Hikers

ハイキングは僕に与える

鵜城康介 3

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お婆ちゃんがZpacks

「シエラって何がいいんですか? 」シエラが心に住み着いたという話の流れで、単刀直入に鵜城さんに尋ねた。

「そうですね、なんなんだろうな? それが分かったらきっと行かなくなるんじゃないかなって思います。」
真面目な面持ちで鵜城さんはそう答えた。

「シエラは、ハイキングが好きな人はもちろんですが、ULギアとかUL文化が好きな人は行くべきところだって思います。ULが生まれた理由みたいなものが、シエラに行ったら少しだけ感じる事ができたんです。例えば、シエラは標高も高く乾燥していて、8月でも朝晩は10℃以下になる事もあるけど、昼間は半袖半ズボンで良いんです。過剰な服を持たないために、朝夕は寝袋を肩に掛けて歩いたりするんです。そうゆうギアの使い方は、その土地の気候に影響されているんだなって。流行っているからとか、かっこよく見られたいとかっていうのとはちょっと違う。70歳くらいのお婆ちゃんがZpacksのテント張っていたりとか、それが普通な感じ。それは気候や風土、文化とかが関係あるんだなって思ったんです。」

ULの生まれ故郷であるアメリカ西海岸のULのあり方と、日本で流行しているULの受け取られ方には多少のズレがあるようだ。

「とは言え、日本でもアメリカでも山の中に入ってしまえば一緒だなって思いました。見える景色は違いますが、すごくホッとできたんですよ。街にいるときは緊張しっぱなしだったんですけど、山にはいったらフゥって力が抜けて、いつもどおり何も気にせず歩けるんですよ。」
鵜城さんは、そう言って微笑んだ。

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基本はコスモス

さて、日本とアメリカでは同じULでもギアの選択などに違いがありそうだが、見るからにギア好きだと思われる鵜城さんにとってのULハイキングの魅力ってなんだろう。

「実は、最初からULに行ったわけではなくて、初めはすべて一般的なギアから入りました。『まず自分の基準を作れ』って修さんにも言われたこともあって、基本を経験しておかないと、逆にULの良さが分からないんじゃないかって思ったんです。そこから徐々にアルコールストーブにしてみたりという感じでULへ移っていきましたね。」

修さんというのは、鵜城さんの山の師匠である門司港のバー「tent.」のオーナー、秋田修さんのことだ。

「JMTへ3回行って、最近は道具は何でもいいかなって思ってます。軽さには固執していますが、それ以外はもうなんでも良いのかなって。ギアに飽きたわけではないので、最新情報をいろいろ調べて楽しんではいますけど。」

鵜城さんはそういって笑った。

「服も毎年のように新しいのがいっぱい出てるんですけど、修理して使う方に興味がいってますね。」

鵜城さんのパタゴニアのジャケットの袖はパッチで補修されていた。修理することで逆に愛着が湧くというのはよくわかる。
そういう鵜城さんのギアの組み立てに興味が湧いた。

「燃料は、ガスか固形燃料ですね。ガスストーブはSOTOのウインドマスターを使います。1泊2日だったら固形燃料かな。アルコールストーブはあんまり使わなくなりましたね。危ないってゆうのもあるんですが、アメリカではアルコールストーブの使用が禁止だったこともあって、自然と使わなくなりました。」

鵜城さんは、クッカーやストーブが並べられたラックに目をやって説明してくれた。

「食料は基本、コスモスです。」

「コスモス?」僕は聞き直した。

「ドラッグストアのコスモス。それもこだわりで。」
鵜城さんは楽しそうに笑う。

「基本的に肉とか持っていかなくて、お湯で戻して食べられるものや、ラーメンがメインです。僕、山に入るとあんまりお腹がすかなくなるんですよ。行動食もポテトチップスを砕いてジップロックに入れただけ。豪華なごはんを食べたいということもなくて、山で宴会することもあんまりないんです。それよりもただ山にいたいっていう気持ちが強くて、何もしなくてもいいかなって思っちゃうんですよ。」

真逆の人の話はよく聞くので、鵜城さんの話が新鮮に響く。

「シェルターは、一人のときはブルックスレンジのタープをメインに使っています。妻と一緒に行くときはフリーライトのMトレイル。軽いしポールで立てられるし、しっくりきています。」

愛妻家の鵜城さんは奥さんと一緒の時はタープではなく、居住性の良いシェルターを選ぶのだ。

「僕、自分の持っているものにすごく愛着が湧くタイプで、他のものに目がいかなくなるんですよ。買うまでは、重さと値段をノートに書き出したり、いろんなブログ見たりしてすごく悩みます。でも、買った瞬間にそういうのがどうでも良くなってしまって、自分が選んだものにしか興味がなくなるんです。だからここ2、3年は新しいものを手に入れたってことがなくて。去年これ買ってもらったくらいですかね。」

鵜城さんは笑いながら、釣った魚を捌くための包丁を指さした。

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歩いているからこそ

コロナでいろいろ行きにくいが、鵜城さんはどんなハイキングに興味があるか尋ねると意外な答えが返ってきた。

「会社の人が少しずつ山に興味を持ち始めてるので、山を始める手伝いをしたいと思っています。自然を知ってもらうだけでも意味があることだと思うし、それが後に自然活動につながるかもしれません。新規開拓というか、興味ある人を少しでも手助けできたらなって、今はそういうことをしていってます。」

鵜城さんはきっと優しくいろいろとアドバイスしているんだろう。
ハイキングのことを伝えるときに何か気をつけていることがあるのだろうか。

「僕もそうだったんですけど、山に行きたいっていう気持ちが一番にあると思うんです。だから、まずは行ってみると良いんじゃないかなって。海外でも行きたいんなら思い切って行ってみるって大切だなって。そう思いながらも、ロングトレイルの辛さとかキツさ、帰ってきてからロスになっている人もいると思うし。そういうことを考えると、簡単に行っておいでって言いづらくもある。その人の今後の生活とかも考えちゃうし。」

そこまで話すと、鵜城さんは少し困惑したように言葉を詰まらせた。

「英語も喋れない僕でもシエラに行けたし、誰でも行けると思うんです。ハードルは高いところもあるかもしれないですけど、ぜひ行って欲しい。そう言うとさっきの気軽におすすめできないってゆうのと矛盾しちゃうんですけど。」

鵜城さんの内には、ふたつの気持ちが同居しているようだった。自分が好きなところだから他の人にもすすめたいと思う反面、気安くどんどん行ってきたらとも言い難い。

「やっぱり危険なこともたくさんあるし。複雑というか、責任を感じちゃうこともあるし難しいですね。でも、シエラにもし行くのであればもちろんオススメのスポットとかも伝えたいですけどね。」

鵜城さんはそう言うと、ふたたび笑顔に戻った。
誠実になろうとすればするほど、答えは曖昧になっていく。
この後、話はシエラでのことに戻り、旅の写真を見せてもらったりしているうちに、僕もシエラに行ってみたいと思うようになっていた。
そのときは鵜城さんにアドバイスを乞おうと思う。

取材の数日後、鵜城さんからメールがきた。
鵜城さんらしい、正直で生真面目な内容だった。
最後に鵜城さんからのメールの一部をここに引用させていただこうと思う。

「なかなか自分の事を人に話すことがなく、すごく緊張しましたが、とても楽しい経験をさせてもらいました。実は、取材が終わってから、なぜか頭の中がモヤモヤしていて、僕の思いをちゃんと伝えることができたのだろうかと、気になってきました。そして、そのモヤモヤが何なのか考えました。
僕の紹介をするとなると、キーワードは『ハイキング』『植物』『釣り』の3つだと思います。でも、『植物』『釣り』は、楽しいのは間違いないのですがそれだけだと思いました。『ハイキング』、特に『ULハイキング』は特別で、僕の考え方や生活に影響を与えるものだと言うことに考えつきました。僕は、歩いているからこそ、人との繋がりや家族への感謝を感じる事ができるようになったのかもしれません。」

連載はこれで終わりになるが、鵜城さんのハイキングはこれからもつづく。
鵜城さん、素敵な話を聞かせていただきありがとうございました。

全3回終わり

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取材/2020年12月27日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/ヒラナミ 写真/渡邉祐介

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