタンガヨガは、南インドのマイソールでシュリ・K・パタビジョイス氏により確立され、現在はパタビジョイス氏の孫であり、アシュタンガヨガ・インスティチュートのディレクターを務めるシャラート・ジョイス氏が後を継いでいる。
ヨガの歴史に興味がある方は、2011年に公開されたドキュメンタリー映画「聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅」をご覧になるのも入り口としては楽しいかもしれない。

「その頃、サーフィンにハマっていて、サーファーの友達がアシュタンガヨガのDVD を貸してくれて、ヨガっておもしろいって思ったんです。そこから1、2年くらいは、そのDVD見ながら毎日練習するようになって、どハマりしましたね。そこからですね、私のアシュタンガヨガ人生は。」

この万里子さんにとってのヨガのビッグバンは15年くらい前に起こった。
ありがちな質問だとは思いながらも、体が硬くてヨガなんてできる想像つかないって人が多いと思うが、万里子さんはどうだったのかたずねた。

「もともと、体は柔らかい方だったので、柔軟性を使うようなポーズはできましたね。逆に 力を使うようなやつは苦手だったんですが、若かったし、運動もしていたので、わりとすんなり入っていけて楽しめましたね。ただ、そう言うと体が柔らかい人の方がヨガに向いていると思われそうですが、どちらかというと柔軟性が高まっていく過程の方が大切なので、もともと体が硬い人の方が気付きや得るものは多かったりします。」

なるほど、そういうことであればチャレンジしてみたくなる。
DVD時代のあとはどうやって練習するようになったのか、続けて聞いた。

「DVD見ながらやっているうちにだんだん覚えてきて、何も見なくてもある程度は自分でできるようになってきましたね。時間のあるときにはマット敷いてヨガをやるっていうのが習慣になってきました。すると、ヨガをしだすといろんなことが変わってくるんですよね。いろんなことに気付くようになって、当時の私の生活に対してもこれは何か間違っているなって思うようになって、そこから大きく自分の人生が変わりはじめました。」

ヨガで人生が変わったというのは、ある意味よく聞くフレーズだ。万里子さんの人生がどのように変わっていったのか、ヨガの何がそうさせたのかに興味が湧いた。

「ヨガは、冷静に客観的に自分を観察、内観する作業です。俯瞰してみた20代の自分の姿は、全く自立しておらず、自ら変化を求めなければ、一生、他人のもののような実感のない人生を送ることになるだろうということに気づき、それでは嫌だという強い気持ちが、離婚という人生の中でとてつもなくエネルギーを消耗する決断をさせました。」

そう、万里子さんの言った、ヨガによって大きく変わりはじめた人生というのは、一度目の結婚生活に終わりを告げるということだった。

image

じゃあ、指導者になる!

「離婚したことでこれからは第二の人生だってくらいの気持ちになって、まずは経済的な自立をしようとはりきって仕事中心の生活をするようになったんです。そうしたら、ヨガのおかげでそういう気持ちになれたのに、逆にヨガをする時間がなくなっちゃったんですよ。」

万里子さんは苦笑いしながらそう言った。

「彼のところで働くようになったんですが、ウェブの会社だったので、締め切りもタイトだし、夜中までずっと仕事して徹夜も当たり前というような感じで。休みもなかったし!」

万里子さんは謙介さんを見やって笑ってそう言うと、「申し訳ない!」と、間髪いれずに謙介さんが両手を合わせた。

「そういうわけで、ヨガなんてする余裕も暇もなかったから、それでまた段々と健康的でない生活になっていったんです。メンタルは強い方だったせいか、ストレスは体に出るタイプなんですよ。ストレスだって感じてないんだけれども円形脱毛症になったり、体調を崩したり。それが何年か続き、このままじゃダメだって思って、時間をつくってヨガをやるようにしたんです。そうしたら、やっぱりヨガっていいなって思い返して。再びヨガをやるようになるにつれて、もうこの生活やめようって思うようになったんです。」

その後、万里子さんは、会社での仕事のやり方を変えようと謙介さんと相談したり、それまでギクシャクしていた両親との関係も絡まった糸をほどくように解決する努力を重ねた。

「すると、少しずつ自分の力で人生を変えられるようになってきたんです。ああ、これはヨガのおかげだと思いました。そして、私はヨガで生きようって決意したんです。またヨガスタジオに通い始め、次第にヨガの頻度が高くなっていきました。」

万里子さんは謙介さんと結婚し、そのタイミングで社員からパートにしてもらい、ヨガのための時間を作るようにした。そして、子供ができたことを機に会社を辞め、子育てとともにヨガに専念するような生活にシフトしていく。

「そこからは指導者養成のコースをたくさん受けて、自分も教えるようになっていきました。」

自分がヨガをやるだけじゃなくて、教えるという方向に向かったのには理由があったのだろうか。

「ヨガを教えることを仕事にすることで、私がヨガに没頭することを誰にも文句言われないだろうって思ったんですよ。」

万里子さんはそう言って笑った。

「毎日できるし、一生できるだろうって。最初は、その気持ちが『じゃあ、指導者になる!』だったんですよね。でも、実際に教え始めたら、教えること自体は自分の学びにもなるんですが、仕事だってなると少し違和感があったので、どこかのスタジオに勤めてヨガを教えるってことはせずに、自分で自由にフリーランスとしてやっていました。初めのうちは、お金をもらうってことと、自分の学びのために教えるってこととのバランスをうまくとることが難しかったんですが、最近はこの素晴らしいヨガのことを伝えたいから伝える、教えてもらいたい人がいれば、お金をいただいて教えるってことに、違和感を感じずにやれるようになってきました。」

万里子さんは、ヨガでお金をもらうことに罪悪感を感じていたところがあったという。

「最初はこんな私がお金をもらっていんだろうかって。でも、自分のキャリアを積むことによって、教えたり、伝えるというスキルもついてきたと思えるようになってきたので、お金をもらうことに対する罪悪感はなくなりました。」 ずっとヨガをして生きていくための手段として指導者を目指した万里子さんは、健やかな指導者として自分自身と出会った。

image

インドに行ってヨガをする

万里子さんのインドでの話をお願いした。インドへ渡り、マイソールのシャラ(ヨガ道場)に入って練習するというのはかなりのビッグステップだと思う。

「実は、インドにそこまで興味持っていなかったんですよ。日本の方が快適そうだし、日本にもたくさんいい先生がいらっしゃるから、そこに受けに行けばいいじゃんって思っていたんです。でも、マイソールのアシュタンガヨガのグルジであるシャラート先生が、2年に1回くらい日本にこられてワークショップやクラスをされていて、2018年に東京に来られたときのクラスを受けに行ったんです。すると、これはぜんぜん違うなって思ったんですよ、先生のオーラっていうんですかね。それで、シャラート先生に指導を受けにインドへ行きたいって思ったんですよ。もう絶対行こうって。」

マイソールは、南インドのカルナータカ州にあるスルタン王朝のおかれていた古都で、多くのインド人観光客で賑わう街である。同時に、市内のマーケットを歩いていると「ヨガの修行に来たのか?」と聞かれるくらい、ヨガを目的とする外国人滞在者の多いところだ。
「さっそく1ヶ月間のコースを申し込んだんですよ。娘のこうねと一緒に二人で行こうと思うって夫に話したら、『どこでも仕事できるし俺もインド行く』って言って。それだと私も安心だし、3人で行くことにしたんです。年末から2月の頭くらいまでひと月ちょっとインドで三人で暮らしました。」

家族とともにアシュタンガヨガの虎の穴、マイソールでの1ヶ月はどんなものだったのだろう。

「月曜日から土曜日まで、毎朝練習するんですよ。土曜日はレッドクラスなんですけど、あとはマイソールクラスです。マイソールクラスっていうのは、個人がそれぞれマイペースに練習しているところに先生が個別に必要な指導を与えていくというものです。レッドクラスというのは、先生のガイドに合わせて全員が一緒にやるというものです。日曜日はおやすみです。毎日、毎朝、フルに手を抜かずに練習をするわけなので、すごくきついんです。」

万里子さんは、最後の「きついんです」を強調するように大きくうなずいた。

「日本で自分ひとりで練習していたら、どうしても手を抜きがちじゃないですか。今日はちょっときついからこれくらいにしておこうとか。手抜きができないインドで1ヶ月間ずっと続けてきて、これを日本でも毎日やれたら成長のスピード全然違うだろうなって思いました。でも、やっぱりこれは先生がいることでできることであって、同じことを日本に帰って自分でやろうと思うとすごい精神力が必要ですよ。反面、それでもやろうとすることが成長にもつながるんだろうなとも思いました。そんな発見や気づきが実体験を通してありましたね。インドに行ってヨガをするっていうのは本当に修行なんだなって思いましたね。」

万里子さんは真剣な顔でそう言った後、ヨガの練習時間以外は、夫のやっていたYouTubeのためにお寺や市場などへ行ってリポーター役になって撮影したりしてました、と楽しそうに笑った。

そして、インド修行を経て自分の中に生まれたのは、さらにアシュタンガヨガが好きになってもっともっと深めたいという気持ち、そしてこれからもインドへ通うという決意だったと万里子さんはくくった。

ひととおり話を聞かせてもらった後、撮影のために実際にいくつかヨガのポーズをとってもらった。万里子さんは、簡単そうに次々とポーズをこなしていくが、元々の体の作りがどこか違うのではないかと思わせた。
さまざまにポーズを変える万里子さんの姿をなんでもないように眺める謙介さんの、苦労しながらも自身もヨガを楽しんでいる様子は、万里子さんと一緒に出演しているYouTubeチャンネルからもほほえましく伝わってくる。
それにしても、「思い立ったが吉日」という言葉は万里子さんのためにあるように思える。そして、それが独りよがりな思いつきで終わることなく、謙介さんやこうねちゃんとの家族の生活にとっても無理がないように映る。ここには出てこない苦労や紆余曲折ももちろんあるだろうが、そんなことよりも万里子さんたちの、よく考えれば当たり前とも思える家族のあり方は世界に大きな勇気を与えてくれると、僕は思った。

さて、ハイキング、ヨガときた次回はいよいよ山での暮らしについて話を聞かせてもらう。

万里子さんのアシュタンガヨガのチャンネル
アシュタンガヨガを動画で学ぶ / YOGA LIFE sumsuun

謙介さんの山小屋暮らしのチャンネル
南畑ヒュッテ nanpata hutte

謙介さんの山のアクティビティーのチャンネル
トレイル!!トレイル!!

第2回終わり〜第3回へつづく

123

取材/2021年6月21日 テキスト/豊嶋秀樹 写真/石川博己

facebookページ 公式インスタグラム