Hikers

汝の欲することをなせ、ってね

大石剛司 3

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自分で自分を救済する

意外性にあふれる大石剛司さんのライフストーリーに僕は夢中になっていた。話がひと段落したところで、僕は、ジムの壁面に取り付けられた色とりどりのホールドをぼんやりと眺めていた。

「小説も書いているんですよ。」

まったく構えていなかった角度から、大石さんのパンチのあるセリフが僕を打った。

「それはいつから書いていたんですか?」冷静さを装って僕は聞いた。

「20代の後半かな。文芸評論家の松原新一さんが、九州文学学校っていうのを久留米でしていたんです。」

大石さんの別の引き出しが開く音が聞こえた。

「いつも何かしら鬱屈していたんです。世の中にあった閉塞感のせいなのか、山に登ったり、クライミングしてるときは解放されるんだけど、降りてくるとまた元に戻ってしまう。ずっと、その繰り返しで生きてきたんですけど、自分で自分をそこから救済することはできないかって思っていたんです。」

大石さんは神妙な面持ちで話した。
僕は、鬱屈していたというところをもう少し具体的に知りたかった。

「結局、いかに自己実現できるかということです。誰にとっても言えることだと思います。私の場合、自分が過剰なエネルギーを持っているのはわかる、でも、どうやってそのエネルギーを現実とマッチングさせていくかという方法がわからないままひたすら山に登っていた。それを今度は言葉で自己実現できないかって考えたんです。体で解決できなかったら、言葉で解決できるんじゃないかって。」

僕は、うなずいて大石さんの話の続きを待った。

「そして、仕事が終わると、九州文学学校に通うようになったんです。行ってみるとそれがものすごくまともなところで、私たちが抱えていることをそのまま書き表しなさいというような教え方だったんですよ。」

文学部出身だとか、そういうわけでもなく「役所のしがない公務員」と自身を語る大石さんの文学ライフはこうして始まった。

「それがもうおもしろくて。結核で運動ができなかったときだったっていうのもありますね。動けない、書くしかないって。そうやって、ずっと書いていたら西日本新聞に掲載されたんですよ。そういう励ましもあって続けています。」

現在までに大石さんは、すでに小説を10編くらいは書いているということだ。いつか読ませてもらいたい。

「山のことを書こうと思い始めたのは最近ですね。自分の悩みを解決するために書くというところから、もう少し客観的に物事を見るように変わってきたんですよ。」

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物語は動き出した

「年をとって過剰だったエネルギーが少なくなったことも影響していると思いますが、同時に、物や人を主観ではなく、もう少しみんなの視点で見られるようになった。すべてを並列に見ると、全体的な物語が動くようになってきたんです。こっちとあっちにまったく性格の違うお互いに会ったことのない二人がいて、どちらも良いところも悪いところもあって、その二人がどこかで接点を持つ、するとこういう問題が起きて、それを傍らで見ている人がいて、とか。現実の物事を物語のように見れるようになったんですよね。主観だけで見ていると、好き嫌いというような感情が先にきて、自分の視点でしか物語が動かないんです。」

大石さんはそう説明した。
物事を平等に見れるようになったという意味なのだろうか。
僕は自問した。

「存在としてすべてを認められるようになった。好き嫌いや優劣じゃなくて。このことは自分にとっても大きな変化で、すごく楽になりました。」

冒頭の、大石さんが自分自身を救済したいと言ったことと話がつながった。

「病気だったこともきっかけになったとは思います。でも、解決しようっていう気持ちも大きくあったので一生懸命に考えました。いろいろな詩や小説を読んだし、精神分析の本も読んだ。そうやってわかったこともあったと思います。動物学の本も読みました。動物の行動にも、人間と同じようなものを見ることができる。それは逆に言えば、人間の中に組み込まれているナチュラルな動物としての行動なんだって。」

大石さんは、僕にそう説明してくれた。
そして、話はしばらくあちこちに寄り道した後、市役所を早期退職してネパールへ行ったことへと移った。

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大石さんのコーヒー

「62歳で退職してネパールに行ったんです。クライミングでつながりのある人から誘ってもらって。『ネパールは、合う人と合わない人に極端に分かれるよ』って、行く前に言われていたんですが、行ってみるともう感動しましたね。ネパールそのものが自分に合っているというか。カトマンズの猥雑な雰囲気や、何をしているのかわからないけど人がいっぱいいて、下水や生活排水は川に流れているというホコリまみれで汚いところだったんです。それが、自分が子供の頃の生活とダブって感じられて、『ああ、俺はこんなところで死にたいな』って、そのときに思ったんですよ。強烈なノスタルジーですよね。」

大石さんは、自分の言葉にうなずきながらそう言った。
ネパールには行ったことがない僕はカトマンズのことはうまく想像できずに話を聞いていた。

「もうひとつはホテルのベランダに出たら、マチャプチャレが真ん前に見えるんです。その景色には魅了されましたね。あとネパールの人は明るいんですよ。貧乏なのにものすごく明るい。なんでこんなに明るくいられるんだろうかというくらい明るいんですよね。」

大石さんは微笑んでそう言った。
僕もつられて微笑んで、マチャプチャレが見えるホテルのバルコニーに立っている自分を想像してみた。

「日本に帰ってもネパールのことばかり考えていましたね。しばらくして、このジムをひらくことになったんですが、共同経営者にも「俺は5年したら辞めてネパールに行くから」っていう話を最初からしていて、ずっとそのつもりだったんです。」

やりたいと思ったことはとにかくやりたくなってしまうという、大石さんのその性分だけは若い頃から何も変わっていない。

「ジムをやって4年目になり、いよいよネパールに行く準備を始めようとネパール語教室に通いだしたんです。そこの先生が、ネパールで日本語を教えるプログラムもやっていて、その中で私に日本語で生徒たちと話してくれないかと頼まれ、去年の秋にネパールへ行くことになっていたんです。」

大石さんはそこまで話すとひと呼吸おいた。

「そのとき少し体調が悪く気になっていたので、医療事情が悪いネパールへ行く前にちゃんと全部調べておこうって言ってたらガンが見つかったんです。それも結構進んでいて、治療には3年くらいかかるんじゃないかって言われて。治療の方は順調なのでネパール行きはまだ諦めてないんですが、行けるとしても来年の秋か再来年の春かな。」

大石さんはそう言って目を細めた。
ガンだと聞いて、僕はどう答えていいのかわからなかった。
「ネパールに行って何かしようと思ってるんですか?」少し動揺して、僕はたずねた。

「ただネパールに住んでみたいんです。」

大石さんは言った。

「いや、ありますね。大きすぎて言うのもちょっと恥ずかしいくらいなんですけど。私はコーヒーの焙煎をするんですよ。」

やや間を置いてから、大石さんは訂正した。
またひとつ、ここにも大石さんの引き出しがあった。

「寒暖差のあって良い水がある海抜2,000メートルくらいのところで作るコーヒーが一番おいしいって言われています。それが、温暖化の影響で同じ場所でいいコーヒーができなくなってきているんですよね。ネパールは海抜数100メートルから8,000メートルまであるでしょ、ということは、今後、コーヒー栽培にネパールはいいぞって思っているんです。私の勘ですよ。」

大石さんはひと息に話して、楽しそうに笑った。

「そういうことで、ネパールでコーヒー農園をしたいっていう夢があります。」

「単純だね」と、大石さんは最後につけくわえたが、ネパールでコーヒー農園をやるなんて、僕には到底単純な話とは思えなかった。
大石さんの話は、やはり最後までぶっ飛んでいて、そのおかげで僕はどこかホッとしたような気持ちになった。

後日、原稿のやりとりで大石さんに連絡をすると返事があった。
「コロナの影響でジムを閉鎖しているので、気兼ねせずに治療が受けられました。副作用も大してなく順調です。運動はできませんが、生活に支障はありません。やりたい放題で拡散しっぱなしのこの主人公は、いったい、どういう風に人生をまとめるのでしょうかね(笑)、最後まで欲するまま、なのでしょうか? 正直言って自分のことはよく分からないですね。フロイトが言うように無意識も意識も日々膨張しているのですから…。突如としてパワーが溢れてくるやもしれません???ないか!(笑)しばらく本など読みながら気長に治療しようと思います。」

大石さんの農園のコーヒーが飲める日はそう遠くないような気がした。

全3回終わり

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取材/2020年3月16日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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