Hikers

終わってないんだよ、俺は

秋田修 3

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ゴールできないかも

PCTハイカーである、シュウさんの話の続きだ。
憧れのPCTの一歩を踏み出したにもかかわらず、あまりのキツさに心が折れてしまい、シュウさんのPCTは危うく3日で終わるところだった。
なんとか気を取りなおして歩き始めたシュウさんの旅は、軌道に乗っているように思えた。

「4、5日に一度は町に降りて、食料を買い足すんです。もし、そこが良さそうな町で、安ホテルでもあれば、『ゼロデー』って言われる、何もしない日を作る。でも、実際はゼロデーと言ってもスーパーへ買い出しに行ったり、次の町の情報をネットで調べたり、細々とやることはたくさんある。」

そう話すシュウさんの表情はいくぶん明るくなっていた。

「最初のうちは、あらかじめ日本で調べてきたスーパーやホテルの情報を頼りに動いていたけど、途中からはハイカー達から直接情報を仕入れるようになっていきましたね。ある意味、町の情報っていうのは、トレイルの情報よりも重要かもしれない。それなしでは旅は続けられない。食べ物が手に入らなかったらその時点で終了になっちゃうから。」

なるほど、確かにどこで何をどう補給できるのかという町の情報は、そのハイキングの成否を分けることにつながる。リアルタイムの情報源となるハイカーたちとのコミュニケーションは、ハイキングを続けるための鍵を握っているのだった。

「そこらへんは、引っ込み思案じゃない性格だから助かったなって思う。」

ハイキングの調子が出てきたのとシンクロして、シュウさんの話のテンポが良くなってきた。
僕は、シュウさんが以前見せてくれた画像に、出会ったハイカー達との楽しそうな集合写真がたくさんあったのを思い出した。

「たくさん一緒に写真を撮らせてもらっていたのは、自分はゴールできないんじゃないかなっていう感じがうっすらあって、それだったら少しでもみんなの記憶に残れるハイカーになりてぇなっていう気持ちがあったから。」

「え、ゴールできないかもってどういうこと?」
姿を見せたばかりの太陽は、あっという間に分厚い雲に覆われてしまった。僕は、順調だと思えたハイキングを待ち受ける低気圧の気配に動揺した。

「毎日ちゃんと20マイルをキープできなかったり、町に降りたら楽しくなっちゃって、ゼロデーを増やしたりしてたので、『もしかしたら、このペースじゃ無理かな』っていう予感はあったんです。それはそれで別にいいんだけど。」

突然、ゴールであるカナダとのボーダーが霞んだ。
本当に別にいいことだったのか、僕は聞きなおそうかと思ったが踏みとどまった。

「ゴール近くのオレゴン州やワシントン州って9月には雪が降ってきちゃうから、もしかしたらそのタイミングに間に合わないんじゃないかなって。そうなったら、やめざるを得ないんだなって。」

シュウさん声に、さっきまでの歯切れの良さは感じられなかった。

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3回心が折れたらやめよう

「カリフォルニアを歩いている間は全く雨が降らず、イメージのままのカリフォルニア。あったかくて、日陰に入れば涼しくて、最高の環境の中を歩いてきた。それが、オレゴンに入ったあたりから急に変わった。雪が降るって言うのは聞いてたけど、みぞれ混じりの冷たい雨が毎日降るなんて聞いてなかったぞって。」

確かに、日本の登山でも冬の雪よりも春や秋の冷たい雨の方がタチが悪い。
シュウさんは続けた。

「それでも、自分がやってるウルトラライトハイキングのスタイルで歩き通さないといけないっていう、なんでか分からないけど、自分の中で勝手なルールみたいなものができちゃってて。今思えば、自分で作ったそのルールこそが失敗の原因だったかもしれない。」

ウルトラライトハイキングは諸刃の剣だ。一方では軽量であることが多くの恩恵を与えるが、他方では命に関わる大きなリスクを与えることもあるだろう。しかし、それもウルトラライトという剣が悪いわけではない。シュウさんの選択は、もちろん十分に承知の上でのことだった。

「同時に、ハイカーの数が一気に減るんですよね。アメリカ人は、『また来年来ればいいや』という感じで帰っていく人も多い。それまで、会うたびにふざけあってたハイカー仲間ってのはもう全然目にしなくなってくる。森の様子も鬱蒼としてくるし、冷たいみぞれが追い打ちをかけ、陽気なトレイルは完全に終わってしまう。そのことになんか心がついていけなかった。あの楽しかったカリフォルニアの日々はもうないぞって、それで突然心が折れちゃった。」

僕はもう少し具体的に話して欲しいとシュウさんに頼んだ。森の様子が変わったり、みぞれに降られたりすることにはうんざりするだろうが、それだけでここまで歩いてきたことを無駄にはできるとは思えなかったからだった。

「それまでにも何度かやめることを考えたことはあった。でも、そう思って町に降りるたびに、気づいたらスーパーへ行って食料の補給をしたり、その先の町の情報を調べてた。」

4ヶ月間繰り返した生活習慣は、シュウさんのやめようという気持ちとは別の行動を選択していた。『ヒトは習慣の動物である』と、誰かが言った。シュウさんは、すでにロングトレイルハイカーだった。

「3回心が折れたらやめようって決めたんです。自分の意思じゃやめられないから。なんでそんなことを決めないといけなかったのかわかんないですけど。」

シュウさんは、そう言って笑った。

「その日も、やめるつもりじゃなかった。朝、普通に起きて、すぐそばでテントをはっていた韓国人のハイカーのカップルに『じゃあ、俺、先行くね』って挨拶して。しばらく歩いていると、またみぞれがバーっと降ってきた。昼ぐらいに、渡ったところから登りが始まる橋の前まで来たところで『渡るのやめよう』って、立ち止まった。ついさっきまで全然やめる気なんかなかったのに、『やっぱり、やめよう』っていう感じでUターンした。トレイルを戻っていると、一緒の方向に向かって歩いていたハイカー達とすれ違うんですよ。『we can do it』『最後まで行こうぜ』『全然やめどきじゃないよ』ってみんな言ってくる。その度に、こっちもなんか知らんけど泣きながら『もう俺はここで辞めるから、お前たち頑張ってくれ』って言って。」

シュウさんの話を聞きながら、まるで映画でも見ているかのように、その情景を眺めている気持ちになった。僕は、みぞれに打たれながら橋の手前で立ちすくしているシュウさんの姿を見ていた。

「俺、なんでやめようとしてんのかなって、不思議な感じでした。体がきついとかじゃない。楽しめなくなってきちゃったかなとか考えながら、歩いてきたトレイルを戻ったんです。」

シュウさんの声はいくぶん小さくなっていた。
スタートしてからすでに4ヶ月が過ぎていた。
もしそのまま歩いていたとすれば、あと20日ほどでゴールだったという。

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暗い顔した、汚くて臭い日本人

僕は、シュウさんにやめたのは歩き始めて何日目のできごとだったのか聞いた。

「何日目かな。計算してないんですよね。5月7日に歩き始めて、おそらくやめたのは9月の15、16、17日あたりだと思うんですよ。なんか、そこら辺をぼんやりしたままにしておきたくて。」

シュウさんは、バーカウンターの内側から僕の方を向いてそう答えた。

「海外のロングトレイル歩いて、日本に帰って来てブログをあげる人のことは純粋にすごいなと思う。でも、僕にはその行為が怖くてできない。なんかこう、自分の中ですごく大事になったものだから、そのときの自分がどうだったのかっていうのをきちんと再認識したくなくて。ぼんやりさせておきたい。なんとなく『終わってないんだよ、俺は』って思っていたいっていうか。」

シュウさんの言ってることはわかるような気がした。
写真と同じようなことなのかもしれない。山頂で手を振っている自分自身の写真を見るたびに、嬉しそうにカメラの方を見ていた僕が感じていたことよりも、こうして写真を見ている現在の僕が当時を思うこととして記憶は上書き更新されていくだろう。
シュウさんは、橋の手前で立ちすくみ、Uターンしたときの自分が感じたことを言葉や数字に置き換えずに、曖昧でぼんやりした生の思いとしてそのまま真空パックにして、そっと自分のザックの片隅にしまっておいたのだと思った。

「やめた日もはっきりさせてなかったっていうのはそういう事です。でも、こうして思い返せて良かったです。」

僕は、シュウさんが、そう付け足してくれてホッとした。
シュウさんがやめたというニュースはすぐにトレイルを共にしたハイカー達に伝わり、次々と『また戻ってこいよ』という連絡がシュウさんの元に届いたという。

「山を降りてヒッチハイクしていると、女の人が乗った車が拾ってくれたんです。こっちは、『PCT歩いてたんだけどもうリタイヤしようと思う』って、暗い顔した汚くて臭い日本人なのに。そしたら、『ご飯食べ行こう』って、ご馳走してくれて、俺のハイキングの話を聞いてくれて、さらにそこから2時間くらいかかるポートランドまで乗せて行ってくれたんです。でも、その時の僕は、打ちひしがれちゃっていて、ろくに感謝の言葉も言えず、ただ助手席にボサっと座ってた。帰り際には『何かあったら連絡してきなさい』って電話番号まで渡してくれて。」

シュウさんは、申し訳なさそうな顔をして言った。
その女の人の名前はマギーっていうんだと教えてくれた。

「そのあとも、ポートランドの街で、PCTの途中で一緒だったハワイから来ていたセクションハイカーと再会したり、LINEでだけ繋がっていて、やりとりは何度もしたことのあった日本人ハイカーとタイミングよく合流できたり、いろんな出会いがあったんです。それで、途中でやめたって言っても、俺のPCTっていうのは、これでいいじゃんって思ったんです。ゴールしてないけど、ゴールしなかった先にもいろんな出会いとか、いろんな旅があって。そういうことにすごく救われたんです。」

僕たちは、そこまで話すと、シュウさんがたびたび散歩に行くという風師山に案内してもらった。
九十九折の道を車で上がって、歩いたのはほんの少しだった。
林を抜けて山頂へ出ると、そこから関門海峡や玄界灘、北九州の町などがぐるっと見渡せた。
しばらく見とれてしまうような景色だった。
僕たちは、山頂直下の平たい大きな岩の上に腰掛けて、関門海峡を行き交う船や造船所、小さな島々を眺めながら、もう少し話の続きを聞かせてもらった。

第3回終わり〜第4回へつづく

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取材/2019年10月16日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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