Hikers

山とヨガと山小屋の、家族のストーリー

松本万里子 3

人間らしい生き方

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え、タダ?

「ニワトリは卵が目的なので、オスは1羽だけ残して、他は大きくなったら食べようって。メスも卵を産まなくなったら食べようと思っています。」

卵から孵化させたニワトリを愛おしそうに見つめながら、万里子さんはそう言った。
万里子さんのニワトリのことを語る表情から察すると、本当に食べられるのか疑わしい。
さて、連載最終回は、ここでの山小屋暮らしについての話を聞かせてもらう。

「福岡の街中で、不自由のない便利な暮らしをしていました。子供がいなければずっとそこにいてもよかったんでしょうけど、子供を育てていくことを考えると、都会じゃちょっと不安だったんです。」

山へ引っ越すことになったきっかけをたずねると、万里子さんは少し考えてからそう言った。

「私たちは、山に行ったり、キャンプしたりして、自然の中で心地よくいたいという思いがベースにあるけれど、都会にはそうじゃない人もたくさんいますよね。そういう環境で、まっさらな状態の子供が周囲の影響をどう受けて育っていくのかを考えると、やっぱりまわりに引き寄せられちゃうと思ったんですよ。それが、すごく不安だったんです。私自身の育った環境がそうだったので、自分の子供も自然の中で自由に遊ばせて、危険なことも見守れる環境の中で育てたいなって思いました。」

そこで万里子さんたちは、家賃が安かったということもあり、まずは福岡市の南側に位置する、那珂川が南北に貫く那珂川市に引っ越した。娘のこうねちゃんが1歳になるかならないかの頃だった。

「そこも住宅街なので、ごちゃごちゃはしていましたが、少しはマシになりました。そのうちに、今いる南畑のあたりによく遊びに来るようになったんです。そしたらますます、『ああ、こういうところに住みたい!』って思うようになったんです。夫もDIYが好きだったから、土地さえあれば自分でログハウスとか作って住めるかもしれないって言って。」

都会暮らしから、田舎暮らしへと移っていく人は多くなったとは思うが、そう思ったとしても、どれくらいの割合の人が実際にそう動いているのだろうか。
そんなことをぼんやり思いながら、万里子さんの話を聞いた。

「南畑に移住交流促進センターというのがあって、そこに何度か相談に行っているうちに、 『かなり山の中で公道にも接してないので、うちからは紹介できない物件なんですけど、松本さんなら大丈夫かもしれないので、直接連絡されてみてはどうですか?』 と言われて、持ち主を紹介してもらったんです。私道物件って不動産屋さんも嫌がる物件らしくて、隣地の方ともゴタゴタがあって大変だったんですけど、1年くらいかかって手に入れることができました。しかも、この家はタダだったんですよ。お金はいらないからもらってくれって言うような物件だったんですよ。ホントにありがたい話です。」

「え、タダ?」思わず声を上げた僕に、万里子さんは「そうなんですよ」と笑ってうなずく。信じられないような話だ。

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快適なかかわり

「あたり一面にバーって竹が生い茂っていたので、全部ノコギリで切って。家のまわりも草だらけだったんですよ。家自体は掃除すれば住める状態だったから、整備しながら少しずつ荷物を運んで、じわじわと引っ越していった感じです。」

今となってはその状態を想像できないが、大変だったに違いない。
実際に、住んでみてどうなのだろうか。

「快適です、すごく。屋根に断熱材が入ってないし、エアコンもないので夏の昼間は2階が40°Cを超えるサウナ状態になることもあるんですが、それでも山なので街中よりだいぶ涼しいから、去年は、エアコンなしでも過ごせましたね。トイレがコンポストだったり、ガスはキャンプ用のガス缶を使っていたり、浅井戸なので飲み水は下の家の人のところでくませてもらっていますが快適ですよ、すごく。」

万里子さんは、家の中をぐるっと見回しながらそういった。
水をくみに行く生活というのは、ドキュメンタリー番組でみる山岳民族の話だと思っていたが、こんなに近くでそんな生活を送っている人がいた。そして、それは「すごく快適」だそうだ。
その快適さというのは、単に家が快適だということ以上の話なのだろう。

「ここでの暮らしは、人の目を気にしなくていいし、自由に好きなようにできる。人がいないんだけれど、逆に人とのコミュニケーションがよくとれるようになったんですよ。ちょっと降りていったところのご近所さんは、いつも『この野菜持っていかんね』って言ってくれて、親戚みたいに距離が近いんですよ。初めて話す人ともすぐに仲良くできるし、そういう人とのかかわりが一番快適かもしれないですね。」

万里子さんは、そう言ってうなずいた。

「都会にいた頃は、お隣さんにもすごく気を使うし、仲良くなるまでに時間がかかったし、そのストレスが大きかった。自分は結構飛び込んで仲良くしたいけど、向こうはそうじゃないから、なんか寂しいって思っちゃう。でも、ここではどっちも飛び込み合うような関係があるから気楽でいいですね。」

そもそもの田舎暮らしを望んだ理由に育児環境というのがあったが、こうねちゃんはここにきたことをどう受け止めているのだろう。

「こうねは、遊び方が変わりましたね。以前は、娘が裸足になりたいって言っても、そのときの私は、汚れるからとか、怪我するからと言って、裸足にさせなかったんですよ。本当はそういう育て方したくなかったはずなんですけど、都会にいると自分自身がそうなってしまっていましたね。こっちではみんな子供たちを裸足でどろんこになって遊ばせています。みんなが子供たちを見守っているから、私も安心して娘をそこに飛び込ませることができるし、子供たちも本当に自由です。娘も今までの窮屈さから解き放たれて、彼女の中の自立心もどんどん成長している感じがします。」

残念ながら取材時にはこうねちゃんは学校へ行っていて会えなかったが、インスタグラムでも元気そうなところを目にしているので、その姿はすぐに想像できた。
そしてそれは、こうねちゃんだけでなく、夫の謙介さんも楽しそうに映った。

「私もそうなんですけど、もう仕事をしたくないんですよね。好きなことをしたい。だから本当にイキイキとしていますよ。私よりも夫の方が伝えたいことがいっぱいあるんじゃないですかね。」

そう言って、万里子さんは外にいる謙介さんの方を見やって笑った。

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違和感がひとつもない

雰囲気を察したのか、謙介さんが家の中へ戻ってきたので、山での暮らしの話の続きを謙介さんの立場から話してもらうようにお願いした。

「きっかけは震災でしたね。それまでは、仕事へ行って帰って寝るだけって生活だったので、暮らしているっていう感覚はなかったです。家は単に寝る場所に過ぎなかった。だから、暮らすということに対する虚無感っていうのがぼんやりとあったんですよ。もし今、自分が被災したら、仕事しかやってこなかったからきっと何も残らない、こんな生き方は意味ないって思った。それに、自分で会社を経営してはいましたが、浮き沈みが激しいし、だんだん収入が減っていたんです。それを回復させるだけのモチベーションもなくなっていた。今までだったら、なんとか収入を増やすようなこと考えていたけど、それよりも支出を減らした方が楽だっていう話に行き着いたんです。収入を増やすのはパワーがいるし、自分の意思に反して減るときもある。でも、支出の方は自分の意思に反して増えるたりすることはないじゃないですか。それは、精神衛生的にも楽だなと思ったんです。
生きる上でのコストでいうと、家賃が一番大きいじゃないですか。だったら、田舎の安い土地を買って、キットのログハウスでも建てたら、家賃もかからないしローンも組まずに済む。そうすれば、支出を減らせる。そう思って動き始めると、導かれるようにこんな物件に出会ったりして、いつの間にかここまできていました。」

謙介さんは、ひと息に話した。
話の内容については、僕もまったく同感するところだった。
ただ、そう思ったとしても、実際に行動に移すのはたやすいことではない。

「10年前の自分に、今こんな暮らしをしているって話したらびっくりするだろうねって、妻に話したら、いや、そうでもないと思うよって言うんです。朝から晩まで働いて、成功者になりたいって思っていたようなときから、自給自足の暮らしをしたいって言ってたよって。僕はまったく覚えていなかった。都会の資本主義経済の中にのまれていながらも、自分の根っこにあったんでしょうね。その話を聞いて、ここでの暮らしが自分にすごく合っていると感じたのも、もともと自分が求めていたことだったんだって思いました。山へ行っていたのもきっとそう。だから、なるべくしてなったとも思える。でも、何より運が良かったんですよね。」

謙介さんはそう言って穏やかに笑った。
僕は、今後の生き方について、他に考えている選択肢はあるのかと聞いてみた。

「定住しない生き方も選択肢に入れると、家族で世界を旅しながら生きるというのも楽しそうだなとは思う。でも、定住して生きるなら今のような生き方以外はないなって思います。」

謙介さんは、今年、罠猟の免許を取得し、とった獲物は自分でさばいているらしい。
庭には小さな畑もあるし、家の裏には大きなソーラーパネルが立てかけてあったり、単なる山暮らしではなく、自給自足の方へと向かっているように見える。

「そうですね、自給率は上げていきたいですね。でも自給自足にこだわっているわけではないんです。ただ単純に、こうやって暮らすことが自然だと感じているんです。都会にいたときは常にどっかに違和感があった気がするけど、ここでは違和感がひとつもない。人間らしい生き方を僕らはしていると思えるんです。」

謙介さんは、真面目な表情でまっすぐに僕を見てそう言った。
最後に僕は、それまでのウェブの仕事は完全に辞めちゃったのかとたずねると、謙介さんは声をひそめて「実は少しだけやってる」と言って、楽しそうに笑った。

ニワトリが走りまわる山小屋のような家での、小さな家族の大きなストーリーは、いつまで聞いても飽きることはなかった。
むしろ、まだまだたくさん聞きたいことがある。
こうねちゃんにもまだ会えていないし、ヨガの話も気になっている。
この話の続きを聞きに、また遊びに寄らせてもらおう。

万里子さんのアシュタンガヨガのチャンネル
アシュタンガヨガを動画で学ぶ / YOGA LIFE sumsuun

謙介さんの山小屋暮らしのチャンネル
南畑ヒュッテ nanpata hutte

謙介さんの山のアクティビティーのチャンネル
トレイル!!トレイル!!

全3回終わり

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取材/2021年6月21日 テキスト/豊嶋秀樹 写真/石川博己

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