Hikers

GHT、1,700㎞の生活の道

山口千絵子

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山一本で行きたい

「GHT」とは、グレート・ヒマラヤ・トレイルの略で、ヒマラヤ沿いにネパールを東西に横断する全長1,700㎞に及ぶロングトレイルのことだ。山岳地帯をいくアッパー・ルートと里よりにいくロウワー・ルートの2本のトレイルが一部交差しながら、ほぼ平行するような形で設定されている。山口千絵子さんは、そのアッパー・ルートを2015年と2016年の2年に分けて踏破した人だ。
GHTのことは、知人がGHTプロジェクトと銘打って歩いていたので、なんとなく知っていた。僕自身もいつかは、ヒマラヤを望むトレイルを歩いてみたいと興味もあったが、まだネパールに行ったこともなければ、ヒマラヤを目にしたこともなかった。
スルーハイクした人がいるのかどうかもわからないGHTを歩きとおした山口さんに話を聞けることになって、大雨の中、福岡県春日市の山口さんの自宅へと向かった。ちょうど、山口さんのGHTでガイドを務めたネパール人のチェビさんも訪日滞在中とのことだった。

「私が山を始めたのは、2004年からで、ちょうど40歳になってすぐでした。職場の職員旅行で屋久島に行ったのがきっかけで。」

山口さんは、きれいな蓋つきの湯飲みとお菓子をテーブルに出しながらそう言った。
僕は、少し驚いた。山口さんに会う前から、きっと学生時代から山一筋の人と勝手に決めつけていたからだ。

「私の山の先生はラリーグラスの浦先生で、海外登山に行きたいというと、フェニックスマウンテニアリングチームという山岳会を紹介してくださったんです。そこは、会長がプロガイドなので色々と教えてもらいました。2006年に初めて6,000mのネパールのピークに行きまして…」

話の展開が早すぎて、というよりも、あまりにも山の標高が一気に上がり、まだ高度順応できていない僕は、慌てて制するように山口さんのバックグランドについてあらためて質問した。
そうですよね、と山口さんは上品な感じでにっこり笑った。

「ちょうどその頃、私、看護師だったんです。大学には行かずに仕事を始めたので、大学に行きたいなという気持ちがあって、思い切って仕事を辞めたんですよ。でも、すっかり山の方が良くなってしまって。勉強は年とってからでもできる、でも、山は時間とお金に余裕ができたときにはもう登れなくなってるので、今は山一本でいきたいなと思ったんです。

仕事を辞めるのも、社会人になってから大学に行くのも、何もかも辞めて山に生きるのもどれもずいぶん思い切りの良い人生のような気がした。
山口さんは、身内にも山登りをするようなアウトドアを趣味にする人もいなかったし、本人もそれまでは完全なインドア派でお茶の世界にどっぷり入れ込んでいたという。
僕は、山口さんの選択の振れ幅の大きさと決断の大胆さに興味が湧いて話に引き込まれた。

屋久島で入ったスイッチ

「屋久島に行ったのが、5月でちょうどいい季節だったんですよ。とても新緑が美しくて、妖精が飛んでいるのが目に見えるような気分でした。私にとって本当に新鮮な世界だったんです。その頃、看護の仕事のことで色々とつまずくことも多かったんですね。ある先生から『人は人にしか癒されない』と教えられていたんですが、私は、本当にそうなのかなと疑問に感じて苦しんだりしていました。それが、屋久島に来て、人は自然の中でも癒されると感じたんです。それまで先生の言葉がずっとどっかに引っかかっていたんですけど、それは人間のおごりだなって思ったんです。」

僕も、初めて屋久島へ行ったときのことを思い出しながら山口さんの話を聞いていた。
確かに、屋久島には人の人生を変えてしまうような大きな力がある気がする。
まだ東京にいた頃なので、屋久島は僕にとって遠いエキゾチックな世界だった。

「自分で山に行きたいって思うようになって、ガイドブックを見ながら、公共交通機関で日帰りで行ける宝満山や脊振山、古処山なんかに行くようになったんです。でも、だんだん物足りなくなって、私は岩、雪、氷がやりたいなって思うようになったんです。それで、山岳会だったら先輩たちが教えてくれるし、海外登山にも行けるということで入れてもらうことになったんです。

山口さんは、楽しそうに笑って話した。
僕には素敵な屋久島の森と、岩雪氷の世界には大きなギャップがあるように思えたが、山口さんには地続きの世界のようだった。

「初登とか開拓とか探検とかいう言葉に惹かれました。バリエーションルートとかいいですよね。だからグレードが数字で表されるスポーツクライミングなんかは下手なままです。最初の頃はインドアのジムへ練習に行ったりしましたけど、やっぱり外が好きですね。森を抜けて、岩をよじ登って行って、山頂に達してっていうのがいいです。もちろん、ハイキングは今も好きですよ。」

それは用意されている道を歩くのではなくて、自分で進路を見つけて進んでいきたいという気持ちの表れなのだろうか。僕には、山口さんの生き方と重なって聞こえた。屋久島の森のどこかで何かのはずみでスイッチが入ったのだろう。でも、そのスイッチはきっともともと山口さんの中にあったはずだ。

「そうですね、開拓っていう言葉にとっても惹かれました。私の身近に無かった言葉だったし。

ひとつ補足しておくと、山口さんがここでいう「開拓」とは、登山やクライミングのルートを開拓するという意味だ。でも、山口さんが話していると、もしかしてフロンティアってことなのかなとも思えてしまうのが僕にはおかしかった。

そろそろ、8,000m

「もともと計算ができない性分なんです。それから独身ですので、あんまりしがらみが無いんですよ。だからいつでも二者択一です。仕事か、山か。お茶か山かっていうような切り捨てかたをしてきたと思います。

そういうわけで、それまでずっと入れ込んでいたお茶の方はやめてしまったということだった。

「もうキッパリやめました。お金がかかるのと、虚飾の世界が嫌になってですね。同時に、お茶だけじゃなくて、日本独特の何でものしに包んだりするような世界がとっても煩わしくなったんですよね。

そして、山口さんは、山岳会や勤労者山岳連盟を通じて、憧れていた海外登山へと活動を広げていった。

「2006年の春に初めてネパールに行って、それですっかりネパールのことが好きになってしまったんです。その後、1年に1回は海外登山がしたいというのを目標にしています。ネパールでは6,000mとか全然高所じゃ無いらしいんですけど、4回行きました。あと、登頂できなかったんですが、マッキンリーに2015年に行きましたね。そのほかでは、GHTの2年目にアマ・ダブラムに登ったのが高いといえば高いくらいですかね。

山口さんは、私たちの話をかたわらで聞いていたネパール人ガイドのチェビさんにところどころ英語で説明しながら話した。「チェビさんにとっては、6,000mの山は高所登山に入らない。チェビさんにとっては日本の山はどれも丘みたいなものなの」と山口さんが僕に説明してくれて僕は笑った。

失礼かなと思いつつ、山口さんは資金や生計はどうやりくりしているのか尋ねてみた。

「ネパールに行くとなると数ヶ月単位で休みますので、それでは正社員にはなれないので、派遣や契約社員でずっと繋いでなんとかやっています。今は、GHTの借金返済に必死です。」

山口さんは何でもなさそうにそう言って、笑った。
もっと高い山には登りたいと思わないか僕は聞いた。

「もちろん!もっと高いところに行きたいです!いつまでも6,000mピークハンターじゃなくて、そろそろ私も、8,000mの山を目指したいです。周りに8,000mに行った人たちが何人もいるので憧れます。

山口さんの口調に具体的な計画があるような雰囲気を感じたので僕はさらに質問した。

「ネパールのマカルーという山に行こうと思っています。世界第5位の高峰なんですけど、GHTの途中でずっと見ながら歩いて、とても美しかったのでぜひ行きたいと思ってます。

借金を返済し終わって、2020年に行こうと思ってるんだと山口さんは続けた。
オリンピックで浮かれているに違いない日本から脱出したいという気持ちも少しはあるのかなと僕は勝手に想像した。
さて、話はいよいよ本題のGHTについてだ。
山口さんは、GHTのことを自ら綴った文章の中でこんなふうに書いている。
「初登でも、開拓でもなければ、困難な探検でもない。GHTはネパール人の、と言ったら良いのか、又は、チベット人の、というのが正しいのか、その生活道を歩くだけの話だ。」
彼らにとっての生活道を1,700㎞も歩いた末に山口さんは何を思ったのだろうか。
僕はますます山口さんの話に引き込まれていった。

第1回終わり〜第2回へつづく

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取材/2018年7月5日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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