Hikers

終わってないんだよ、俺は

秋田修 4

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トレイルエンジェル

僕たちは、関門海峡を見下ろす風師山の山頂にいた。
シュウさんのPCTの話を聞いた後、シュウさんがよく散歩にくる山だというので案内してもらったのだ。
関門海峡というのは、渡り鳥たちの通り道で、ちょうどハイタカの渡りの季節なのだと、大きな望遠レンズをつけたカメラを覗き込んでいたおじさんが教えてくれた。山頂には他にも数名、同じような大きなカメラを三脚に据えて構えている人たちがいた。こうして何時間もハイタカがやってくるのを待っているのだという。鳥がやってくるのを待つ人々の穏やかな雰囲気と、春のような陽気のせいもあって、風師山の山頂はどこか別の牧歌的な世界のようだった。

PCTの話はだいたい聞かせてもらったにもかかわらず、僕は、シュウさんの話をもう少し聞きたいような気持ちになっていた。
「トレイルエンジェルの話がよく出てきましたね。」
具体的に何を聞いたらいいのかわからず、僕は、思いつくままにシュウさんに話した。
トレイルエンジェルとは、ボランティアでハイカーに食事や交通手段を提供したりする人々のことだ。

「トレイルエンジェルだけでなく、無人で、ただ果物や飲み物だけが置いてあることも結構あるんです。一人で感謝の気持ちでいっぱいになっていただく。そういうことも面白かったですね。」

‘Pacific Crest Trail Association’のホームページには、『トレイルエンジェルは、PCT協会の公認組織ではない』と断りながらも、『トレイルエンジェルになるには?』というページを用意して事細かなガイドラインが記されているのが興味深い。

「トレイルエンジェルの人たちって『ありがたいだろ』っていう雰囲気がまったくない。たまに『ほら、こんなにあなた達をもてなしてますよ!』っていうアピールしてくるエンジェルの人たちもいるんですけど、それもありがたいことには変わりないから別にいいんです。でも、そういう見返りを求めてない人がジュースや水やビールなんかを置いてくれているのが凄いなって思う。」

シュウさんは、うなずきながら言った。

「そういうのを見つけると、誰かいないのかなってキョロキョロとあたりを探すんですけど、ただハイカーの寄せ書きノートが置いてあったりするだけで。感謝の気持ちで、こっちも自然にドネーションをいくらか置いて行くんですよね。」

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ロングトレイルというコミュニティー

日本とアメリカのハイキングカルチャーの違いと言ってしまうのは簡単だが、トレイルエンジェルをやってみようと思うにいたる感覚はどこからやってくるのかが僕は気になった。

「キリスト教の施しっていう考えが根底にあるのかもしれない。でも、僕が勝手に思っているのは、アメリカって車もでかいし、マッチョな人も多いし、とにかく『タフであれ』っていう根深い文化があって、それが影響しているんじゃないかって。特に西海岸は開拓の歴史もあって、タフさを尊敬する気持ちが強いような気がします。自分にはできないことをやってる人たちを応援したいって思うのかな。日本では、お遍路を歩いてる人たちをお接待するじゃないですか。それに近いのかもしれない。」

なるほど、トレイルエンジェルの由緒は、民俗学の領域まで掘り下げることができそうだ。

「もうひとつは、週末にみんなでピクニックするようにトレイルエンジェルをやっているような人も多い。ただバーベキューして楽しむだけじゃなくて、ついでに歩いてきたハイカーの人たちに食べさせてあげようって。それで、いろんな話を聞かせてもらおうって、そういう感じ。彼らにとっても遊びのひとつなんだなって思いました。」

シュウさんは、そう話すと水筒のキャップを開けてひと口飲んでから続けた。

「お店じゃないので営業時間とかも決まってるわけじゃないから、ハイカー同士でも『あのエンジェルのハンバーガー最高だった!』っていう話盛り上がると、『わー、俺行ったときにはもういなかったよ』みたいになって面白い。」

そう言って、シュウさんは楽しそうに笑った。

シュウさんの話を聞いて、トレイルエンジェルをやるということ自体が、ロングトレイルハイキングへの関わり方のひとつなんだと、僕は思った。ロングトレイルという文化は歩くことだけではなかった。

「PCT歩いてるハイカーが『来年はトレイルエンジェルをやるんだ』っていうのをよく耳にしましたね。」

ギブアンドテイクの精神はいかにもアメリカらしい。

「それに、いろんな人がやってますね。人種も、仕事も、生き方もみんなそれぞれバラバラっぽい。エリートみたいな人もいれば、地元のヒッピーみたいな人もいるし、世話好きのおばちゃんみたいな人もいる。」

ロングトレイルが、地域のコミュニティーにとって大切な役割を担っているのだろう。
どちらが良し悪しということではなく、アメリカの「トレイル」と日本の「登山道」はそういった点からして存在意義が異なるのだと思った。

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充実したプー太郎

そこまで話すとシュウさんの話はひとときの間止んだ。
眼下には、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした巌流島が見える。
島のすぐ脇を大きな外国籍の貨物船が通り過ぎていった。
少し時間がたってから、シュウさんが日本に帰ってからのことを僕はたずねた。

「ハイカーシンドロームって言うやつなのかな。何していいのかわかんなくなっちゃった。」

シュウさんは、苦笑いしながら言った。 ロングトレイルを歩いた後に大きな喪失感に襲われたという話は他のハイカーからも聞いたことがあった。

「山の中にずっといたからそうなっちゃったのかなって思ってたんですけど、アパラチアントレイルを歩いたハイカーと話をしたときに、『シュウさん、充実したプー太郎だったからじゃないですか』って言われたんですよ。普通、プー太郎って、働いてない自分に負い目を感じながら世間に後ろめたい気分で過ごすわけじゃないですか。でも、ロングトレイルハイカーって、後ろめたさも何もないし、貯金してきてるからお金もあるし、その状態で経済活動もせずに充実した半年間を過ごしちゃうとこうなるんじゃないですかって。」

通称ハイカーシンドロームと呼ばれるハイキング後の喪失感や虚脱感には、それぞれの状況と理由があるだろう。程度の差こそあれ、ハイキングが終わった時には何か啓示的な気づきを持って新たな人生を歩き始めるのだという期待や希望を持って歩き始めたはずなのに。燃え尽き症候群という言葉もあるように、それはロングトレイルに限らず、人生の大きな転換期に多くの人が経験するものかもしれない。ただ、ハイカーシンドロームはそこに独特の感情があるようにも思える。

「歩いた人じゃないとわかんない感覚かもしれない。普通、仕事をしていない状態っていうのは罪悪感に駆られるけど、ハイカーって毎日歩いているだけなのに罪悪感は感じない。それで、いざ日本に帰ってきて仕事をしなさいって言われてもなんかピンとこなかった。」

ハイカーは毎日歩いている。歩くことで毎日をつないでいる。
ただ、日本に帰ってきてその辺を毎日ブラブラ歩いているだけでは罪悪感は払拭できないどころか、余計にいろんな思いに苛まれそうだ。
ハイカーはその辺ではなくトレイルを歩いていなければいけない。

「PCT行く前に、友達が『門司港ってバーがないんだよね。シュウちゃん、帰ってきたらバーでもしたら』ってなんとなく言われてたんです。それをふと思い出して、やっぱ何か自分でやるしかねえなって思った。安くで借りられる物件なんかも人づてに見つかって、うまい具合に流される感じで飲み屋を始めることになった。資金があるわけでもないから、廃材をもらって来たり、道具も友人に借りて、Youtube見ながら自分でつくったんですよ。DIY好きでもなかったけど、若い頃にエンジンの仕事やってたし、手先にはなんとなくの自信はあったから自分で作っちゃえと思って。行き当たりばったりでね。」

こうして、シュウさんの「tent.」というバーは2019年3月にオープンした。

「最初は、ハイキング好きが集まって欲しいっていうのがコンセプトだったけど、実際には地元の若い子からお年寄りまでが来てくれて。自分が思ってたようなことではないにしても、お客さんが店の雰囲気作るんだなって、バーってそんなものかなって思ってます。門司港ってバーがなくて、夜12時までまで開いてる店もないから、なんとなくみんな遊びに来てくれる。たいして儲かってないですけど、それなりにここで必要とされてるんだなっていう感じはあるんです。」

シュウさんの「tent.」は、地元の店としての道を与えられ歩き始めた。とはいえ、山の気分と匂いがぎっしりと詰まったお店なので、ハイキングをしないお客さんも自然と山に気持ちが向くかもしれない。

「僕自身がハイキングしていないと、お客さんに楽しいハイキングの話ができないと思って休みを1日増やしたんです。そういうことにもようやく気づきだしたかな。商売のことは詳しくないですけど、でも商売ってきっとそんな感じなんだなって思います。無理してもいけないしって。」

そう話すシュウさんに目をやると、遠くを見る横顔に少しだけ満足しているというような微笑みがあった。

「PCTの歩き残した最後のところを歩きに行こうとは?」
僕は聞いた。

「アメリカのトレイルを歩いてみたいっていう気持ちはもちろんあるんですけど、PCTの残りを歩きに行こうっていうのは不思議とまったくなくて。もしPCTを歩くんであれば、また始めから歩きたいんですよね。やっぱり通して歩いた先に見える景色が見てみたいのかな。全部終わらすっていうことよりも、スルーハイキングでスタートからゴールまでの感じを味わいたいのかなって思います。」

シュウさんは僕の方を見て言った。
そういうものなのか、と僕はうなずいた。

「そういう日がくるかもしれない?」
僕は、最後にもう一つだけ質問した。

「来たらいいっすけどね。まぁお金次第ですけど。でも、たぶん行くと思うんですけどね。」

シュウさんは、笑って言った。
きっとその日はやってくるんだろうと、僕は確信して一緒に笑った。
この続きはシュウさんの「tent.」でまたゆっくり聞かせてもらことにしよう。

全4回終わり

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取材/2019年10月16日 テキスト/豊嶋秀樹 テキスト協力/松岡朱香 写真/石川博己

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