Hikers

タフでやさしいおやつの時間

内田洋 3

image

エックスアスロン登場

話を聞いているうちに、僕が持っていた内田さんのイメージはずいぶんと変わってしまった。両肩にガッツリ入ったタトゥーのせいもあって、ややもすると怖おもてに見られるであろう内田さんは、僕の中ではすっかりピュアで誠実な優しい人になっていた。失礼しました、内田さん。
そんな内田さんのこれまでの話を振り返る意味で、多少強引に要約するとこういう感じになる。

何か自分でやってみたいという思いで高校を中退し、中洲の割烹料理屋で修行し料理人を目指した。しかし、まだ若く、遊びたい気持ちもある。仕事の後は親不孝通りのライブハウスやクラブに通った。パソコン通信がしたくなりMacを手に入れると、フライヤーやTシャツのデザインを頼まれるようになった。仕事としてデザインをやっていくうちに、写真も自分で撮るようになり、ありがたくも忙しすぎる日々に疲弊し自分を見失いかけていった。「しばらく休もう」とすべての仕事を断った。何もすることなくただ自堕落な毎日が過ぎていく中で、思い出したことがあった。それは、早くに亡くした中学生の頃の同級生と交わした「いつか一緒にトライアスロンに出よう」という約束だった。過ぎ去る日々の中ですっかり忘れ去れていたその言葉に奮い立たされ、内田さんは大濠公園を走リ始めた。もう何年も動かしてこなかった体では思うように走れなかったが、あきらめずに続けた。次第に長い距離も走れるようになりながらも故障が続く。そしてトレイルランニングと出会い、のめり込んでいった。練習を積み、手当たり次第に様々なレースへの出場、そして優勝するまでにいたった。同時にクライミングやサーフィンにも入れ込みようになった。そして、SUPとの運命的な出会いは内田さんの人生の舵を大きく切り、亡き友との約束だったトライアスロンに挑むことになる。

「その3種競技に名前はついてるんですか?トライアスロンみたいな。」
僕は、内田さんが挑戦することになった、海でSUPを漕いで、マウンテンバイクで山を登って、走って降りてくるという競技について聞いた。

「特にトライアスロンみたいな正式名称はないんですけど、天草エックスアスロンって名前になっていました。3種くらい含めた異種競技をブリックとかクロスアスロンと呼ぶようです。海がからんでいるとアクアスロンとか、2つだとデュアスロンとか。」
過酷に違いないレースなのに、「アスロン」が語尾につくとどうしても戦隊モノや恐竜のイメージが浮かんでしまう。調べてみると「アスロン」とは「競技」を意味するギリシャ語ということだった。

image

海も山もここだけでいい

「初めてのSUPのレースに出ると、周りの選手が信じられないくらい速くてビックリしました。自分は体力はある方だって思っていたから、SUPのレースもそこそこいけるだろうと思っていたんです。とんでもなかったですね。ぜんぜんダメ。全く追いつかないんですよ。」

内田さんは顔をしかめて、手を大きく左右に振って言った。

「マラソンだったら、前を走る人について行って、いいタイミングで抜こうと思ったら抜けると思うんです。もちろん、また抜き返されるかもしれないんですけど。それが、SUPの場合は自分のすぐ前にいる人を抜くことができないんです。どんだけがんばっても抜けないんです。不思議でしたね。」

SUPのレースのことはまったく分からなかったが、ペースを上げるのが難しいということなのだろう。

「そうなんですよ。こんな競技があるんだなと思って、惹かれましたね。負けたのと不思議さに魅了されて夢中になりました。そして、レースで勝ちたいと思うようになった。でも、レースに出れば出るほどどんどんすごい人達が出てくる。なんでこんなに速いのかっていうくらいに。聞くと、元々はカヌーやカヤックをやっていた人がSUPに転向しているんです。ベースができている海のエキスパートなんですよ。よし、じゃあ自分もそこに追いつきたい、そのための練習をしようってなっていったんです。」

簡単に言っているように聞こえるが、プロみたいな人を見て、そこに追いつきたいって思えるところが内田さんのすごいところだ。

「それまでパドリングをするということを、理解してなかったんです。パドルをただの道具だと思っていた。体力でなんとかなると思ってたんですけど、そうじゃないんです。筋肉ゴツゴツの人が必ずしも速いわけではなく、しなやかな女性やひょろっとした人でもすごい速かったりして何回も負けました。パドリングには、体力や持久力ではない奥深いテクニックがある。それを知ってパドリングを磨くためのトレーニングを始めました。」

やはり、そこは道具モノのスポーツならではのテクニックの世界があるのだろう。
僕は、具体的にどういうトレーニングをするのか聞いた。

「誰かに習うのは好きではなかったので、我流のトレーニングです。海の上だけではなくて、山でトレランをしているときもSUPの身体の使い方を考えながら走るようになりました。それまでもダッシュして走るような短くガツンとしたものが好きだったけど、もっと特化したバーチカル的なものを好むようになったんです。急傾斜で高負荷を掛けてやるようなランニングを取り入れるようになりましたね。」

聞いているだけで心臓が破裂しそうな気持ちになる内田さんのトレーニングは、現在進行形で続いているということだった。四王寺山でやっているということなので、怖いもの見たさというのか、隠れてこっそり見てみたいと思った。

「海は、それまでは糸島を中心にあちこちへ漕いで行くのが楽しかったんですけど、もういろんなところに行かなくてもいいと思うようになってきたんです。同じように、山もここだけでいいと思うようになりました。」

image

プロと一緒に勝負する

「それまでは、海や山へ行くときの冒険のような感覚が好きだったんだと思うんです。SUPでの競技性が高くなっていくと、海や山がトレーニングの場所になってきたんです。そうなると、それが外国の山でも四王寺の山でも、どこの山であったとしても、トレーニングとそこに向ける気持ちはきっと同じだなと思うようになったんです。だからここでいいし、逆に言うとどこでもいい。要するに、自分が山や海で感じる喜びの核心がわかった。自分にとっての楽しさや幸せだなって感じるポイントが明確になったんです。」

内田さんは僕の方をまっすぐ見てそう話した。それには、激しいトレーニングを通して自分自身と向き合う時間からくる、達観したような響きがあった。内田さんは、山や海の話をしていたけれど、「山や海」を「人生」という言葉に置き換えて聞いても違和感がないと僕は思った。「自分が人生で感じる喜びの核心がわかった」と。
僕を見る内田さんのほほ笑みが、いつの間にか優しくアルカイックな雰囲気を帯びているように思えたのは気のせいか。
僕は、トレーニングに勤しむ聖者の一週間は具体的にどのようなものか質問した。

「まずは生活に必要な最低限のお金を得るための仕事を入れます。それを中心に空いたところで何をするのかというトレーニングのプランを作ります。で、山の日、海の日、両方の日で分けていきますね。天気もありますね、波が上がればトレーニングはそっちのけでサーフィン優先。でもサーフィンもいいトレーニングにもなっているので、サボっちゃったなという気分にはならないですね。」

「山の日」「海の日」「両方の日」という区分けがいいなと思った。ジムでマシンを使って鍛えるのではなく、あくまでもフィールドでトレーニングするのだ。

「選手としては、2018年、2019年はほぼSUPだけに費やしました。マウンテンバイクもトレイルランもするんですけど、それはあくまでもSUPのことを考えてやるメニューの一つです。SUPで自分がどれだけ戦えるのかっていうのが知りたかったんです。その結果は2019年の大会である程度出せたと思います。SUP全日本選手権という大会のカテゴリー別での3位までは取れました。」

僕は、それを聞いて「へぇー!」と声に出して感心した。
あるスポーツに打ち込むこと自体は誰でもそれなりにできるのかもしれないが、その上で勝負の世界で結果を出すというのはまた種類の異なる事柄のように思える。

「今年からは板も買い換えてプロと一緒に勝負するカテゴリーを選びました。」

内田さんはそう言って笑う。
自堕落な生活に見切りをつけようと大濠公園を走り始め、プロと同じ海でパドルを漕ぐところまでやってきた。本人をふくめて、たぶん誰もこうなるとは思っていなかった。
改めて、内田さんの物事に対する意思の持ち方やアスリートとしての能力に驚く。そして、あえて大げさに人類の可能性という言葉を持ち出して声にしてみたい、我々もまだまだ捨てたもんじゃないと。先行きの見えないコロナ禍の閉塞感が長引く社会に生きる僕たちに、自身の心拍数をもって勇気を与えてくれる内田さんに僕は心の中で感謝した。

「あと、言い忘れてましたけど、ノルディックウォーキングのインストラクターをやってるんですよ。ノルディックウォーキングって、棒があれば誰でもできそうですが実は奥が深いんですよ。SUPと繋がっていたり、トレランとつながっていたり、かなりいろんなスポーツと繋げてもものすごい威力を発揮するんですよ。」

また新しいワードが出てきたぞ、と僕は嬉しくなって内田さんの話の続きに耳を傾けた。

さて、いつもであればこの連載シリーズは全3回で終わりとなるのだが、タイトルにある「やさしいおやつ」の話をまだ聞けていないではないか。ということで、この夏から活動を開始した移動販売の話もふくめて内田さんの話をもう少し聞かせてもらおうと思う。

第3回終わり〜第4回へつづく

1234

取材/2020年6月6日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

facebookページ 公式インスタグラム